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短編集90(過去作品)

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「コツッコツッ」
 やはり音がどこからともなく聞こえてくる。さっきまで歩いていた道の方から聞こえてくる感じがして、音の感覚も少しゆっくりになったように感じる。
――やはり追われているんだ――
 と感じずにはいられない。
 誰かに追われなければならない理由などどこにあるというのだろう?
 そういえば、小学生の頃にも同じように誰かに追われていたという記憶がある。学習塾に通っていた頃で、その頃ちょうど通り魔事件がちょくちょく起こっていた頃だった。実際に誰もいなかったが、その時は怖さから走り出し、気がつけば交番に駆け込んでいた。
「だ、誰かに追われているような気がするんです」
 ちょうどいた警官の人が表に出ていろいろ探してくれたが、誰もいなかった。そこから家まではそれほど離れていなかったので、その時は父親に迎えに来てもらった。
「お前は臆病だな」
 そういって、笑いながら交番まで来てくれたが、さすがに最近事件が多発しているので父親も心配になったのだろう。
 それからというもの、少しの間川津少年は落ち込みが激しかった。鬱状態とまでは行かないだろうが、普段の自分との違いを明らかに感じていた。しいて言えば限界のようなものを垣間見たのかも知れない。
 普段から考えごとの多いのは、少年の頃からで、特に少年の頃というと後ろを見ることなく、前ばかりを見ていたものだ。それほどいろいろな経験のない少年に、前を見ても限界が見えるはずもない。だからこそ考えごとをしている時というのは怖いもの知らずで、何か怖い経験をすることで、考えごとをする時に怖いものを想像してしまうと、落ち込んでしまうのも仕方のないことだろう。
 そんな少年時代を思い出していた。
 だが、後ろに怖さを感じたのはその時だけで、誰かに追われているという感覚はそれ以来なかった。
――やっぱり思い過ごしだったのかな――
 と感じることで、落ち込みは徐々に解消されていった。
 落ち込みの原因が解消されれば、普段に戻るのはそれほど難しいことではなかった。ただの落ち込みだった証拠でもある。もしそれが鬱状態であれば、そうもいかなかったはずだからである。
 鬱状態というのは、陥る時が分かるものである。
 何が原因で陥るのかは分からない。ただ、何となくまわりが黄色く見えてきたり、胸がゾクゾクしてきたりと、それが精神状態より起こるものなのか、それともこれから精神状態がおかしくなるのかどちらなのか分からないでいる。
 それを感じ始めたのは大学生になってからだ。
「大学生のような精神的に一番余裕がある時に鬱状態になるなんて贅沢なんだ」
 という声が聞こえてきそうである。実際、鬱状態というものを知る前であれば、川津も同じことを考えただろう。確かに大学生というと、ある程度のことは許され、気持ちにも余裕の持てる時期であるが、逆に考えれば、それだけ考えすぎてしまうのだと言えなくもない。特に考えごとの多い川津である。鬱状態に陥るなら、むしろ余裕のありすぎる時だろう。
 それから鬱状態は定期的に襲ってくる。陥る時も分かれば、鬱状態から抜ける時も分かるようになっていた。鬱状態が臆病とは限らない。だが、落ち込んだ時に感じたことのなかった限界が見えてくるような気がするのだ。
「自分の限界が見えてくるほど寂しく、辛いものはないでしょう」
 テレビドラマのセリフにあったのが印象に残っていた。前後の流れは覚えていないのだが、その言葉だけが印象的だった。それだけに、いくらでも解釈できる言葉でもある。
 最近鬱状態のなかった川津だが、今のところその兆候はないので安心していた。かといって精神状態が安定しているというわけではない。確かに心配ごとというのがあるわけではない。どちらかというと平穏なのだが、それだけに余計なことを考えたりする。
――本当なら彼女もできて幸せなはずなんだけどな――
 と考える。
 彼女がほしくてたまらなかった頃の方が、何か今よりも精神的に活性化していたように思えるのは気のせいだろうか。幸せな気分じゃないといえば嘘になるだろう。だが、気持ちの高ぶりがある程度まで来ると、今度は頂点が見えてくるものなのかも知れない。いわゆる飽和状態になってしまって、今まで感じていたことに感じなくなってしまう。
 やはり限界であったり、頂点が見えてくると、自分のいる世界が急に小さく感じられるのだった。
 公園を横切ってまっすぐに歩いていくと、また靴音が気になってきた。革靴の乾いた音はさっきと少し違っているのに気付いたが、それは音に慣れてきたからだろうか。
――それにしても、直線に入ると必ず聞こえてくる――
 さっきの田舎道にしても、気付かなかっただけで最初から乾いた靴音が聞こえたのかも知れない。そういえば、最初は風がきつく、耳を通り抜ける風の音だけが気になっていたようだ。
 直線に入ってすぐに小さなタバコ屋がある。駄菓子屋も兼ねたお店で、おばあさんが店番をしているような、昔からのタバコ屋である。そこでタバコを買ったことはないが、小さい頃に駄菓子を買った記憶はあった。あの時は友達数人と公園で遊んだ帰りに買いに行ったものだ。小さい頃は少し距離を感じたが、
――これほど近かったんだ――
 と大人になって、今さらのように感じていた。
 子供の頃というと、自分の感じている世界が大きく感じられたものだ。大人になって、これほど狭い世界の中にずっといたんだと思うのは川津だけではあるまい。
 タバコ屋のおばあちゃんの顔が思い浮かんでくる。昼間は会社に行っているので、顔を見ることはないが、朝など、ここを通りすぎる時は公園で遊んでいたことを思い出すことはあまりなくとも、駄菓子を買いに来た時のことだけは思い出すことがある。いつもニコヤカなおばあちゃんの顔が浮かんできてはすぐに消えてしまうのだが、タバコ屋が今でも変わらず残っていることで思い出すのだろう。
――やっぱりこの音は、自分の革靴の音だ――
 と感じたのは、タバコ屋の前で立ち止まった時だ。湿気のためか空気が濃密なためにこだまのように聞こえてくるので少しだけ時間差があるが、やはり自分の靴音である。
――いつもであれば、もう家に辿り着いてもいい時間なんだが――
 そう感じて時計を見る。
 確かに駅を降りてからそろそろ二十分が経つ。家に帰り着いていないまでも、家が見えてきてもいい頃なのだが、まだそこまで辿り着いていない。
――近くまで来ているのだが、どうしたんだろう――
 いつもと同じスピードでないことは間違いないが、感覚的なもので言えば、家まで帰っていても不思議ではない。それだけその日はまわりが気になっていたのか、いつもと違った雰囲気なのかである。
 いつもと違う雰囲気なので、まわりが気になっていたというのが正解だろう。
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次