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裏表の研究

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 と感じた。
 そう思ってからが封印した夢を見ると、もっと不思議なことが判明した。
「彼が殺したのは一度ではない。一度殺す小説を書いていて、その後になってもう一度その人が夢に出てくる。その時は生き返っていて(生き返ったという意識があるわけではないので、死んだという意識もなく)、もう一度その夢の中で殺しているのだ」
 ちょうどその時、今度は別の友達が死んでいる。そして、最初の友達と同じように、殺害現場を意識する小説を書くのだった。
 つまり、この一連の殺害現場を描いたことで、友達が死んでしまったという表向きに見える事実は、一気に集中して書いた小説を中心にして、一度生き返らせて、さらにもう一度殺すことで、彼の意識が因縁となって結び付いている。
 友達が相次いで死を迎えるというのは、純一郎のせいではあるのだろうが、そこに純一郎の潜在意識が死に対して責任のある問題を引き起こしているのかというと、そんなことはないようだ。
 調べている中で、因果関係が見受けられるが、そこに純一郎が悩み苦しむ理由はない。それでも悩み苦しむのは、自分の中にあるトラウマと罪悪感とが結び付いているからではないだろうか。
 小学生の頃、苛めに遭っていたことが、最初は悪いのは自分ではなく、苛める連中にあると思っていて、さらにもっと憎むべきは、それを見て見ぬふりをしていた連中だということに気付いていた。
 苛めの真の恐ろしさは、そんな他人事だと思っている連中の目だと気付くと、苛めを行う人間、苛められる側の人間、そのどちらも無意識のうちに、見て見ぬふりをしている連中の掌で踊らされているような気がしてくる。
 その構造を夢という形で純一郎は理解していたのだ。それが分かっていながら、なぜ自分を苛めていた連中をターゲットに殺さなければいけないのか分からなかったが、友達の死に、彼の小説が直接的な関係がないと分かると、どこか納得できた気がした。
 彼の小説は、一種の予言のようなものではないだろうか。もちろん、死んだ経緯を知るわけではないので、友達が死んだことと殺害描写は、何ら関係はない。
 中には自殺をした人もいた。彼は遺書を残しておらず、最初は自殺も疑念があったが、自殺するだけの理由がちゃんとあったことから、自殺に間違いはないとされ、事件性はないということになった。
 遺書がなかったのは、自殺自体が衝動的なものであって、死ぬということを一気にしてしまわないと、戸惑ってしまえば、死にきれないと思ったのだろう。衝動的でなければ、彼も死ぬことはなかった。
 だが、生前彼も苛めを受けていた。その内容は、小学生の頃に純一郎が受けていたような子供の苛めではなく、高校生になっての苛めだったので、実に陰湿で、実際に耐えられるものではなかったようだ。しかも、彼には小学生時代に純一郎を始めとして苛めをしていたという罪悪感があった。
 苛められているという意識と、自分の中にある罪悪感がまるで左右に置かれた鏡を見ているかのように、半永久的に自分の姿を映し続ける、一種のマトリョーシカ人形のようであった。
 その意識を純一郎は自分の夢の中で認識していた。彼は友達を殺す意識の中で、彼がどのような苦しみを持っているかに大いに同情していた。そして、彼を殺してあげることが自分の役目だと思うようになっていた。
 純一郎と、その友達は、夢の中では大いなる親友であった。夢の中に出てくるのは、本当の親友しかいないとさえ思っていて、純一郎が夢の中で誰かを殺すのは、憎くて殺すわけではない、殺すことで友達を苦しみから解放してあげられるという意識からだ。この時間を夢だと思っているので、それができる。そして、夢であるからこそ、一度殺したとしても、もう一度夢の中で会うことができるのではないかとも思うのだった。
 確かに一度殺した相手がもう一度夢に出てくることは可能だった。しかし、一度殺した相手は、最後には結果的に死の世界に送り返す必要があった。そのために、もう一度殺害するという、まるで身を切るような思いをしなければならない。これはいくら相手のためを思って夢とはいえ殺してしまったことに対して、自分が背負わなければいけない十字架に思えた。
 それは、現実世界で助けてあげられなかったという思いがあるからで、その贖罪の意味からか、自分でその十字架を背負う気持ちで、現実世界でその友達を殺すという小説を書くという行動に出たのだ。
 北橋が純一郎の夢の中からそこまでのことを発見するまでには、彼にしては結構時間が掛かったような気がした。
 そして、考えたのが、
「これは引き出してはいけない記憶だったのではないか?」
 という思いであった。
 その人が必死で覆い隠そうとしている自分の中のトラウマを引き出してしまったという罪悪感を北橋も持った。
 確かに夢の世界を解明することは脳波の研究に役立つことで、人間の将来のためには必要なことだと思っている。
 だが、中には開けてはいけない
「パンドラの匣」
 があり、開けてしまうことで災いが噴き出すということも十分にありえる。
 それが、今回の純一郎の心の内と、苛めの問題だった。
 確かに苛めの問題に対して抱いている純一郎の気持ちを理解することで、彼と友達との相互理解ができ、苛めをなくすためのヒントになっているのではないかとも思えた。
 夢の研究には、それだけの成果が得られるものだと確信していたので、純一郎でその確証を得たいと感じた。
 実際にやってみると、どうにも歯にモノが挟まったような気持ち悪さが残った。それが何なのか、北橋はいろいろと考えてみた。
 そこで一つ感じたのは、
「純一郎の予知能力」
 であった。
 純一郎は、友達が死んだというのを予知したから、友達を殺すという夢を見たのだ。その死の原因までは分かっていなかったが、自殺をした友達の心境だけは分かったようだ。
 ただ、それ以外の死に方をした連中というのも、少なからず死を意識していた。自殺する勇気はなかったのだが、絶えず何かに覚えていたり、自分の運命を呪うかのようにずっと考え事をしていたために、事故に遭ってしまい、自分が死んだのかどうかすら意識する間もなく死んでいったのだ。
 だが、これは考え方によっては、幸運だったのかも知れない。
 死んでしまった人に、
「幸運だった」
 というのは、実に不謹慎なことであるが、一気にある意味苦しまずに死んでいけたのは、よかったのかも知れない。
 下手に死にきれず、絶命するまで苦しむというのも結構ある話だというので、それに比べればよかったと思うのは、生きている人間側のエゴのようなものだろうか。
 純一郎は、自分が小説で殺人現場を描く時、苦しまずに死ぬように心がけていた。意識してのことではなかったが、そこにあったのは、
「自分が殺されるとしたら、苦しみたくはない」
 という思いだった。
 すぐに自分に置き換えてしまったり、自分のことであれば、他人に置き換えて考えてしまう純一郎らしい考え方であったが。これは、他の連中でも皆同じだと思っていた。
 だが、そうではないことは、北橋の研究で分かっていることだったので、北橋の中では純一郎のこのような考え方が特殊なものだと分かった。
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次