短編集89(過去作品)
と思えてきた。相手は商売で出会いなどではないことは分かっているが、それでも気持ちに余裕ができるということは、それだけ出会いに遠ざかっていて、さらには出会いを求めて止まない気持ちの表れに違いない。
居酒屋で会った有希を思い出した。以前から知り合いだったような感じを受ける女性だった。どこかあどけなさを感じるが、芯のしっかりした女性のような気がして仕方がない。
――一体いくつなのだろう――
見た目、加藤よりも若い感じを受ける。それは店で微笑んでいる顔を見ているからなのだが、以前から知っているような気がすると思い始めてから、実際はもう少し年上ではないかと感じていた。
目を瞑ると浮かんでくる顔に、有希に似た人がいる。その人とイメージがダブっているから以前から知り合いだったように思えるのだが、その人はあどけない顔にもかかわらずいつも落ち着いていて、あまり笑ったところを見たことがない。
実際に歳もいくつか上だったように思う。会社に入社してすぐくらいの知り合いだったが、彼女は喫茶店でよく見かける常連さんだったのだ。
――そういえばいつも文庫本を読んでいたな――
思い切って話しかければよかったと思う。喫茶店で何度となく出会い、お互いに会釈を交わす仲だったのだから、話しかければ会話になったはずだ。もし今までに出会いを逃したことがあるのをハッキリ自覚している時があるとすれば、この時以外には考えられないだろう。
文庫本を読んでいた彼女を見ていて、加藤も本を読むようになった。どんな本を読んでいいのか分からなかったが、歴史が好きだったこともあり、歴史の本を買って読んでみると、これがなかなか嵌るのだ。
元々活字が嫌いで、読んでいると眠くなるので、本を読むことはあまりなかった。いわゆる「食わず嫌い」だったのである。
――これほど自分の世界に入り込めるものだとは思わなかった――
一人でいても本さえあれば別に時間を気にすることがないことにその時気がついた。
読んでいた歴史の本は、どちらかというと自分にとってブラックボックスに近い時代だったことも興味を引いたのかも知れない。
――こうやって時代が繋がっていくんだ――
知らない時代から知っている時代に向って読み進むのだから、そう感じるのも当然というものである。
歴史の本を読んでくると、自分の人生を思い起こすことにも繋がってくる。異性に興味を持ち始めたのが遅かった加藤であるが、きっかけはふとしたことだった。
小学生の頃までいじめられっこだったこともあって、男性も女性もあまりかかわりたくないと思っていた。特に小学生の頃というと、女性も男性のように容赦なく苛めてくるのである。
――女性ってもう少し優しいものなんじゃないのかな――
そう思っているのは、果たして自分だけだったのだろうか? 不思議に思う加藤であった。
しかしいじめられっこにはいじめられっこで悪いところがあったようだ。それに気付くとまわりの態度も変わってきた。不思議なことなのだが、いじめていた連中の中から急に友達ができたりする。そんなこともあるのだ。
それでもさすがに女性に対しての偏見は根強かった。中学に入り、どんどんまわりの女性が変わってくる。発育の変化に戸惑いを見せるようになっている女性もいれば、中にはあまりよくない噂を立てられる女性もいる。よくない噂を立てられる女性に限って、自分をいじめていた人だったりするので、
――ざまあみろ――
と心の中で叫んでいた。
だが、中学の三年生にもなると、友達がなかなか相手にしてくれなくなった。皆彼女ができていくのである。
彼女ができると男友達を放っておく気持ちも分からないでもないが、その時の加藤には分からなかった。
いじめられっこだった頃のイメージが強いのか、どうしても自虐的なところがあり、何かあれば必ず最初に自分が悪いと思ってしまう。まわりの人がすべて自分よりも優れてると思い込んでいるのも事実で、自分よりも優秀な連中が女性に対して靡くのだから、思春期の女性というのが素晴らしいと思うのも当然だ。
――彼女がほしい――
と思うのも無理のないこと。友達が楽しそうにデートの話をしていたり、実際にデートしている姿を目撃したりすると、余計にその気持ちが強いのだ。
異性に対して興味を持った直接の理由がそれでは、確かにあまり褒められたことではないだろう。
自分のことを思い起こすなどそれまでにはあまりなかったことだ。特に小学生から中学時代にかけてなど思い出したくもなかった。元々、何も考えていなかったと思っていた小学生の頃、だが、今から考えればいろいろ考えすぎて却って考えがまとまらなかったに違いない。
小学生の頃は算数が好きだった。答えが一つにまとまるからである。逆に一つにまとまらないものは好きではなかった。過程があって一つの答えを導き出す。しかもその過程はどのような形であっても、辻褄が合っていればいいのだ。算数とはそんな学問であり、それだけに、頭の中を算数のように考えていくと、過程が多すぎて、それこそまとまらなくなる。人生とは算数のように単純なものではないのだ。
歴史を好きになったのは、中学の頃だった。いろいろなことを頭の中で考えることが多いので、時代を追う学問という意味で興味はあった。だが、どうしても中学の歴史というと暗記の学問なので、論理的なものより、時代や年代の暗記だったり、人物と出来事を結びつける暗記だったりする。暗記は嫌いではないが、歴史を学問として見ると、どこかが違うという疑問を感じずにはいられなかった。
とにかく歴史を勉強していく上で思ったのは、
――もっと勉強しておけばよかった――
と後になって後悔することと、
――今から勉強しても遅くはない――
という相対する二つが頭の中で絡み合っていることだ。しかもそれが相乗効果となり、歴史を味わい深いものとして印象つけてくれる。
有希に似た女性を思い出していると、彼女に声を掛けなかった理由を次第に思い出してきた。最大の理由は年上だと思ったことだ。
自分の浅はかな知識で相手になるような女性ではないと最初から思い込んでいたに違いない。相手にならないと思っていたのだ。
いじめられっこだった頃の名残だろうか。まわりの人は皆自分よりも優れていると思っているところがある。中には軽蔑している連中もいるが、それ以外はほとんど自分よりも優れた人だと思っていたのだ。
算数が好きだったことも影響している。
――白か黒か――
要するに中途半端な答えはないのだ。優れているか、劣っているかでしかまわりの人を判断できないことを分かっていながら、心の中でそんな自分を憂いているのである。
――あの時に声を掛けていれば――
と今さらのように後悔している。自分に出会いがないことは後悔から始まっており、そのためにどこか出会いのないことにトラウマのようなものを感じているのだ。
――今ならその後悔から抜け出せるかも知れない――
それまでは男性の友達と会話をしていても、話題提供はすべて友達からだったのだが、最近は本を読んでいることもあってか、自分から話題提供できるようになっていた。
「最近、加藤は明るくなったな」
作品名:短編集89(過去作品) 作家名:森本晃次