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裏表の研究

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 などという議論はまったくの無意味であることに気付かされる。
「怪物も博士も、人類のために犠牲になったのではないか?」
 純一郎は作品の最後で、こう書いている。
「人間誰かを正義の味方にしてしまうと、誰かを悪にしなければならない。逆も同じで、悪を作ればその釣りあいを取るために、正義の味方を創造する。その繰り返しが小説というものではないか」
 この言葉は、アマチュアにしてはもったいないくらいの言葉ではないかと思えるほどだった。
 脳波を取り扱った小説を書いたことを、皮肉にも今の純一郎は忘れている。しかし、北橋が脳波の研究に没頭するようになった最初のきっかけは、この純一郎の小説だったということを果たして誰が知っているだろうか。
 純一郎も見せたことはなかったが、ネットに上げているのを偶然北橋が発見した。それがまさか大学時代の友達が高校の時に書いた作品だということを知らずにである。本当に偶然というのは恐ろしいものだ。
 小説の内容とすれば、ジキルとハイド、それにフランケンシュタインなどを主体にした、SFと言ってもいいかも知れない、ホラー色もあるが、SFだと書いた本人は思っている。
 そんな作品を今まで読んだことのなかった北橋は、まるで目からウロコが落ちた感覚だった。それまで知らなかった世界が開け、そこに今まで知らなかった何かに導かれていく感じだった。
 北橋は科学的な発想を基本に考えるが、超常現象を決して否定するようなことはない。科学者というと、
「この世では、科学で解明されないことなど存在しない」
 とよく言われてるが、北橋の考え方は少し違っていた。
「科学で解明されないことはないという発想自体が、科学を冒涜しているのではないか?」
 と思っていた。
 つまり、科学も一種の超常現象で、超常現象も一種の科学なのではないかと思っているのである。特に超常現象を科学と結びつけて考える方が多いかも知れない。
 例えば、
「人間は、脳の一部分しか使っていない」
 と言われているが、そうなると残りの使っていない部分を使いこなせる人が現れれば、その人が超常現象を操れる人間だとしても何ら不思議はないと言えるだろう。
 それが超常現象と言われているだけであって、もし、人が使っていない部分を科学で使用できるようにすれば、それは疲れている部分の脳は、科学ではないかと言えるのではないだろうか。
 ジキルとハイド氏にしても、それぞれ、自分の知らないまったく反対側にいる人間がたまたま表に出る時間がばらけていたのか、それとも、どちらかが意識して、相手を凌駕しようとしているのか、よく分からない。ただ、ジキル博士は自分の中のハイド氏を呼び出すクスリを作ることができたのだから、もう一人の自分の存在が自分の中にいることが分かっていたということであろう。そうなると、ジキル博士は本当はもう一人の自分も支配しようと思っていたのだが、まさか二人が同時に出てくることができないと知らなかったとするなら、呼び出したハイド氏の存在を何とか隠滅しようと考えるのではないだろうか。その考えがジキル博士を苦しめ、ハイド氏を余計に増長させたことで起こってしまった悲劇だとは考えられないだろうか。
 そう考えると、人間が神によって創造された自分たちを勝手に操作することは許されないという、宗教的な、神学的な考えが浮かんでもくる。
 そもそも、この小説が、宗教的な発想から生まれたのだとすれば、一種の戒めの小説だと言ってもいいだろう。
 ギリシャ神話や聖書のような人間に対しての戒め、そう考えると、これらの小説を書いた人間は、
「神によって選ばれた人間」
 だと言ってもいいかも知れない。
 その考えを実は北橋は持っていた。
「人間の中には神に選ばれし者がいて、自分もそうではないかと考えるようになった」
 もちろん、きっかけはあったのかも知れない。
 少年時代に神がかった経験によって、自分が、
「神によって選ばれた人間ではないか」
 と思うようになったとすれば、勉強を頑張って、他の人とは違う自分を作り上げようとする努力は、少々の甘い誘惑に打ち勝つことくらいは簡単なことであった。
 しかも、彼の努力はことごとく報われ、その成功がまた彼に自分が神に選ばれた人間であるという思いを確信に変える。
 一流大学に一発で合格し、他の連中を寄せ付けない成績を上げ、さらに彼の発想は、大学教授すらも驚愕させた。
 そんな彼が進む就職先は最初から決まっていたようなものだった。今の世の中に、このような秘密結社のようなものが存在するというのは、信じがたいことであるが、自分が神に選ばれた人間であるということを意識してしまうと、人間界での少々なできごとは何ら不思議なことでもなんでもない。実際に秘密結社に入ってみたが、別に驚愕するようなことは何もない。自由にやらせてくれるところであるのはありがたいが、それ以上の感情はそれほど持っているわけではなかった。
 ただ、この世の中の頂点とも言えるところに到達してしまうと、それまで考えていた疑う余地のまったくなかったはずの、
「神に選ばれた人間」
 という発想に、少し綻びのようなものが現れてきた。
 別にそれが彼を不安にするわけではない。
「頂点から下を見れば、まわりがこんなに遠くに見えるのだということを、改めて知った」
 という思いが浮かんできた。
 この思いは、最初からあったことだった。高いところから下を見ると、目がくらむという錯覚は子供の頃に感じたことだった。
 ただ、考えてみれば、北橋は自分が高所恐怖症であることを意識していたはずなのに、高みからの見物に関しては怖いとは思わなかった。高所恐怖症というのは、自分以外の人も同じ高さにいる場合に感じることであって、一人だけ高みに上がってしまうと、決して怖いとは思わない。
 その理屈を知ったのは、最近のことだった。少々のことは科学という発想で理解できるのだが、この高所恐怖症に対しては、理解できるものではなかった。だが、普段からまわりの連中が自分に近づいてくることを嫌悪する自分に気付いていた。それは自分の中に結界があって、その部分に近づいてこられることで、自分の他人にはない排他的な感覚が薄れてしまうのではないかと恐れていたからだった。
――この俺が何かを恐れる?
 それも驚愕だった。
 神に選ばれたはずの自分が恐れる?
 そう思うと、まず考えたのは、自分が神に選ばれているということを意識しすぎているのではないかということだ。
 聖書の中の警鐘として、天に弓を引くと神が怒って、世界中に人をばらまいて、言葉が通じなくしたという「バベルの塔」の話があるではないか。
 あまり神に近づくということは、神が嫌うことであると思うと、選ばれたという意識も、あまり考えすぎないようにしないといけないと考えるようになった。
 だが、本当に選ばれたのであれば、意識を薄めすぎると、今度はせっかくの神の意志を無にしてしまうことになる。本末転倒になってしまうとも感じた。
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次