短編集88(過去作品)
かつての支配者、ジンギスカンになったような気分に浸るのもモンゴルの大地を思い浮かべる一つの理由だろう。広大な大地に、果たして独裁者が存在しえるのかという疑問はいささか残るが、すぐに狭い現実へと引き戻されるのだから、想像するくらい大した問題ではない。
――プライドの高さが傲慢さを呼ぶのだろうか――
広大な大地を素直に感じるだけならまだいいが、時々、独裁者になったような気になってしまう。歴史が好きな斉藤は、独裁者のその後を知っているだけに、広大な大地を思い浮かべることだけで、自分が独裁者の気分に浸れるのだ。
ギロチンに掛けられる独裁者、まわりからは罵声が飛ばされ、石も投げられる。すべてが自分のものだと思っていたにもかかわらず、すべてを否定されるのだ。間違いなく間近な将来に、生命までもが否定されるのである。
しかし、彼らの最後は潔いというイメージがある。開き直りなのか、それとも、小さい頃の教育が徹底していたのか分からないが、そこにプライドがあるに違いない。
それは間違ったプライドなのかも知れない。しかし、彼らに庶民には分からない感覚が宿っているのだ。
怒り狂った庶民には、その気持ちなど分からないだろう。何しろ想像を絶するような迫害を受け、人権などあったものではなく、家畜以下として虐げられていたことは、歴史が証明している。それだけに独裁者への見せしめは、
――これからの時代を庶民で――
という気持ちの表れだろう。
しかし、フランス革命で証明されているように、権力というものへの魅力は人を変えてしまうものなのかも知れない。せっかくなった共和制、しかし、その中で中心人物になった人間がまたしても権力を握ることで、自分が独裁者にならんとする行動を示しているではないか。目の前で自分たちが独裁者を処刑した事実をまるで忘れてしまったかのようである。
彼らの権力も結局長続きしない。最後に彼らは一体何を考えたのだろう? 後悔したのだろうか? 歴史の短い一ページとしてしか残されていないので、その心境を思うのは難しいことかも知れない。
独裁者として君臨し、それしか知らずに育ってきた人たちは、いい悪いは別にして、それだけのプライドを持っていたはずだ。死ぬ時も同じだったのかも知れない。
――お前たちと、私たちは根本的に違うのだ。いくら処刑されても、永遠に私はお前たちの君主であり続ける――
と思いながら死んでいったように思えてならない。
当時の人たち、あるいは、歴史を勉強していく上で、独裁者を出してはいけないという見地から、死んでいった独裁者の気持ちを思うことはタブーとされているかも知れない。
しかし斉藤は考える。
――死んでいった彼らも歴史の犠牲者なのかも知れない――
だが口に出すことはできない。口に出すことがタブーであることは、自分が受けてきた教育に逆らうことになり、考え方の根本を覆すことになるかも知れないからだ。
そういう意味で行くと、斉藤と同じような考え方を持っている人は他にもいるかも知れない。
――喋ってはいけないんだ――
と感じているからこそ、表情に表すことなく、受けてきた教育をそのまま納得しようと試みる。
歴史の授業で、フランス革命の時など、話を聞いていると、歴史上の事実を克明につづられているだけだった。そこに感情はなく、事実関係だけを繋げて行く方が、考え方を統一できるようで、教育方針がそうなっているのだろう。
だが斉藤は独裁者が掛けられたギロチンのことで頭が一杯になっていた。
――どんな心境だったんだろう。痛くはなかったんだろうか――
あっという間に首が転げ落ちたはずなので、痛みを感じたかどうかなど、自分が経験しなければ分からないはずだが、想像なので、なるべく楽な想像しかできない。きっと想像を絶する状況がその場で繰り広げられたに違いない。
臭いはどうだったのだろう?
刎ねられた首が吹っ飛んだ瞬間に、一気に血が噴出してくるのが想像できるが、あたり一面に噴出した鉄分を含んだような血の臭いが充満していたことだろう。血の臭いを想像しただけでも、気持ち悪く感じられる。消毒液の臭いが感じられて、あたりがアルコール臭くなっているような感じがする。きっと他の場面と頭の中が交錯しているのだろう。
刎ねられた首の始末しているところまで想像が及んでしまって、交錯する状況は、それだけ想像を絶することが行われているという意識が強いからに違いない。
処刑が行われたあと、庶民たちは歓喜の声を上げたことだろう。歓喜の中で、象徴だった首が晒される。万国共通の晒し首と言われるやつだが、死んでしまってもなお、許されることのない永遠の罪を一人で背負い込むかのように動くことのない首は一体何を見つめていたのだろう。
独裁者を決して許すことなどできるはずもないが、独裁者というよりも一人の人間として考えれば犠牲者の一人として考えてもいいのではないだろうか。
斉藤はそこまで考えて歴史を見ていた。授業が淡白であればあるほど、他の話に神経を集中させるよりも処刑の場面を思い浮かべ、処刑されていった人たちの心境を想像する方に力を注いでいったのである。
捕まった瞬間から、処刑は約束されていたはずだ。処刑までの期間、命がそこまでしかないのは分かっているはずで、しかも、処刑という屈辱的な形で終わってしまうということを、
――もし自分だったら――
と考えると、想像が及ぶはずもない。気が狂ってしまうのではないかと思えてくるが、処刑までの期間、一体何を考えられるというのだろう。
開き直り以外の何ものでもないだろう。といっても、そう簡単に開き直れるものでもないはずだ。食事だって、どんな気持ちで食べていたのか見当もつかない。
一日一日が長かったのか短かったのか、あるいは、同じ一日でも日にちが変われば長さがまったく違ったのではないかということも感じる。ずっと何かを考えている日、そして開き直りの境地に至ろうと考える時。だが、なかなか開き直ることなどできないだろう。もし開き直りに近づいたとしても、翌日になれば、また恐怖がよみがえってくるのかも知れない。寝る前だけが気持ちにゆとりを持てる唯一の時ではなかったかと、斉藤は考えている。
――独裁者の最後は、広大な大地を夢見ていたのかも知れない――
という考えは飛躍しすぎだろうか?
斉藤がもし独裁者としての最後を迎えるとしたら、きっと広大な大地に思いを馳せていたように思えてならない。
何も考えられなくなるのだろうか。もし考えるとしても、自分を受け入れてくれるところを想像してしまい、結論として広大な大地を思い浮かべるように思うのだ。
自分の首がギロチンに掛けられていることを想像できないから言えることなのかも知れない。首を抑えられ、上から降ってくる歯が自分の首を貫く場面に行き着くと、まわりの声や騒音など気になるものだろうか? 人は死を目の前にした時、何を考えて煽られる恐怖感に頭が真っ白になるのか分からない。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次