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裏表の研究

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 なぜ読みたい小説と自分で書きたい小説が違っているのかは、自分でもよく分からなかったが、
「読む小説はノンフィクション、自分で書く小説は、フィクションだ」
 と思うようになっていた。
 本を読むきっかけになったのは、小学生の時に社会の授業で歴史を習ってからだった。まだその頃は読書というものにあまり興味がなかった。いや、本を読むのが嫌いだったと言ってもいい。
 純一郎の場合は、小学生の頃、国語が苦手だった。テストの成績もよくなく、自分の中でも、
「国語という教科は嫌いだ」
 と思っていたが、実は国語という教科が苦手だったから嫌いだったわけではない。
 その証拠に漢字の書き取りなどは好きだった。
 何が嫌いだったのかというと、文章題が嫌だったのだ。
 成績が悪かったのは、問題となる文章をまともに読まずに答えを出そうとしていたからで、なぜそんな無謀なことをしているかというと、純一郎の性格に問題があった。
 純一郎は、その性格の中で、どうしても、先を焦って見てしまうというのがあった。特にテストのように時間の限られているものは、
「文章をダラダラと呼んでいては、時間がなくなるのではないか」
 という意識があったのだ。
 特に小学生の頃はその傾向が強く、本当は問題となる文章を最初に読み込んでからその設問に取り掛かるべきなのに、最初に設問を読んで、問題となる部分だけを文章の中から抜粋して答えを導き出そうとするので、回答はほぼ勘によるものだった。
 そんな回答で答えが導き出せるわけもない。そもそも、子供の頃は、
――どうして、こんな文章をいちいち読んで、こんな設問に答えなければいけないのだ――
 という、根本的なところから疑問を感じていたので、問題作成者の意図など、最初から無視していたようなものだった。
 その気持ちが分かるのは中学になってからで、
――ひょっとすると、算数や理科よりも学問としては大切なものだったのではないだろうか――
 と思うようになっていた。
 ひょっとして、小説を書いてみたいと思ったのは、そのことを感じたからだったのかも知れない。
 同じ国語としての教科に、作文を書くというのがあった。
 小学校五年生の頃くらいまでは作文も嫌いだった。それまでは苛められていたという精神状態もあったので、何かを作るという前向きな姿勢にはどうしても一歩踏み出せないところがあったのだ。
 小学五年生になると、六年生だけではなく五年生でも学年文集を作るというものがあった。国語の授業の中で、定期的に作文の時間があったが、その中で自分の一番気に入っている作品を選んで、文集の作品として載せるというものだった。しかし作文が苦手で、気に入った作品が自分ではないと思っている生徒は、先生が選ぶことになっていた。作文が苦手な生徒の代表として純一郎もいたのだが、彼も文集にする作品を選べないでいた。先生が選んでくれたのだが、他の子の作品を見ていると、自分の作品など、恥ずかしくて載せられないという気持ちになった。
 それを先生にいうと、
「そんなことはない。お前の作品は、お前にしか書けないオリジナルなんだ。今は自分で気に入った作品が書けていないからなのかも知れないが、それは逆にいうと、お前がいい作品を書きたいという思いがあるからだ。いずれ俺が言った今の言葉の意味が分かる時が来る。その時は本当に作文が嫌いではなかったということを再認識をする時じゃないか? ひょっとすると、小説でも書こうなんて思っているかも知れないからな」
 と言ってニコニコと笑っていたが、まさかそれが予言という形になるとは思ってもみなかった。
 先生には先見の明があったということなのか、それとも、世間一般的に純一郎のような生徒は他にもいて、そのパターンに単純に乗っかっているだけなのか、そのどちらもありうると純一郎は思っていた。
 作文も最初は嫌いで嫌いで仕方がなかった。まず何を書いていいのか分からない。授業中に一つの作品を書きあげるなどできるものではなかった。下手をすると二、三行ほど書いて、そこから先がまったく浮かんでこなかったりする。まわりのクラスメイトを見ると、皆一生懸命に鉛筆を動かしているので、
――きっと頭に浮かんでくることがあって、それをうまく文章にすることができているのだ――
 と感じたが、どうしてそれが自分にはないのか、理屈が分からなかった。
 だが、文章というのは、最初の数行が書けてしまうと、その先は意外とスラスラ書けてしまうもののようで、いわゆる第一関門を乗り越えられるかどうかの問題だったのだ。その第一関門を乗り越えることのできなかった小学生の頃は、どうしてもそれ以上先を書くことができず、それでも書かなければならないので、感じたことを羅列しただけに過ぎなかった。
 先生などには、その気持ちは分かったのかも知れない。点数は最悪で、十点満点の三点だったり、四点などという目を覆いたくなるような点数だったが、たまに九点などという自分でも信じられない時があった。
 別にその時、自分でも信じられないような、文章の神様が降りてきたというようなことはなかった。いつものように先が続かず、苦し紛れに言葉を並べただけだったのだ。
――先生は、あまりにもひどい僕の作品を見て、たまに辻褄を合わせるように少し点数を水増ししてくれたのではないか?
 とさえ思ったくらいだ。
 だが、よく考えれば、先生がそんなことをするはずもない。何かそれまでと違う何かをその時だけ先生は感じたのかも知れない。
 それを先生に聞いてみる勇気はなかった。だが、それでもいい点数を貰えるというのは嬉しいもので、最初にその点数を見た時は、
――俺は作文が得意になったのではないか――
 という感覚になったのを覚えている。
 しかし、それは錯覚であり、自分が作文をうまくなったのではないかと思った次の作文では自分に自信を持ち、いや、自信過剰と言ってもいいくらいの内容のものを書いてみたが、結局いつものように数行しかまともに書けず、あとはいつもと同じように考えていることの羅列でしか過ぎなかった。
 やはり成績は最悪で、
――あの時の点数はまぐれだったのか?
 と思うようになった。
 思い切って先生に聞いてみた。
「どうしてあの時だけ点数がよかったんですか?」
 これを聞くのは勇気がいったが、聞かなければ先に進めない気がしたのだ。
「素直にいい作品だと思ったからさ。俺はあの時、お前が何か吹っ切れたんじゃないかって思ったほどだったんだぞ」
 と言われて、
「そうなんですか? 僕にはまったく意識はありませんでしたが、どういう意識何でしょうか?」
作品名:裏表の研究 作家名:森本晃次