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短編集90(過去作品)

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 彼女は学生時代から音楽をやっていた。ピアノを弾いていたのだが、自分で曲を作ったりもするらしい。時々コンテストにも応募しているようだが、なかなか入選しないと言っていた。やりがいを持った生活をゆとりに結び付けているのだ。
 残業時間を自分で決めたのもそのせいだった。気持ちにゆとりを持つことは、規則正しい生活から育まれるものだという考えがあるからで、残業時間を決めたのも、午後九時の電車で帰ろうということを考えた上での逆算からだった。
 午後九時の電車に乗ろうと思えば八時半に仕事を終えるのがちょうどいい。しかも午後九時の電車というと、それほど客が多くないのだ。それより遅くなれば、九時まで呑んでいた連中が乗ってくる恐れがあるので、多いことは想像できる。そういうところに機転が利く川津は、そこが他の人と違うところだと自覚している。
「お前は道に迷っても何とかする男だな」
 と言われたことがあるが、まさしくその通りなのだろう。
 学生時代に友達数人と初めて行った土地で道に迷った時の話をしたことがあったが、その時に言われたものだ。他の人は、漠然とした答えしか持っていなかったが、川津は自信を持って答えた。
「川沿いに歩いていけば、必ず駅に着けるさ」
 駅を降りた時に、川があることを気にしていた。あまり大きな川ではないが、駅前の通りに掛かっている橋には「一級河川」と書かれていた。
 実際に向った目的地までは近道をしたこともあって、川とは反対方向に歩いていたのだが、途中でまたその川を渡ることになったのだ。途中から川と平行して歩き、目的地は川のすぐ横にある。
「必ずしも最短距離ではないんだけど、どうしても迷った時っていうのは最短距離を考えてしまうだろう? それがきっと盲点なのさ」
 目先を変えることで、見えなかったものが見えてくる。見えてくればそれが常識のように思えてくるのも無理のないことで、生活をしていると、得てして同じようなことがいっぱい転がっているように思えてならない。それが川津の性格でもあった。
「お前は強かだな」
 とよく言われるが、強かさだって、気持ちのゆとりから生まれるものだ。いわゆる発想の転換というやつである。
 電車に乗るのもいつも同じ車両である。疲れた顔のサラリーマンが、ほとんど下を向いて乗っていて、中には露骨なイビキを掻いて寝ている人も多い。時間的にアルコールの入っている人は少ないだろうから、本当に疲れ果てて寝ているに違いない。
 いつもほとんど決まった人である。同じ人が多いのもこの時間の電車の特徴なのか、それとも人が少ないからいつも同じ人だと思えるのか、たぶんその両方であろう。
 あまり少ないと、今度は車内を見渡すにも難しい、車両の中心に向っての対面式の電車ではなく、進行方向へ向って正対できる車両なので、車両の先頭から後ろを見渡さない限り、確認はできない。適当に席が埋まっているから後ろから見て雰囲気で大体いつもと同じかどうかは分かるものなのだ。
 しかしそれは意識してのことではない。意識せずに乗った瞬間に車両を見渡すのが癖になっていて、違和感があれば気がつくという程度のものだ。意外とそれくらいの方が気がつきやすいものなのかも知れない。
 その日も何も感じることなく電車に乗った。電車の席に座ると疲れを感じる。しかし、乗っている時間が三十分、中途半端な時間だ。長くもなく短くもない。しかも快速電車ということで、停まる駅は少なく、スピードは速い。
 眠気を一番感じるのだ。何とか乗り過ごさないようにするには、電車の中で本を読むことはできない。いつも窓の外を見ているが、都会のネオンサインが通り過ぎるのは、最初の数分だけで、あとは、明かりが点々とした暗闇をひたすら走っている。
 表が暗いと、中の明るさで車窓には車内の景色が映し出される。表がハッキリと見えなくなると、そこから時間が経つのがまた長いのだ。しかも乗った時にいた乗客の半分以上はそこまでに降りてしまっていて、車内はポツポツとしかいない。
 車内を気にすることもなくなっていたが、そこから一気に寒さを感じてくるのは、明らかに乗客が減ったからだ。
 電車は田舎を走りすぎる。スピードはどんどん上がっているようで、このあたりから睡魔が最高潮に達するのだ。
――帰り着いたら、このまま眠ってしまうのではないだろうか――
 とも思えるほどで、惰性に近い思いで表を眺めている。
 大きくカーブするところが途中にあるが、そこを通り過ぎる時だけは、なぜか意識があるのだ。
――ここから世界が違っているのかも知れない――
 と大袈裟なことを考えることもあるくらいである。
 カーブはほとんど九十度に近いもので、ゆっくりと時間をかけて曲がっている。それだけに夜の暗闇ではあまり意識しない人も多いことだろう。実際に川津も、最初の頃はカーブにあまり意識がなかった。
――少し傾いているな――
 という程度で、特にカーブの表になる方に座っていれば意識することもない。
 朝は内側から光が当たる。朝日が差し込んでくるとブラインドを下ろすので、意識することもないだろう。最初から朝日の当たらない方に乗るように意識していたので、内側からの光景を知ったのは、午後に乗るようになってからである。
 あれは体調を崩して早退した時だった。吐き気を催して、その後に襲ってきた頭痛によって、もはや仕事に耐えられず、病院で点滴治療を受け、そのまま早退したのだった。初めて見る反対側の光景を漠然と見ていた記憶だけがある。時間的にはあっという間だったように思うのは、後から思い出すからだろう。それだけ車窓からの風景は印象に深くなかったのだ。
 だが、その時にやたら印象に残ったのが、カーブの光景だった。真ん中付近の車両に乗ったのだが、カーブに差し掛かってすぐに見え始めた先頭車両、そして終わりかけに見えてきた、最後部の車両、どちらもマジマジと見ていた。何か不思議な感覚に陥ったのは、まるでメビウスの輪を思い起こしたからに違いない。
 異次元とまで言えば大袈裟だが、こんな光景を見れるところは、そうもないだろう。田舎なので、遮るものもないので、次の停車駅が普通に見えたりする。
――まるでオアシスのようだ――
 まわりに山もなく、広がっている平野に敷かれている線路、その途中に要塞のごとく浮かんでいる駅は小さいが、まさにステーション。しかも快速で通過するので、滑り込むように入り込むと、後はあっという間に、別世界の光景を見せてくれた。同じ田園風景なのだが、明らかにカーブの前とは雰囲気が違っている。
 夜の世界との違いを意識したのはきっとその時だったのだろう。
 そんな昼間を思い出しながら、その日もカーブに差し掛かっていた。身体に傾きを感じ始め、落ちていくような感じがしたのは何なのだろう?
 夢を見ていたような感覚に似ていたが、夢を見るだけの時間があったわけではない。もちろん意識はしっかりしていたし、いつものように何かを考えていただけだ。
 ただ何を考えていたかということを思い出せないのだ。普段なら、つい今のことであれば思い出せるはずなのに、思い出せないところが夢を見ていた感覚と似ている。
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次