短編集90(過去作品)
言葉にならない呻き声をあげた。部屋には誰もいないが、誰にも聞かれたくないという意識が働くのか、声を押し殺してしまっている。自分から声を上げることを拒み、まわりが気になるのに、神経はふくらはぎに集中している。他のことを考えてしまえば、こむら返りを起こしている足を抑えることができなくなるからだ。
しかし、ここまでくれば、もう抑えることはできない。痛さがこみ上げてくるのを感じながら、足が熱した鉄のようになってくるのをどうすることもできない。
足が攣る時というのは、事前に分かるものである。夢を見ている時はそれを序実に感じることができ、
――来るぞ――
と思うと、一瞬息を飲んで、呼吸ができなくなってしまう。痛さに耐えている時というのは、そういうものではないだろうか。
呼吸ができなくなると、時間というものを意識してしまうようだ。
――もしこのままずっと呼吸ができないほどの痛みが続いたら――
と考えるのだ。
痛みが続くことへの危惧もそうなのだが、呼吸ができないことの方が恐ろしい。息が詰まってしまって、そのままと思うとゾッとする。痛い中、苦しんでいるのにそこまで考えられる自分が、佐々木は恐ろしかった。
案の定、こむら返りが足を襲う。まわりの空気が一瞬止まり、背中に脂汗を感じる。
次の瞬間、呼吸ができなくなり、頭に血が上ってくるのを感じるが、匂いだけは感じるのだ。
――石のような匂い――
呼吸ができないのに匂いだけを感じるなんて実に不思議なことだ。身体が麻痺してくる中で、鼻腔にだけ神経が集中してくるのではないかと感じるが、あながち間違えではないだろう。お酒を呑んだ後、意識が朦朧としている時でも匂いだけは敏感に感じることがあるが、それと同じなのではないだろうか。根拠があるわけではないが、そうでもないと説明がつかない。
意識が遠のいていく中で、耳鳴りが聞こえてくる。「キーン」という音、いつも聞いているようだが、最近聞いたのはいつだっただろう? 痛さで意識が朦朧とする中で考えていた。
そしてもう一つ、こむら返りを起こした時は誰にも悟られたくないと思うのは佐々木だけではないはずだ。
――誰にも触れられたくない――
という思い、そして下手に心配そうな顔をされるというのは、却って自分が不安になるものである。
痛みに耐えている時も、声を押し殺している。静寂な部屋にたった一人で悶絶している様は、まわりの空気をさぞかし重くしていることだろう。
――誰もいないことが却って空気を重くしている――
後から考えれば、そう感じられて仕方がない。
痛みが全身に回ってきて、元々の痛さがどこから来るのか分からなくなっている。それはまだ痛みを耐えている時期で、自分で痛みをコントロールできないからだ。そのうちに痛みをコントロールできるようになると、痛みが元々の痛みに集中してくるようになる。その頃には意識も戻ってきて、
――どれくらいの時間が経ったのだろう――
という考えが最初に浮かぶのだ。
その頃には、ふくらはぎを触ることができるようになるが、全身に痛みが広がっている時にはできなかったことだ。本来であれば、筋肉の硬直がもたらした痛みなのだから、ふくらはぎを揉み解してやると、早めに痛みから解放されるはずなのだ。だが、それができるくらいなら最初からやっている。それだけ痛みは尋常ではない。
痛みの中には同じようなものもあるだろう。
――何かをしてやれば楽になるのに、それを拒んでいるもう一人の自分がいる――
と感じるのだ。反射神経で動く時と、頭から指令を出して動く時とそれぞれあるので、きっと痛みが頭を支配している時は、どちらも同じ瞬間に現われるからに違いない。
こむら返りは、寝ている時に起こることが多い。ほとんどの時が夢を見ている時で、夢の中で痛みが走る予感がするのだ。
後から考えると、夢の始まりから一連の流れがあって、その中に組みこまれたかのようである。それが予感のように感じられるのに違いない。
鬱状態に陥る時のそうであろうか。考えているとキリがない。
夢から覚めて、次第に意識がハッキリしてくると、
――そうだ、昨日プールで泳いだんだ――
ということを今さらながらに思い出す。
起きてくると、いつも同じ行動に移る。その日は仕事が休みだったので比較的ゆっくりできるのだ。もっとも、その日が休みだから、前日スポーツジムに行ったようなものでもあった。
――筋肉痛になることを予測していたのかな――
こむら返りが起こるのは、普段動かさない筋肉を急激に動かしたためであるが、昨日はそれほど無理をしなかったはずである。身体に無理のない動きをしていたはずだと思うのに、これほどの筋肉痛に苛まれるのは歳を取ったせいではないだろうか。
目の前にある鏡を覗きこむ。
「我ながら、まだまだ若いじゃないか」
自分がナルシストだなどと思ったことはないが、大学生と間違えられるかも知れないと思えるほど、若々しく見える。しかし、それは「今時の若者」と違って、清純さが滲み出ているように見えるのは、自分があまりミーハーではなく、まわりに染まりたくないと思っているからだ。
横顔から、斜めから、今まで気にしたことのない角度から見てしまう。
――今まで鏡を見ることなどほとんどなかったんだが、これだったらこれから毎日見てもいいな――
と思えるほどだった。
学生時代は鏡が嫌いだった。特に小学生の頃までは、坊ちゃん坊ちゃんしたところがあると言われていたので、それが嫌いだった。
特に小さい頃は母親に連れられて行った散髪屋で、坊ちゃんカットにされる。母親がなぜ気に入っていたのか分からないが、
――僕はお母さんのおもちゃじゃないのに――
と子供心に感じたものだ。
特に散髪屋の椅子の前にある大きな鏡、そこに写し出される自分の顔が嫌だった。
――睨んでも怖くも何ともないや――
子供だから凄みを出しても怖くないのは分かっているが、それを考慮に入れた上で見ても納得のいく表情になってくれない。しかも声変わりも遅かったことから、本当に坊ちゃんと言われても仕方ない雰囲気だった。
大学に入った頃からだろうか。それでもいいと思い始めた。坊ちゃんと言われることもなくなり、大人しい性格に見られるようになったのはいいことである。
どうしても人に染まりたくないという考えでいると、その他大勢が苦手になり、友達は多くとも、あまり深入りすることのないようにしている。
それでも将来のことや夢の話をするのが好きな佐々木は、性格はまったく違うが、妙にうまが合う湯川とは長い付き合いなのだ。
洗面所で毎日鏡を見ているが、最近は少し雰囲気が変わってきたのを感じていた。悪い方にではなく、どちらかというといい方なのだが、どう変わってきたか、言葉で言い表すのは困難だった。
洗面所の鏡で見る自分の顔は、自分が考えている自分の顔よりも小さく見える。
――だから、最近は嫌いじゃなくなったのかな――
と感じる。小学生の頃は、坊ちゃん顔だったにもかかわらず、顎だけは張っていた。そのアンバランスが自分の顔の中で一番嫌いだったと言ってもいい。
「お前の顔はどうしてそんなに大きいんだ?」
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次