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短編集88(過去作品)

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 コンコースへ出ると、途端にお腹が減ってきた。列車の中でもお腹が減ったのだが、何とかもたせた。電車の揺れは睡魔とともに、食欲もそそるようで、それでもそそった食欲は睡魔のおかげで駅に着くまでもたせてくれる効果があった。
 コンコース内では、アナウンスの声や、革靴の乾いた音が篭ったようにあたりに響いている。構内にある食堂街へと足を伸ばすと、名物の釜飯屋に顔を出した。
 この街の名物は釜飯で、ここはレストランを経営しながら駅弁も作っている会社で、人気があった。すでに午後二時近くになっていたのに、店内には人が結構いて、昼休みなどは、表に並んで待っている人がいたのではないかということを想像させられた。
「いらっしゃい」
 威勢のいい声に誘われるように店内に入ると、お茶を持ってきたお姉さんは、慣れた手つきでメニューを差し出してくれる。
「じゃあ、とり釜飯を」
 と注文すると、
「かしこまりました」
 という返事をすると踵を返し、素早く戻っていった。その動きにはまったくの無駄がない。さすが人気のある店で、昼休みの忙しい時間帯など、回転率を上げることでうまく乗り切っていることが容易に想像できる。
――この時間に来て正解だったな――
 下手に昼休みなどにぶつかれば、忙しい中、どこに食べ物が入ったか分からないようで味も何もないだろう。せっかく出張に来たのだから、昼食くらいはゆっくりと味わいたいものである。
 会社で仕事している時は、まともに昼食を摂る時間もない。時間差による昼食なのだが、まともに一時間も休憩していると、仕事が溜まってしまうので、せめて三十分がいいところだ。事務所の近くにある喫茶店で昼食を済ませるが、味のわりに値段が高いので、決して満足した昼休みを過ごせているとは思っていない。それだけにちょくちょく出かける出張が楽しみになってくるのだ。
 営業で会社に入ったので、電車での出張は多い。特急電車や、新幹線を使って移動することが多いが、平均的に乗っている時間は二時間くらいのものだ。二時間を長いと感じるか、短いと感じるかはその時の感覚で、この日の出張は普段に比べると、駅に降りた時には短いと感じられた。
 しかし、その気持ちは時間が経つに連れて変わっていくことが多い。実際にその日も後になって、次第に長かったような気分になっていた。こんなことは珍しいことではない。
 食事を摂っていると、電車の中で見た光景が思い出された。遠くに見えた山肌は、あとから想像するからだろうか、実際よりも大きいのではないかと思える。そして遠い。遠いから大きく感じなかったからかも知れない。
 以前に写真で見たモンゴルの大平原、彼らは遊牧民で、広大な大地を庭のように住み替えている。決まった住所に住んでいる私たちには想像も及ばない世界だ。
 だが本当に想像の及ばない世界なのだろうか? 目の前に広がっていても違和感のない世界、それこそモンゴルの大平原である。
――きっと行くことになるんだろうな――
 と何の根拠もない妄想を抱くのだった。
 遠くを見て生活する気分というのはどんなものなのだろう? 空や星も手の届きそうなところにあるような気がしてくるのだろうか? いや、逆に果てしなく遠く、我々の感じることもないような果てしなさを感じながら生きているのかも知れない。
 斉藤は後者だと思っている。自分がもしモンゴルの大平原に横たわっていたら、きっと空の果てしなさを感じたいと思うに違いない。そうであってほしいのだ。
 そんなことを感じながらボンヤリと食事をしていると、誰かの視線を感じて一瞬たじろいでしまった。
――誰だろう――
 ここにあまり知り合いはいない。訪問先の会社の人であれば、知っている人もいるだろうが、そんな視線を感じたわけではない。痛いような刺す視線だったのだが、それも一瞬で、次の瞬間にはどこから感じられたものか分からずに、頭をキョロキョロと動かしていた。
 きっとまわりから見れば滑稽に見えることだろう。大の大人が、急に背筋を伸ばして、人の頭越しにまわりを見渡している。しかも何か声がしたり、誰もが注意を引くようなものがあったりしたわけではない。
 最近ちょくちょくあることだ。誰ともない視線を感じては、ビビッている自分を感じながらまわりを見ている。その視線は明らかに怯えていることだろう。
 せっかくモンゴルの大平原を思い浮かべているのに、どうしてなのかと考えるが、前も他人の視線を感じた時も、モンゴルの大平原を思い浮かべた時だった。
 広い世界からごく狭い世界に帰ってくる時に感じる儀式のようなものかも知れない。それならば、錯覚として簡単に片付けてもいいのだろうが、どうもそうではないようだ。
 自分が少しエゴイストであることを感じている斉藤は、大平原を思い浮かべることで、自分の中にある想像力をより掻き立てられる。
 電車の中で見ていた夢は、きっとそんなモンゴルの大平原の夢だったのだろう。夢から覚める時、確かに誰かの視線を感じたような気がしたが、車内を見渡すと、それらしい人の姿を見出すことはできなかった。
――ひょっとして無意識に誰かが見つめていたのかも知れない――
 とも感じたが、それにしても不自然だ。
 夢の中では大きな馬が一頭、他の遊牧の馬から一歩先を走っている。大きさもさることながら、身体全体が真っ黒で、まったく違う種類の動物ではないかと思えるほどだ。
 それを他の馬たちが微妙に感じ取って近づこうとはしない。適当な距離を保ちながら後ろからついていくことで、お互いに着かず離れずの関係を気付いているようだ。
――自然の世界はうまくなっているのだ――
 実際にそんな真っ黒の馬がモンゴルに生息しているのだろうか。モンゴルの自然環境も動物の生態系など、何も知らない斉藤にとって、夢の世界でだけは理屈を分かっているのかも知れない。
 もちろん、夢から覚めると覚えていないことは多い。しかし、
――夢の中で真っ黒な馬を見た――
 という記憶はあるのだ。
――モンゴルといえば黒い馬――
 という認識で今までいたのである。
 白い馬はやはり神話の国、ギリシャであろう。羽の生えた華麗な白い馬「ペガサス」、それにくらべてモンゴルの大自然で育まれた真っ黒な馬はまさしく大地の作り出した申し子であった。
 大きさも筋肉もペガサスの比ではない。モンゴル人のたくましさの原点がそこにあるのだ。
 モンゴル人という日本人と顔や雰囲気がそっくりで、喋らないとどちらの人なのか分からない。完全に固定した土地で暮らす日本人と、広大な大地すべてを自分たちのものとしているモンゴル人、神はどこを境にモンゴル人と日本人を分けたのだろう? 考えただけでも不思議である。
――世界の中心はモンゴルかも知れない――
 とまで思えるくらい、日本人はモンゴル人を意識している。それは斉藤だけかも知れないが、モンゴルに思いを馳せている人が他にいれば、きっと同じことを考えていることだろう。
――黒い馬にまたがっていれば、さぞかし皇帝気分になれることだろう――
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次