短編集89(過去作品)
――私との会話をそれだけ真剣に考えてくれているのか、それとも、最初から話しておかないと駄目だと思う嘘のつけない性格なのか――
どちらにしても今まで節子のまわりにいなかったタイプの男性である。きっとかなりの覚悟の元に話したのだろう。そういう意味でも普段からあまり女性と話すことのないといっていた言葉に嘘のないことを感じた。
「離婚なんて今は珍しくないじゃないですか。そんなに深く考える必要はないと思いますよ」
諭すように話したが、節子にしてみれば話したというよりも口から言葉が出てきたという表現がピッタリな気がした。確かに節子のまわりでも離婚した友達が何人もいるし、会社で雇っているパートさんの中にもかなり離婚経験者がいるようだ。
話したあとにハッとして幸雄の顔を見た。少し失礼なことを言ったのではないかと思ったからだ。いろいろ複雑な理由が絡んで、結果的に離婚ということになるということを聞いていただけに、今の言葉はあまりにも軽率に思えたからだ。しかし、幸雄の顔に嫌悪感は感じられない。少し安心した。
「ごめんなさい。少し軽率でしたわ」
と言って謝ると、
「いえ、そんなことはないです。あなたが気にしていないことが分かって、僕も安心しました」
という返事が返ってきて、ホッと胸を撫で下ろした節子だった。
節子には結婚はおろか、恋愛の経験もそれほどない。離婚したということは、一度は結婚という人生の中での幸福も知っているということで、もちろん離婚という地獄も知っている人である。それだけに、幸雄との距離を感じてしまうのは無理のないことだろう。
だが、幸雄という男性の性格なのだろうか、そんなことを感じさせない会話がそこにはあった。幸雄にしてみれば離婚してから、いくらか女性に対して見方が変わってしまっているだろう。ひょっとして女性不信に陥っていた時期があったかも知れない。
節子と知り合って最初に感じたことは、
――以前から知り合いだったような気がする――
ということであった。あどけない笑顔を見ていると、
――どうして今まで彼女が独身でいるんだろう――
信じられないのは、きっと以前から知り合いだったように違和感がないからだろう。
節子から見て幸雄という男性は、
――余裕を感じさせてくれる人――
だったのだ。確かに出会いもなかった。今までに出会った男性が節子と相性の合わない人ばかりだったのも事実である。節子は無意識にそんな男性を寄せ付けない雰囲気を醸し出していたのだ。
そんな連中に限ってお喋りである。
「あの女、何様のつもりなんだ。お高く留まりやがって」
ここまでひどい言い方ではないまでも、同じような性格の連中は、得てして集まるもので、集まれば悪口が飛び交うのはいつの世でも同じこと、さぞや節子の悪口が飛び交ったことだろう。
そうなれば他の人にも噂は広がり、元々人との交流を好まない節子なので、悪口が本当のこととして伝わってしまっても、それを否定することはできない。
だが節子も、
――そんな男性に好かれたくもないわ――
と思っているのだろうが、意地になっているわけではない。
だが、きっとまわりの見方もさまざまに違いない。節子の耳に聞こえてくるのはあまりいい噂ではないものばかりというのも辛いものだ。
幸雄には節子の中に何かしらのわだかまりがあるのを感じていた。それは自分も同じようにわだかまりを持っているからである。それまで誰にも話していなかったが、もし節子と付き合うようになれば、そのことを話しておかないといけないと思っている。
時期の問題であるが、本当は最初に話しておくべきなのだろうが、きっかけがあればそれに越したことはない。うまく話せる時期を模索しているが、本当はうやむやにできればどんなにいいかと考えたことだろう。
幸雄は物事をうやむやにはできない性格だ。うやむやにしようとすると、結局最後はがんじがらめになってしまって首が回らなくなることを知っているからだ。なるべく最初に話をして楽になりたいと思うのも性格的なものである。
初めて知り合って身体を重ねるまでに掛かった期間は、幸雄にしては長かったように思う。別にプレイボーイではない幸雄は、それほど女性を口説くのが得意ではなく、あくまでも自分の雰囲気を気に入ってくれる女性でなければ長続きをしないことも分かっている。
結婚したのが二十三歳の時、まわりからは反対された。意固地になって逃げ出したくなったことも何度あったことか。厄年だといってごまかそうとも思ったが、ある時期を過ぎるとすべてがうまく回転していった。
確かに腐らずに頑張った幸雄の努力によるものだろうが、あまりにもとんとん拍子にうまくいって、却って恐ろしく感じるほどだったが、考えてみればそれまでがあまりにもバイオリズムが悪かったからに違いない。
すべてが下降線をたどって、どん底にいたのだから、這い上がってくる時は少しずつでもすべてがよくなってくるはずなのだ。
そんな状態に出会った女性である節子が素晴らしく見えてくるのは、多少上昇気流にある目が見せているものなのかも知れない。だが、今までにバイオリズムの上昇に伴ってやってくる運を信じる価値はあった。だから今回も別に変な勘ぐりをすることもなく、
――自分の気持ちに素直になればいい――
と言い聞かせ、自分の心の奥に、その言葉が十分に届いていることを自覚していた。
厄年も無事に乗り越え、迎えた人生の目の前に、やはりいたのは付き合っていた女性だった。結婚を意識したのがいつだったかと聞かれれば、答えは一つ、
――自分の気持ちに素直になれた時だった――
と答えるだろう。その気持ちは離婚という経験とは別に今でも不変だ。
いや、離婚を乗り越えたから、相手の気持ちを分かることができるのかも知れない。
今まで自分のことばかりを考えていたように思える時がある。
「あなたはいくら注意しても治らないのよ」
まだ離婚という話が出てくる前から妻には言われていた。まさか離婚などになるなど思っていなかったので、その言葉を深く考えることもなかったが、離婚に際していろいろ考えてみると、どこかでその思いが繋がっているように思えてならない。
離婚というものは、理由が一つだけとは限らない。いろいろな思いが重なり合って、究極のところで離婚に行き着くのだろう。特に相手に離婚するに足りるハッキリとした理由がある場合は仕方ないとして、そうでない場合はその理由は複雑なものであろう。
――価値観の相違、性格の不一致――
実に都合のよい表現である。しかしそんな曖昧な言葉でしか言い表せないほど、気持ちの中における理由は複雑なものなのだ。あくまでも想像でしかないが、幸雄はそう考えている。
節子はどうだろう?
今まで男性との付き合いがあまりなかったことから、男性の気持ちはハッキリいって分からない。離婚した男性を見る目は、大袈裟に言えば
――女性の敵――
というくらいに思っていたはずだ。いかなる理由があるにせよ、離婚という言葉に惑わされてしまうのは、それだけ男性というものをまったく違う生き物のように思っていたからだ。
作品名:短編集89(過去作品) 作家名:森本晃次