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裏表の研究

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 今までにこれほど自分のことを好きになったことはない。好きで始めたことができるようになっただけのことなのに、今まで感じたことのないまわりとの違いを明確に感じることができたような気がした。
 だから一人でいても、別に悪いことだとは思わない。むしろ一人で執筆しているということが、他の人がいう、
「自分を成長させる」
 ということに繋がっていることに気付いたのだ。
 小説を書いていると感覚がマヒしてくることもあるようで、実際にあれだけ人を殺す描写を描くのが気持ち悪いと思っていた自分が、今では数ページにわたって、殺害現場を描写することができるほどになっていた。
 自分が小学生になって、どんどん人が死んでいくところを目撃するというホラー小説であるが、その死に方というのも、さまざまだった。
 自殺もあれば、事故死もある。もちろん、誰かに殺されたというシーンもあれば、自然死があとで見つかるという状況もあった。
 いろいろな描写が考えられたが、人が死ぬというシーンだけでもこれだけたくさんあるのかと思うと、描いている自分が怖くなってくるくせに、描いている自分が恐怖の対象というだけであって、自分では怖いと思っているわけではない。客観的に見ると怖いのだが、当の本人になってしまうと怖くないという理屈で会った。
 小学生が死体を発見するという描写を小学生になったつもりで描く。あくまでも、
「なったつもり」
 というだけなので、自分の小学生の頃を思い出しているわけではない。
 もちろん、まったく土台がないとイメージできないので、イメージするという意味で自分の小学生の頃を思い出すのだが、小説に出てくる主人公は、小学生の頃の自分ではないのだ。
 もし、小学生の頃の自分が見ているとしても、それは他の小学生を見ているからであって、その小学生の気持ちになって死体を発見したという意識で書いている。
 そう思うことで、小説を書き始めた頃の、
「怖い」
 という感覚を脱却することができたのだと思っている。
「自分であって、自分ではない」
 という禅問答にも似た言葉があるが、まさにそんな感覚なのではないだろうか。
 そんな感覚が、たまに自分に自分が考えているのとは違う妄想を見せることがある。自分では期待もしていない妄想、それは一種の悪夢のようなもの。その感覚を持っているから、あんな恐ろしい感覚になってしまったのではないだろうか。
「悪夢というのも、潜在意識が見せるものなのだろうか?」
 と考えたが、そうであってほしいと思うのは、純一郎だけではないに違いない……。

                  悪夢

 高校生になって、最近特に小学生の頃の夢をよく見るようになった。いつも同じような夢で、いつも同じところで目を覚ます。だから、その先は見たことがないのだが、見たいと思うよりも、
「二度とそんな夢なんか見たくない」
 という悪夢を感じることの方が多かった。
 やはり苛めに遭っていた時のことが記憶の中にあるらしい。普段では思い出すことはないのに、夢というのは厄介だ。思い出してしまうと、普段なら続けてみることもない夢を悪夢というものは、立て続けに見せるものらしい。
 それまでは悪夢というものを見る方が珍しかった。ちなみに悪夢というのは純一郎が感じている思いからの表現で、普通の怖い夢というものと違った感性を持ったものだった。
 普通にいう怖い夢というのは、普通とは違っていること、つまり、それほどリアルに感じることのないもので、悪夢というのは、今までに感じたことのある怖いことを意味していた。
「怖い夢と悪夢の違いは、悪夢の場合は今までに感じたことのあるリアルな恐ろしさを見る夢のことだ」
 と考えていたのだ。
 苛めに遭っていたという記憶は、本当は思い出したくもない嫌な記憶だが、普段は記憶の奥に封印しているので思い出すこともないが、夢では思い出してしまう。そしてリアルに思い出す分には、いまさら思い出したとしても、それほど怖いという感覚はない。何しろ、
「過去のことだ」
 という意識があるからだ。
 だが、悪夢で見てしまうのは、せっかく過去の記憶として封印しているのに、夢というあまりリアルさを意識していない場所で見ると、急に恐ろしく感じてしまう。嫌だという感覚よりも恐ろしいという感覚の方が強い。それはどうした感情であろうか?
「夢というのは確かに潜在意識が見せるもの」
 リアルな悪夢を見始めたのは、この感覚を覚えるようになってからのことだった。
 夜になると眠るのが怖くなってきた。最近は小説も読まずに寝るようにしているので、夢を連想するようなものが小説だと思っていたが、それも違っているようだ。
「夢を見るのは、睡眠が浅いからだ」
 と言われているようだが、実は違っている。
 夢にはレム睡眠と、ノンレム睡眠というものがあり、レム睡眠は、
「身体は休んでいるが、脳波忙しく働いている」
 というもので、ノンレム睡眠というのは、
「脳は眠っているが、身体は姿勢を保つくらいの筋肉の緊張が保たれている状態」
 と言われている。
 実際に夢をよく見る場合は、前者のノンレム睡眠の時に見るものが多いという。やはり、脳が活発に動いているので、潜在意識もしっかりしているという証拠であろう。
 ただ、夢をどうして見るのかという科学的な理由はハッキリとしているわけではなく、数種類の諸説がある。
「いらない情報の消去」
 であったり。
「現実世界での問題の解決法を探すこと」
 さらには、
「新しい体験と過去の記憶との統合」
 のようなものもあり、イメージとしては、デジャブもこれと似ているのではないかと純一郎は考えたがどうであろうか?
 今まで見た夢で覚えているのは、そのほとんどは怖い夢であった。もちろん、悪夢もそのうちであるが、リアルな悪夢として一番怖いと思ったものは、
「もう一人の自分」
 を夢で見ることだった。
 もう一人の自分の存在というものを本で読んだことがある。いわゆる、
「ドッペルゲンガー」
 と言われるもので、
「自分のドッペルゲンガーを目撃すると、近いうちに死んでしまう」
 という都市伝説がある。
 死んでしまうというのはあくまでも都市伝説で信憑性はないが、著名人の中でドッペルゲンガーを見たことで死に至ったと言われる人が数名いることで、信憑性は一気に上がったとも言えるだろう。
 純一郎は、ドッペルゲンガーなる言葉も、その内容も何も知らなかった。そのうえで、
「時々もう一人の自分が夢の中に出てきて、その自分を見ると急に目が覚めてしまう。そして普段は覚えていないはずの夢を、その時は記憶している」
 という思いがあった。
 だから、もう一人の自分という意識が世間一般に存在していて、ドッペルゲンガーなる名前も存在し、古代という過去から受け継がれた伝説があることで、ずっと信じられてきたということを聞いた時、ただの偶然だったはずの意識が、夢と現実の世界を結び付けたような感覚を覚えたのだ。
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次