短編集90(過去作品)
小学生の頃は、悪気があってかなくてか、よく言われたものだ。顔のことを気にし始めたのは、それからだったと言っても過言ではない。
中学時代までは小さかった身体が、高校に入学するとともに一気に大きくなっていった。身長も高校を卒業する頃には一年間で一気に五センチも伸びたものだ。顔の大きさが急に変わるわけもなく、身体に対しての大きさで見ると、顔が小さくなったように見えてくるだろう。
――これでやっと人並みだ――
他の人から顔が小さくなったように言われたことがあるが、気にして見ている分だけ、顔のバランスをしっかりと自覚できているのだろう。
中学の頃まで坊ちゃん顔だったにもかかわらず、高校になると、急に老けて見られるようになった。やはり顎の張りから顔が大きく見えるところが老けて見える要因だったようで、おじさん顔と言われたものだ。そんなことを言われては、自分の顔がさらに嫌いになるのも当たり前というものである。
鏡を見たくないのも当然だったが、その日は今までと違っていた。
――おや? まるで若返ったみたいだ――
最初はどこが若返ったように見えるのか分からなかったが、一番気にしている顔の大きさが小さく見えることだと分かると、
――なるほど――
と感心した。
顎のラインはあいかわらずなのだが、確かに顔の大きさを小さく感じることができれば若返ったように見えるようだ。前からそのことは分かっていたのだが、自分の予想が当たったことの方が嬉しかった。
嫌いだった顎のラインを触りながら、顔を左右に曲げてみたりする。いろいろな角度から眺めてみたい。やはり自分の考えていた通りだった。
老けて見えたのは、顔にできていたニキビにも原因があった。成長期の高校時代からニキビができるのは当たり前のことだが、大きな顔にニキビができれば、あまり綺麗なものではない。若さの象徴であるニキビも汚ければ老けて見える原因にもなるだろう。そのニキビが今日見ると完全に消えていたのだ。
大学に入ってもニキビが目立っていた。ほとんどの人は顔から消えていたが、佐々木だけはまだ残っていたのだ。
「欲求不満が溜まっているんじゃないのか?」
と言われたが、該当するような欲求不満やストレスは思い当たらない。それだけに老けて見えても仕方がなかった。
――それにしてもニキビが消えただけでも、これほど顔が小さく見えるものだ――
ニキビが消えたから顔が小さく見えているのか、小さく見えるからニキビが消えたことに気がついたのか、どちらにしても若返って見えることは喜ばしいことである。
鏡をここまでじっと見るなどもちろんなかったことである。鏡に写った自分に問いかけているシーンをドラマなどで見るが、まさしくそんな気分だ。客観的に見るならばナルシストとしてしか写らないが、思わず問いかけてみたくなるという行動は衝動的で、無理のないことだということを今さらながらに感じるのだった。
その朝が最高の気分になったことは言うまでもない。こむら返りを起こして最悪のスタートになるかと思ったが、こむら返りを起こしたことさえ却って最高の気分への前奏曲に思えるほどである。
その日はこれといって予定のある日ではなかった。余裕のある休日である。いつもいつも予定があるというわけではないので、予定のない休日の過ごし方はそれなりにいつも決まっていた。余裕には余裕の気持ちが大切だと思っている。
佐々木には馴染みの喫茶店があった。家の近くで歩いても十分と掛からないところにあるその喫茶店は、モーニングサービスのおいしいところとして、佐々木には嬉しいところであった。
いつまでも鏡を見ていても埒が開かないということで、さっそく出かけることにした。ラフな服装に軽く上に羽織った程度であるが、表に出ると日はもう高いところにあり、風もないため、汗が滲んできそうな暑さを感じた。
――暑くなりそうだな――
思ったよりの暑さに、喫茶店で少し長めに涼んでおこうとも考えた。きっとこれくらいの暑さであればそろそろ冷房も効かせているに違いない。ちょうどいいことに読みかけの文庫本を片手に出かけてきたのは正解だった。常連ということで少々長い間いても、快く迎えてくれるのは分かっている。それが常連の特権でもあるのだ。
厳格な親から言わせれば、
「お前は商売の邪魔だ」
と言われるかも知れないが、回転を重視しているわけではない常連を大切にすることを目的とした店だってあるということを自覚しているからできることで、何でもかんでも杓子定規に考える石頭にだけはなりたくなかった。その証拠に店の人とは仲がよく、常連で集まって花見やクリスマスのパーティなどが催される時には必ず参加していた。そこまでの常連は店としても大切にしたいはずである。
白壁が美しい外観は、まるで軽井沢の別荘をイメージしていた。マスターが軽井沢に別荘を持っているということで同じ造りにしたらしいが、表から見るよりも店の中に入った方が広く感じる。天井なども、
――ここまで高いなんて表からでは想像もできない――
と感じ、これこそまさしく避暑地の別荘を思い起こさせた。
マスターはまだ四十歳代だろう。十年くらい前まではコンピュータ会社に勤めていたようだが、喫茶店をやりたいという思いはずっと持っていたようだ。
――会社に入ってから休日に出かける馴染みの喫茶店が気に入って――
というどこかで聞いたような話だが、実際に始めようなどと考えるなど、マスターの思考回路は常人のそれとはかなりの差があるに違いない。
「ただの怖いもの知らずさ」
とマスターは嘯くが、緻密な計算の元に始めたことは店の設計を見るだけでもよく分かる。
「好きなことだからね」
好きなことならば、それだけ緻密にもなると言うのだろうが、それだけではとてもここまでできないだろう。やはり決断力と緻密さのグラフが一致したところを逃さない目の鋭さというのも見逃せない事実だろう。
喫茶店に入ると、本を取り出し読み始めた。いつも話をする女の子が、その日は遅番ということで、先に本を読むことにした。
本を読み始めると眠くなるのは佐々木に限ったことではないだろう。その日も眠くなってきたが、睡魔に逆らわないのも大切なことである。
――眠くなったら寝よう――
明るい店内なので、そこまで熟睡はできない。却って気持ちよくなるのだ。熟睡をしなくとも気持ちよくなれるのは、本の魔力かも知れない。
今日読んでいる本は、この間からの続きで、ミステリーなのだが、探偵小説というより恋愛小説といった感じで、ミステリーに恋愛を持ち込むのはあまり好きではなかったが、タイトルで買ってしまったのかも知れない。
「故意と恋」
これがタイトルだが、何となく引き付けられるタイトルだ。
主人公の女性は、年齢にコンプレックスを持っていて、それが殺人の動機になるのだが、そんな彼女を好きな刑事が、彼女を犯人だと知っていて何とかしてあげたいという話である。
――年齢にコンプレックスを持つと、殺人にまで発展することもあるんだな――
漠然と読みながら感じていた。
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次