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裏表の研究

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 まわりの女の子が本当に他人事に見えたのは、男子が自分に対して無責任に推薦してきた時よりもひどく思えた。元々その子は少々のことでは嫌な顔をしない女の子だったので、騒ぎ立てられたのを見て楽しくなったのだろう。
――なんて連中なんだ。彼女とすれば、それがどれだけ嫌なことなのか分かっていないのだろうか――
 と思った。
 彼女がそんなに嫌がっている相手が自分であるということを忘れたかのようにそう思うと、まず人間の心の中に巣くっている感情の恐ろしさに怖くなったのだ。
 きっと無意識な行動なのだろうが、それが無意識であればあるほど恐ろしかった。純一郎としていれば、
――自分がそんなことをされたらどんな気分になるのか――
 ということをどうして考えないのかが分からなない。
 もし少しでも考えたのであれば、彼女が露骨に嫌な態度を示した時、反射的に面白がるようなことはないからだ。
 これも、問題は集団意識にあるのだろうと思った。
「人がしているから、自分もしよう。していいんだ。いや、しなければいけないんだ」
 最後には義務でさえあるかのように思う。
 それは、自分がしたことを正当化するための自己防衛本能によるものだろう。
 しかし、純一郎はそのおんなのこのことを、
「かわいそうだ」
 とは思っていない。
 もちろん、露骨に嫌だと名指しされたのは自分なので、そんな自分を嫌いだと公表するような相手に同情するなど、それこそ本末転倒に思える。しかし、純一郎が彼女をかわいそうだと思ったのは、同情なのではない。まわりが彼女のことを何とも思っていないということを知ったからだ。
 だが、その考えは間違っていたことにすぐ気付いた。
 彼女は決してかわいそうなのではない。。むしろまわりから嫌われるのは彼女の本能によるもので、彼女は自分から人を引き付ける力を持っていないどころか、人を近づけないという何か他の動物が自己防衛のために持っている、たとえばハリネズミの針であったり、自分の色を自由に変えることで外敵から身を守ろうとするカメレオンに代表される動物、昆虫であったりのようなものである。
 却って、そんなものを持っている彼女を羨ましく思えた。
――彼女は自分と同類なのかも知れないな――
 彼女がクラス委員に推挙された時、純一郎とのコンビをあれだけ嫌がったのは、俊一郎が自分の同類だということを意識していたからかも知れない。人を極端に近づけない人は、特に自分の同類と思えるようなものを余計に近づけないようにするものではないだろうか。そこにどんな理由があるのか分からないが、遠ざけることで自分の身を守ろうとしているのではないかと思うのだった。
 そんな彼女を見ていると、自分もそういう人間だと感じるようになるのだが、その頃から純一郎は小説を読むようになった。当時、テレビドラマのシリーズで、あるミステリー作家をテーマに、彼の作品を半年間の間に、何作品化ドラマ化し、放送していた。
 最初はドラマを見てから原作を読んだので、ドラマの印象も深かったが、そのうちに先に原作を読むようになり、ドラマ化したものが、案外面白くないということに気が付いた。それは当然のことで、読書というものが、小説の中での一番のクライマックスとなる部分である想像力を掻き立てるという演出をするものであるのに対し、ドラマではその想像力の部分を演じる俳優と、製作する側の演出によって作られたものであることから、ミステリーのように想像力を掻き立てることで読者を魅了するジャンルのものは、原作が最高であることを示していた。
 読み始めると一気に読んでしまうタイプの純一郎なので、二、三日で一冊を読み切るくらいのペースだった。一日のうち、学校での授業、学校の行き帰り、そして、家での食事やふろの時間、そして睡眠時間を除いて、ほぼそれ以外を読書に費やしていたくらいだった。
 一人の作家を中心にいろいろな作品を読んでいると、作品にバラエティ性があるのと、一人の作家の書くことなので、表現や書き方に共通性を感じるようになっていた。そう感じたことが、
「俺にも小説が書けるのではないか?」
 と感じた最初だった。
 だが、小説を書くというのはそれほど簡単なものではない。まず、何かを書こうと思って、本当であれば、大まかな筋道を立ててから書き始めるものなのに、いきなり机の上に原稿用紙を広げ、何から書き始めていいのかなど分かるはずもない。
 テーマがあるわけでもなければ、課題になるヒントもない。ただ、目の前にある原稿用紙を見つめているだけである。
 今でこそ、何も考えずに最初の文章を書いているが、最初の一歩をどうすればいいかが一番難しい。最初の一文で、方向性がまったく変わってしまう可能性があるからだ。
 もし、ミステリーを書きたいと思っても、それがサスペンスタッチなのか、トリックや心理を描いた本格派なのか、最初で決まってくると思っていた。
 最初の一文をどのように書くかというのがどうして難しいのかというと、それは、
「朝出かける時、最初に踏み出す足を右足か、左足かのどちらかにするか」
 ということに似ているだろう。
 これは、
「絶えず人間は、何かの選択を迫られている」
 という発想からきているが、小説の場合は選択ではなく、何もないところからの製作になる。
 そういう意味で難しいのだが、逆に小説を書くということの醍醐味ということにもなるのではないだろうか。
 さらにどうして難しいかという意味において、こんな話を聞いたことがある。
「将棋の一番隙のない布陣というのは、どういう布陣なのか分かりますか?」
 と聞かれて、分からないと答えると、質問者が、
「それは最初に並べた形、あれが一番隙の無い形なんですよ。つまり、一手差すごとにそこに隙が生まれる。将棋というのはそういうものなのです」
 といい、それを聞いて、感心したことがあったのを思い出した。
 それだけ、最初の文章は、何もないところからの最初の創造ということで、簡単に行くものではないだろう。
 もし最初の文章を何とか書くことができても、その次の文章がまた難しい。そんな風に思ってると、結局最初は数行書いて、それ以上進まなくなってしまうのがオチというものではないだろうか。
 小説の書き方なるハウツー本も何冊か読んだりもした。そんなハウツー本を読むことで、さらに小説を書くということが難しいことで、高尚な趣味であるかということを感じたものだったが、ハウツー本の入門編として買った本は、それほど難しいことは書かれていなかった。
 実際にハウツー本として売られているもののほとんどは、小説家になるための道であったり、新人賞などに応募して入選するための考え方だったりが書かれている。その最初に書かれていることは、いかに文章を書くということが難しいのかということであり、さらに追い打ちをかけるように、継続の難しさを解いている。
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次