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短編集90(過去作品)

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その日…



                その日…


 いつもと同じ時間、同じように歩いていても、その違いに気がつく時と、気がつかない時がある。気がつく時は偶然に気がつく時なのだろうか。それとも、気がつかなければいけないものを気付かずに漠然と過ごしているだけなのか、ハッキリとは分からない。それが人生における節目だったり、折り返し地点だったりすることもあるはずだ。
 人によって違う場合もあるだろう。ジンクスなどを持っていて、家を出る時には必ず右足で敷居を跨ぐなどといった癖を持っていて、それを実行できないと不安な一日を過ごしてしまう。そういう人はちょっとした違いにも敏感で、人から神経質だと思われるに違いない。
 ここにある男が一人、普段と同じことをしているのが惰性のようになってしまっていたが、ちょっとした違いに気付くことで、違った体験をしてしまった。そのお話をしていくことにしよう。

 最近は残業で、定時に帰ることがなかなかない川津茂は、平凡なサラリーマンである。若い頃は残業も苦にならずにしていたが、最近の残業には気が滅入っていた。
 そのせいか同じ残業でもいつも同じ時間に帰ることにしている。定時は六時の会社であるが、最近の仕事量を計算し、自分なりの定時を午後八時半と定めていた。そうすることによって、苦痛な思いを少しでも和らげようという気持ちの表れである。
 そろそろ三十歳を迎えようという川津にとって、それが数年のサラリーマン生活で培った知恵のようなものだと思っている。
 家に帰っても一人なのだが、ちょうど一ヶ月くらい前にできた彼女のおかげで、気分的にはかなり楽である。時々部屋に来ては掃除をしてくれ、そのまま泊まっていくこともあった。どちらかというと無精者の川津にとっては、精神的にも肉体的にも、そして生活していく上でも、すべての面でありがたいことだった。
 付き合い始めた彼女というのは、取引先の事務員である。
――可愛いな――
 と漠然と感じてはいたが、バレンタインデーにチョコレートをもらい、いくら義理でも嬉しいと思っていた。ホワイトデーにお返しをすることで、その場は終わるはずだったのだが、
「今度、お食事でも連れていってくださいませんか?」
 というお誘いを受けた時にはさすがにビックリした。
 天にも昇る気持ちで頬を抓ってみたりした。
――どうして皆夢じゃないという確信のために頬を抓るんだろう――
 という疑問が頭を掠めた。痛ければ夢じゃないということなのだろうが、誰がそんなことを言い出したのだろう。
――どこに根拠があるというのだ――
 ということを考えるのも、有頂天になっている時でも、心のどこかに余裕があるのだという不思議な気持ちにさせられたからかも知れない。
 食事に行くと思ったよりも会話が弾んだ。元々話し上手なところがある彼女なので、川津が何も言わなくとも、話題は勝手に相手が作ってくれる。今まで付き合った中ではいないタイプの女性だった。
 学生の頃に付き合った女性、皆物静かなタイプの女性だった。今までは物静かなタイプの女性を引っ張っていくのが男としての喜びだと思っていた川津だったが、案外、話題性豊富な女性の方が気が楽なのを知っていて、それを心のどこかで望んでいたのかも知れない。
 社会人になってある程度楽する方法を覚えた。一生懸命にやってうまくいかなくてもいいと評価されるのは、最初だけである。ある程度経験を積むことで、それらを克服する術を持つのも社会人になって大切なことで、そのためには意識改革も必要である。
――最小限の努力で、最大の効果を挙げること――
 これが「できる社会人」だという認識である。
 学生時代に勉強した経済学を思い出す。ハッキリとした定義は覚えていないが、確か同じようなものだったはず。仕事を覚えながら思い出すのだから、やっぱり学問は素晴らしいものだと感じていた。彼女ができるとすれば、そんな彼女を待ち望んでいたのかも知れない。
 そんな川津が、最近は仕事にも慣れてきて、一番脂が乗り切った時期に差しかかってきていることも自覚していた。
 役職も主任という肩書きがついて、第一線で仕事をする上で、時間を感じずにできる年齢でもあった。
 しかし、さすがにどんなにやりがいのある仕事であっても、ストレスは溜まるもので、その解消法を模索し始めていた。それも楽しいもので、本を読んでみたり、たまにチケットをもらって野球観戦に出かけたりすることが多い。さすがに野球観戦は休日が多いが、本は毎日でも読める。帰りの電車の中で読むのはきつく、そのため寝る前に読んだりしていた。
 本を読むと眠くなる。これは川津に限ったことではないだろうが、本当に目を開けていられなくなるほど意識が朦朧としてくるは自分だけではないかと思うほどである。
 生活のリズムが狂ったことがあった。いわゆる体内時計が狂ってしまったのだ。深夜に起きていることが多かったので、そのせいもあってか、一時期夜眠れないことがあった。そんな時に読書をすることで、眠れるようになったのだ。眠れなかった原因に、精神的にゆとりがなかったことを、読書をしていて気付いたのだ。
 精神的なゆとりとは何だろう? 不規則な生活をしていても、その中で何が大切かということをしっかり認識していれば、そこから生まれてくるのがゆとりなのではないだろうか。
 本を読むということは、生活のリズムとともに、想像力を掻きたててくれる。毎日仕事をしているとはいえ、同じことの繰り返しに他ならない。第一線で頑張っている分にはいいのだが、そこに役職がつくと、きっと面白くないだろう。
 気概を感じて頑張る人もいるだろうが、川津には似合わない。自分から何でもする方で人を動かしたり使ったりするのは苦手なのだ。
――それまでに趣味を見つけないと――
 と思っていた。野球観戦のようにストレス解消の特効薬は、気持ちにゆとりを持たせてくれるところまではいかない。そういう意味での読書は、時間を感じさせることもなくできるので最高だった。
 如何せん、眠くなるのが欠点でもあった。会社の帰りに電車の中で本を読んでいて、乗り過ごしたりしないか不安になることが何度もあった。実際に眠くなりそうになったら、本を閉じるのだが、本を閉じてもまだ眠い時がある。
 電車の揺れが睡魔を誘うのだということに気付いたのは、その頃だった。
 今さらながらに気付いたといってもいいくらいなのだが、電車に乗っている時間が長いので、気付いたようなものだった。
 電車の中で表を漠然と見ているつもりでも、いつも何かを考えている。読書をしていない時はほとんど表を見ているが、毎日同じ光景を見ていて飽きないのは、毎日いろいろなことを考えているからだろう。
――気がつけば降りる駅についていた――
 なんていうことも何度かあった。
 川津が同じ時間に退社するようになったのも、気持ちにゆとりを持ちたいという表れである。そんな気持ちにさせてくれるのも、彼女ができてからなのかも知れない。
 気持ちにゆとりを持つことを大切にしている彼女、お互い一緒にいる時間を大切にするのだが、それも自分の時間を大切にできるからだという考えを持っている。
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次