短編集90(過去作品)
という思いが強くなる。ここに来た理由は死を選ぶかも知れないという中途半端な気持ちだったのは、きっと、ここで利美に出会うということを予感していたからに違いない。そうでなければこの世に未練を残さないはずである。
今までの半生を思い浮かべていた。人とほとんど恋愛らしい恋愛などしたこともなく、当然失恋というものをしたこともない。
――一度くらいはしてもよかったな――
などと考えるが、今までは恋愛など事業の楽しさに比べれば屁でもないと思っていた。
――恋愛なんて、それ以上の楽しみを知らない人間たちの絵空事さ――
と考えたのは、人間が一人では生きられないということを自分に自信のない人たちが考えることで、自分には関係ないと思ってきたからだ。
一人で大勢の人間を動かすことは難しいが、それができるのは一部の人間に与えられた能力である。その一部の人間の一人が自分であると信じて疑わなかった。
これだけの自信がなければ事業を起こすなどできないだろう。しかし、その気持ちは中学の時に初めて感じたように思っていたが、本当にそうだろうか。それ以前にも心の中で燻っていて、頭のどこかでまわりの人を見ながら、
――自分は他の人とは違うんだ――
と感じていたことは間違いない。友達と同じような行動をしたくないと思いながら、天邪鬼じゃないかと思っていたことも否めない。
いわゆる反抗期と言われる時期に、逆らっていた気持ちの中に多少のわがままと思うようなことがあったのを自分でも分かっている。しかし、それは反抗期という時期だということを自分に言い聞かせていたことで、うやむやにしてしまっていたのだ。
わがままという言葉、今でも嫌いである。
「わがまま言うんじゃありません」
反抗期の子供に言い聞かせる一番多い言葉ではないだろうか。他の子供に言われていることであっても、まるで自分に言われているようでドキッとしたものだ。いや、この歳になってもどこかからか聞こえてくると、ドキッとしてしまう。
親に対してコンプレックスを持っていた。自分たちの型に嵌めようとする教育方針に少なからずの反発心があるのだ。親とすれば子供に、
――まともな大人になってほしい――
と考えればこそなのだろうが、子供にだって意志はある。元々親も子供の時代があって反抗していたはずなのに、どうしてなのだろうと考えるが、やはり時代の違いというのだろう。
親が生まれ育った時代は、
――父親のいうことは絶対――
の時代だった。親に逆らうことなど許されない。そんな教育を受けてきた親たちは、自分の子供にも同じように考えてしまう。特に一つのことを律儀に押し通そうというような実直な性格の人ほどそうなのだろう。昔であれば
――頑固親父――
と言われる人たちに違いない。
坂下の父親もそんな父親だった。だから自分が事業家を志した時も、
――父親の血を引いているんだ――
と感じたものだが、宮仕えに甘んじている父親との違いを自覚してから、父親への尊敬は失せてしまったといっても過言ではない。その頃から孤独感がエネルギーになるのだと思うようになっていた。
だが、似た者同士というのは得てして反発しあうもの、磁石の同一極が反発しあうのと似ているだろうか。いや、似ているようで少し違うところが反発しあう理由という意味では違うだろう。まったく同じ考え方の人間など、そういるものではない。特に親子だと他人よりも考え方の奥が分かるというもので、それだけにじれったさのようなものを感じるのだ。
――事業家になりたいと感じたのは、親へのコンプレックスを解消したいと思ったことがきっかけかも知れない――
もしそうだとすると、きっかけとしては薄いものだろう。だが、少なくとも実際に独立して事業を起こすところまで行ったのだ。きっかけとして薄くとも、身になったという意味でも、それだけ父親へのコンプレックスが強かったに違いない。
父親は子供に事業家になって独立するような人間になってほしかったのだろうか。そうは思えない。すでにこの世にいないので聞くことはできないが、堅実な道が信条だった父親にとって、ギャンブルとも見えるだろう。ことごとく親に逆らっても失敗をしなかった坂下は、
「そら見ろ、言わんこっちゃない」
と言わんばかりの父親の顔が目に浮かんで、癪に触る。反発心が残っているとすれば父親に対してだけであろう。
ある程度落ち着いたのかファイダーから目を離した利美は、
「以前にあなたに会ったことがあるような気がしていたんですよ。というか、あなたが、私の目の前に現われるという予感もあった。それを待っていたように思うんですが、まさかここでお会いすることができるとは思いませんでしたわ」
「私もあなたに会ったことがあるような気がしていたんですが、あなたのお顔には記憶がないんですよ。不思議なんですけど」
と、言って利実を見つめた。すると、かつて見た夢が次第に思い出せれてくる。
あれは本当に夢だったのだろうか? 夢にしてはリアルだったが、目が覚めてグッショリと汗を掻いていた記憶がある。まさしくその時に見た夢が原因だった。
怖い夢? そう確かに怖い夢、恐怖心を煽るような夢で、何に対しての恐怖だったのかを思い出していくと、夢が次第に明らかになってくる。
まず恐怖心を感じたのは、徐々に分かってくる自分がいる場所だった。
最初に見えたのは、目の前に川があることで、どうやら台風でもあったのか、かなり淀んだ水が勢いよく流れている。
知っているはずの川ではないのに、元は川原には大小無数の石が落ちていて、その間をせせらぎの音と共に流れているような小さな小川だったに違いない。それが一気に濁流と化したのは、まわりのごみや土を飲み込むように巨大になっていったからだろう。特に向こう側には丘のような山が見えるのだが、道になって繋がっている場所から手前まで浸水してしまっている。
きっとその手前に橋が架かっていたのだろうが、水の下に水没してしまったのか、それとも濁流に流されてしまったのか、確認するすべがない。
――向こう側に人がいれば、孤立してしまうだろうな――
と思いながら道を手前から眺めていくと、
――おや――
中腹くらいまで目で追った時だっただろうか、そこに一人誰かがいるのを発見した。
それほど遠い距離ではないが、ハッキリと確認できない。その人が男なのか女なのかも分からないし、年齢ももちろん判別できない。
もやが掛かっている。嵐が過ぎ去ってまだ時間が経っていない時には、もやが掛かっているものだという先入観の元に見ているからなのか、それとも、夢の中で、
――男性なのか女性なのか、どちらであってほしいのだろう――
ということをゆっくりと考えていたからかも知れない。
次第にもやが晴れてくると、実際に感じていたよりもその人が小さく見える。
作品名:短編集90(過去作品) 作家名:森本晃次