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裏表の研究

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 夢というのが普通であれば別に怖くもなんともないはずだったのに、夢が怖いと思うようになったのがいつの頃だったかハッキリと覚えていない。かなり小さな頃から意識していたのは分かっているが、初めて見た夢が怖い夢だったとは思わない。もしそうであれば、夢というものが怖いという意識がトラウマとして残ってしまい、夢を見ること自体が怖いことだと思うはずだからである。
 そんな意識は今までにはなかった。だから最初の頃は怖い夢は存在しなかったはずだ。ひょっとすると、夢を見ていたにも関わらず覚えていないという意識もなかったかも知れない。もしそれを意識させるとすれば、夢の中に怖い夢が入ってきたからだろう。
「怖い夢というのは決して忘れない」
 そんな意識を夢の中で持っていたとすれば、目が覚めて覚えている夢だけが怖い夢なのだという確信を持った時だったのかも知れない。
 夢に関しては分からないことが多すぎる。科学的にも解明されていないし、何しろ覚えていない夢が存在する方が、純一郎にはおかしいという感覚であった。
「たった今見たはずのことなのに、どうしてそんなに簡単に忘れたりできるんだ」
 という思いである。
 忘れなければいけない理由がどこにあるというのか。忘れなければいけないのであれば、見なければいい。
 忘れたと思うからいけないのであって、覚えていてはいけないことだと思うと、それはまるでおとぎ話のようではないか。
 つまり、
「見てはいけない」
 と言われて見てしまい、見たことに対して罰を受けるという発想である。
 だから、覚えていないというのも、見てはいけない夢の世界の何かを見たために、罰として記憶に残らないようにされてしまったのか、そう考えると、おとぎ話というよりも、神話のようなものではないか。
 その日見た悪夢というのは、自分が小説の中で殺していった小学生時代の友達から殺されるというものだった。しかも、自分も友達も皆小学生、それだけでも恐怖なのに、さらに夢ならではの恐ろしさがあった。
 というのは、自分が殺されるのは、皆からリンチにあって殺されるわけではない。一人一人から殺されるのだ。
 つまり、一度誰かに殺されてしまうのだが、そこで夢は覚めることもなく、どうしたことか生き返って、さらに別のやつに殺される。そしてまた生き返って……。
 何とも言えない、
「恐怖のスパイラル」
 とでも言えばいいのか。
 スパイラルという言葉は、一種の二次元曲線と訳される。それが転じて、
「渦巻きを描くような状態が進み、ブレーキがかからない」
 と解されているようだ。
 恐怖が渦を巻いて、さらにブレーキがかからないと思うと、本当に恐ろしい。一度死んだのだから、そのまま永眠できればいいものを、さらに生き返って、また他の人に殺される。これほどの恐怖はあるだろうか。
 似たような恐怖を最近図書館で見た。自分の小説にさらにホラー色、オカルト色を与えようとよく図書館に行って本を物色するのだが、その時に、ギリシャ神話の一節を掻いたものがあった。
 その話はいわゆる、
「パンドラの匣」
 というもので、皆さんご承知の通り、
「開けてはいけないと言われた箱を開けてしまった」
 という、まるで浦島太郎のおとぎ話のようなお話であるが、その内容はまったく違っている。
 ギリシャ神話というくらいなので、神々と人間の確執の話が多い中、この話も類を漏れずに、神様と人間の因縁のお話であった。
 話の内容は、
「最初、人間の世界は男だけだったのだが、神様(ゼウス)は人間に火を与えてはいけないと言って神々に対して人間に火を与えることを禁じた。しかし、人間の世界が闇に包まれ困窮しているのを見た人間びいきのプロメテウスが、人間に火を与えてしまった。それに怒ったゼウスは人間をたぶらかし、不幸を与えるために、人間最初の女性としてパンドーラを創造し、人間界に遣わした。その時持っていた箱を開けると、一気に不幸や災いが噴き出した」
 という、かなり端折ってはいるが、こういう話であったが、この時に、プロメテウスは人間に火を与えたということで、極刑に処せられた。
 それは殺されるというものではなく、もっと残酷なもので、
「断崖絶壁に括りつけられたプロメテウスは、カラスにその身体を蝕まれるという刑を受けた。その日一日が終わり、死んでしまったプロメテウスは翌日には生き返り、またしてもカラスの餌食になってしまう。そんなことが三万年続くのだ」
 という刑だったのだ。
 その話を読んでいたからだろうか、純一郎は一人の友達に殺される夢を見ても、また翌日には別の友達に殺されるという夢を見る。それを認識できるのだから、当然前に見た夢の内容と覚えているということになる。それこそ、ギリシャ神話に出てくるパンドラの匣という話の、プロメテウスの受けた刑罰そのものではないか。自分が受けたショックがトラウマにでもなったのか、夢となってよみがえってくる。しかも、それは継続する夢であり、今までのどんな悪夢にもなかったことである。
 そうやって考えると、
「古代に書かれたにも関わらず、よくできている物語だ」
 と感心させられるが、夢を見ている本人としては、たまったものではない。
 夢の続きはまた明日見ることになるのも、夢の最後で予感できてしまう。まるでドラマの次回予告のようではないか。
 そんな予告などされなくてもいいから、何が起因してこんな夢を見ているのか、教えてほしかった。
 いくら小説とはいえ、殺したことが因果応報となって自分に襲い掛かっているのか、それを思うと、切ないだけではすまなかった。
 プロメテウスに与えられた罰のように、今日が終わっても明日がきて、また同じ目に遭わなければいけない。彼は生きながらに鳥に身体を蝕まれるという罰を毎日のように三万年も続いたというが、そんな想像を絶するようなものは別にして、いくら夢の中とはいえ、一度殺されて、また翌日殺されるのが分かっている夢を見なければいけないというのは、辛いというだけでは表現できない感情である。
 しかも、
「怖い夢ほど決して忘れない」
 というではないか。
 まさにその通りで、忘れように忘れられない呪縛を、毎日夢の中で殺されるという因縁に悩まされることになるのだ。
 ドッペルゲンガーという発想にも似ているかも知れない。夢の世界を一つの次元と考えれば、一度死んだ人間が生き返って、もう一度同じ次元にいるということになるのだ。もう一人の自分という発想もなりたつかも知れない。
 一体どんな因縁が働いているというのか、確かに一度は苛めに遭って、その数年後に仲直りしたはずの相手を、軽い気持ちとはいえ、小説の中で殺してしまうのは、ひどいことである。自分自身の中の罪悪感に苛まれたのかも知れないが、どうしてここまでの罰を受けるというのか、まるでプロメテウスのようではないかと思えてならない。さすがに三万年という歳月は気が遠くなり、気絶するほどの年数であろう。人の寿命だって百年もないのだ。日本の歴史としても、今で二千六百年くらいだというではないか。その十倍など考えられるはずもない。
 純一郎は自分を苛めてきた連中をいかにして殺したのかを思い出していた。
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次