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短編集90(過去作品)

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「皆、それぞれ成功すればするほど不安なんだよ。いつも前ばかりを見て突き進んでいくんだが、時々足元がなくなったら、なんていう気持ちに苛まれることがある。だから、今を大切にしようと思う気持ちが人一倍大きいのかも知れないな」
 まったく違う人を感じるようになるというのは、人生の中で何度かあることだ。自分にはなれないことが羨ましく感じるもので、特に成功者と言われる人は、自分の目標にしているものをある程度手に入れた人である。手に入らないものを、無いものねだりとして欲しがるというのも無理のないことだが、まるで子供のようなところがあって、憎めないのである。
 人それぞれの立場で、悩みや苦しみを抱えているものだ。しかし、自分とはあまりにもかけ離れている連中の悩みや苦しみなど、聞くまでは分かるはずもない。
 しかし、妙にうまが合う。大学時代は逆に緻密な連中ばかりがまわりにいたにもかかわらず、就職すると急にまわりには成功者が寄ってくるようになった。
 就職活動の時に、その兆候はあった。
 就職活動中に行われたグループディスカッションで、佐々木は正論側には立たなかった。天邪鬼なところのある佐々木は、
――どうせ駄目なら目立っちゃえ――
 というところがあり、それ以前に行われた筆記試験が最悪だったことで開き直っていたのだ。
 大物と言われる連中は得てして反対論者に回るようだ。しかし同じ反対論者でも、佐々木の論理に真っ向から反対する路線を敷いてくる。本当は二つの意見なのに、あたかも三つの意見が対立しているような雰囲気になる。試験の間は激論を戦わせた人たちも一たび終わると、
「お前なかなか面白い意見を持っているな」
 そういって帰っていった人とまた違う会社で会うこともあった。相手はしっかり覚えていてくれて、
「また一緒か、今度はお手柔らかに頼むよ」
 と、背中を大袈裟に叩く。悪気のないことは分かっており、いかにも器の大きさを感じさせる。
 そんな一人が湯川だったのだ。
 湯川の家は、元来がスポーツ好きの家庭らしい。
「身体を動かすのっていいよな」
 そういわれて着いてきたが、なるほどストレス解消にはもってこいだ。あまりストレスを感じることなく仕事しているつもりだったが、実際にジムに来てプールで泳いだりすると、あまりにも軽快に動けるように感じることで、却って普段からストレスの溜まっていることを思い知らされたようで複雑な気持ちだ。
 小学生の頃に好きだったブランコを思い出した。足で地面を蹴って、手でぶら下がっている紐を引き寄せるようにして漕ぐブランコは、身体が宙に浮いているような心地よさを感じさせる。前に動いたかと思うと、今度は後ろに下がってくる。風を切るような心地よさに酔っていたものだ。
 それでいて、中学生くらいになってから遊園地の絶叫マシーンと呼ばれるものは苦手だった。ジェットコースターなどのようにまるで限界に挑戦しているような乗り物の、どこがいいのか不思議でならない。きっと冷めた目で見ていた子供だったに違いない。
「身体に無理のない心地よさ、これが最高なんだよ」
 と友達に話していたが、まるで子供扱いされてしまった。
「お前は勇気がないな」
 勇気の問題なのだろうか。
 久しぶりの水泳で、身体が動くかどうか不安だったが、身体が覚えているというのは本当のようだ。忘れているつもりでも、水を掻く仕草を数回繰り返しただけで、腕が振れてきて、しっかりと中学時代の感覚がよみがえってくる。
 中学時代といえば、水泳部に所属していたこともあって、それなりに身体の使い方は水泳をしていない人たちとは違っている。特に水泳は全身運動である。湯川のように均整の取れた身体は水泳なくして育まれるものではないだろう。たとえ他のジムをいくらやっても、水泳をやっていない人との身体つきは今までに水泳をやっていた人間から見れば、一目瞭然の違いがある。
「どこが違うんだ?」
 と聞かれても一言で言い表せるものではない。よく「逆三角形的な肉体」などと言われるが、まさしくその通りである。水泳でも競技によって筋肉のつき具合が違うだろうが、やっていない人に比べれば、相当の違いだろう。湯川は有名選手とまでは行かないまでも、水泳に関して素人でないことはハッキリと分かっていた。
「なかなか筋がいいな。水泳をやっていたのか?」
 湯川に言われたが、さすが同じことを考えているらしい。
「中学の頃に少しね。でも、あれからほとんどやってないから忘れてしまっているよ」
「だけど身体は覚えているものだろう? 俺も少しだけ遠ざかっていたが、学生時代は少しやっていたんだ」
「そうだろうと思ったよ。身体つきを見れば分かるよ」
「それはお互い様だったようだな」
 プールから上がって、自動販売機で買っておいたアイソトニックドリンクで喉を潤しながらの会話である。別にプールで泳いでいる時、プールの水を飲んだわけでもないのに、なぜか水腹になっていることがある。呼吸の関係で、お腹に水が溜まったような気分になるからだろうか、少し変な気分になる。ミネラルウォーターではさらに水を飲むみたいな気分になるし、炭酸飲料などもってのほかだ。
――それでは――
 ということで、水泳をした後はアイソトニック飲料が一番シックリ来る。
 プールから上がって表に出るとお腹が空いてきた。軽くサンドイッチのようなものを食べてその日は解散したが、さすがに家に帰り着いた頃には、身体に張りを感じていた。
――久しぶりの運動で、さすがに筋肉がビックリしているかな――
 と思わず苦笑してしまったが、部屋に入るなり一気に襲ってきた睡魔に勝てなかった。布団もそこそこに、眠ってしまっていたようだ。
 夢を見たのか見ていないのか定かでないが、気がつけばまだ夜中だった。
 自分としては夜中だという意識はない。ちょっと起きるのには早いが、早朝だという意識が頭にはあった。新聞配達や牛乳配達の自転車が、まだ街灯の明るさが残る朝焼けの中を走っている光景が目に浮かんだ。
 住宅街の丘の上から自転車が走って降りてくる。その後ろには朝焼けを隠すかのような厚い雲が横たわっている。天気はいいのだが、雲が横たわっているという光景は、きっと暑さをしのぎたいという気持ちの表れだろう。そういう時に限って身体が火照っているものだ。
 昨夜、水泳をしたのを思い出したのは、身体の火照りを感じたからだ。足が浮腫んでいる。ふくらはぎが張っているように感じる。ちょっと身体を動かせばこむら返りを起こしそうなのだが、それでも目覚めのために伸びをしたくなる。身体を伸ばしてあくびをしたくなる気持ちを必死に抑えているかのように歯を食いしばっているが、どこまで耐えられるか分からない。
 背中がゾクゾクして、目が覚めてくるのが分かってくるのだが、目を覚ますには身体を伸ばさなければならない。涙腺が緩んで、涙が出るのを抑えることができずにいると、またしてもあくびをしたくてたまらなくなる。今度は抑えることができない。
「うっ」
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次