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裏表の研究

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 それまで小説を書いている人はいるにはいたが、人数的にはほとんど少なかっただろう。その理由として、作品を書いてもそれが本になったり、作家としてのデビューに繋がったりすることはほぼなかったからで、以前の可能性としては、新人賞などを取って、そこから作家デビューするというやり方か、あとは出版社に原稿を持ち込むかだった。
 持ち込んだ原稿は、とりあえず編集長や編集担当者が受けることになるが、実際には中身を開くこともなく、そのままゴミ箱に捨てられるのがオチだったことだろう。
 しかし、小説を書く人間が増えてくると、それに便乗する商売が生まれてきた。小説を書く増えてきた人たちというのは、それまでまったく小説などと縁のなかった一般の主婦だったり、学生だったり、それまで敷居の高いものだと思っていた執筆に対して、さほど難しさを感じなくなったのは、ケイタイ小説などのようないわゆる、
「ライトノベル」
 というジャンルが出てきてからだろう。
 異世界ファンタジーであったりする、まるでマンガやゲームの原作本のような感覚があるのではないだろうか。
 そんな人たちが増えると、出版業界にも変化が訪れてきた。自分の小説を本にしたいと思っている人が多いだろうということで、
「本にしませんか?」
 という触れ込みで宣伝を行い、出版社に原稿を送らせるというやり方だ。
 今までゴミ箱行きだった作品に目を通してくれるというだけでも嬉しいのに、新人賞に応募して落選しても、自分の作品がどうして落選したのかなど、まったく分からないことを思えば、送った原稿に対して必ず目を通してくれて、その評価を批評とともに書いて返してくれるというやり方だけでも、それまでにはない画期的なものだった。
 しかも、その批評というものが、決していいことしか書いていないわけではない。最初にいいことを書いていて、途中で少し悲観的なことを書くが、最終的にどうすればよくなってくるというアドバイスを与えるような書き方をしてくれているのだから、貰った方は信じるというものだ。いいことしか書いていなければ相手に自分が素晴らしい作品を書けるのだということの暗示を掛け、相手の目をくらますという露骨な方法ではないだろうか、そう思うと、信憑性は次第に失われて行き、さらに胡散臭さしか残らないが、少しでも批判的なことを書き、そこに対して何が悪いかということを書いてくれていれば、本当に小説教室の添削のように感じられ、信憑性はグッと増す。相手もなかなかやるものでそこだけでもコロッとほだされて、完全に信用する人も多かったに違いない。
 さらに彼らは、原稿の募集だけではなく、コンテストも積極的に開催していた。ミステリーやホラー恋愛などのそれぞれのジャンルで、長編、中編、短編に分けてのコンテストや、年に一度か二度、その出版社の新人賞と題して、大賞、佳作、奨励賞などを選出していた。
 応募作品も桁が違う。有名出版社系の老舗ともいえる新人賞に応募する作品数が、百点単位なのに、こちらの出版社では、一万近い作品数が寄せられるという。もちろんそこにはかなりの応募条件の緩和がある。
 二重投稿を許していた李、商用としての出版でなければ、WEB掲載などでの個人的な発表なら、別に構わないとしている。有名出版社系の新人賞は応募資格は厳格で、それらはまったく許していない。それだけに、一回の応募で、十点以上の作品を寄せてくる人も少なくなかっただろう。
 それらの出版社は一般的に、
「自費出版系の出版社と言われるようになった。
 原稿募集に応募した作品、さらに公募でコンテストに寄せられた作品、それらはいつものように批評して返してくるのと一緒に、出版社からの出版についての提案が書かれている。
 出版には三つの手段があるとしていた。
 一つは、この作品は十分商業流通ができる作品だからということで、出版社がすべての費用を出して、出版するという「企画出版」。
 そして、いい作品ではあるが、出版社がすべてぼ費用を出すというのはリスクが大きいということで、共同で出版を提案、費用は相互でもつといういわゆる「共同出版」(出版社によって表現が異なるが、本作品では共同出版で統一します)
 そしてもう一つは、旧来から存在している、一部の人間だけのために出版するという、別に売りたいから作るというものではなく、例えば定年退職後の娯楽的な趣味として小説を書いていて、一生の思い出ということで本を出版するという、本当の趣味の域を出ないものだ。これは以前から存在し、自費出版という表現は、このパターンのみに使われていた。
 コンテストや、応募原稿の中で、実際に文章として成立していないような作品でもない限り、ほとんど漏れなく共同出版を言ってくるだろう。コンテストでも、一万人が応募してきたとして、自分の評価がどのあたりなのかはまったく分からないまま、出版社のいわゆる、
「あなたの作品は応募総数一万の中でも一部の人にしか推薦していない共同出版に当たります。今だったら破格なお値段でご提供できます」
 などと言って、評価と一緒に数種類の見積もりを送ってくるのだ。グレードの違いによって三種類くらいが妥当な線ではないだろうか。
 しかし、よくよく見ると納得できないものもあった。
 例えば、一冊の本を作ったとして、定価が千円だという。それを千部作成する費用だということで、作者に対しての見積もりが、百五十万になっているのである。定価千円のものを千冊作るのであれば、どう見積もっても、全額百万円でなければいけないはずだ。それを百五十万とは何というぼったくりであろうか?
 それを担当者に電話でぶつけると、
「我々の主旨としては、全国の本屋に書籍を置いてもらい、さらには国会図書館で置いてもらうために、本のコードが必要になります。そこにも費用が掛かるんです」
 と言われたが、
「はい、そうですか」
 と言って納得できるはずもない。
「定価が千円ということは、その千円の中に、宣伝費、製作費、本屋に置いてもらうだけの金額、それらすべてが入っているんじゃないんですか? 定価というのはそういうものではないかと思います。納得がいかない」
 というと、その時相手は引き下がったが、その時から純一郎は自費出版社系の出版社に胡散臭さを感じるようになってきた。
 当時自費出版社系の会社はいくつかあり、一種の社会現象になっていた。純一郎もそれらすべての会社に作品を書いては送り、その反応を見ていた。
 すると、最初の見積もりに対して疑念を感じた出版社とは別の会社で、さらに憤慨することが起こったのだ。
 その会社は新人賞のようなことはやっておらず、応募原稿だけを地道に検証しているような会社だったが、それまでに五作品ほど送ってみたが、いずれも、想像していた通り、共同出版という返事しかなかった。
 判で押したような見積もりが送られてくるが、そんなものを見る気持ちもなく、ただ、相手が書いてくる評論だけを読んでいた。
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次