短編集88(過去作品)
しかし、夕凪の時間のように、沈みかけている太陽が見えるその反対側に、まだ明るさが十分残っている空に薄っすらと浮かんでいる月を見たことがあるではないか。想像力と記憶力であっても、十分に自分の中に存在し、それを育んでいくことができるはずである。もし、それを阻むものがあるとすれば、それは自己暗示なのではなかろうか。
自己暗示に掛かりやすい勉は、確かに想像力を育てようと感じた頃から、記憶力の低下を感じ始めていた。それを、
――想像力が邪魔しているんだ――
と勝手に自分で思い込んでいるだけなのかも知れない。
もう一つ考えているのは、
――人間の能力は、実際の十パーセントしか発揮できていない――
という考え方である。よくテレビで超能力者の特集の番組を見ることがあるが、超常現象というものを科学的にどう解釈するかで賛否両論である。だが、その中の考え方として、
「人間の能力はほとんど発揮されているわけではないので、超常現象が不思議でも何でもないんだ。誰でも持っている能力を発揮できるかできないかだけで、不思議なことという考え方とは少し次元が違うのではないでしょうか」
という学者の話だった。
実に興味深い話として聞いていたが、まったく考えられないことを超常現象として話題にするよりも、人それぞれの中にある能力を、発揮できるかできないかと考える方が自然である。
そういう意味で、自分の能力はたくさんあるのだが、それをどこまで発揮できるかは、人それぞれ個人差があるだろう。皆が皆、同じように発揮できるわけではない。だからこそ、テストの成績だってバラつきがあるのだ。記憶力も想像力も両方優れている人もいるだろう。片方だけ優れている人もいれば、どちらも劣っている人もいる。
勉は、
――自分は記憶力は低いが、想像力なら負けないぞ――
と感じたことがあった。そう感じてしまうと、その瞬間から自己暗示をかけてしまい、――記憶力は低くてもしょうがないんだ――
と感じるようになっていた。
それを勉は、「心の中の夕凪」だと思っている。まったく気持ちの中が無風状態になっていて、何かを考えるための時間、それが一日に一度なのか、一週間に一度なのか分からないが、周期的にやってくるものだという感覚に襲われていた。
おじさんと会えなかったという事実、これも頭の中が整理できずに、ただ不思議なことだと思っているだけではないだろうか。どこかに盲点があり、他の人が考えれば、
「なんだ、そんなことは、こう考えれば自然に理解できるじゃないか」
ということなのかも知れない。
しかし、このことを今までに知っているのは、その時の当事者だった母親とおじさんだけである。
――そういえばあの時、母親はともかくとして、おじさんは深く何も語ろうとしなかったな――
ということを思い出した。
――ひょっとして何かを知っているのだが、口に出してはいけないと思ったのか、それとも本当に口に出してはいけないことだったのか――
そんな気がして仕方がない。
あの時のおじさんの顔には余裕が感じられた。知らないのは勉だけで、知らなくてもいいことを不思議に思っている勉を見て、微笑んでいたのかも知れない。
雪の中を必死になって帰った時がいつだったのか思い出せない。
まるで昨日のことだったようにも思えるが、記憶力に自信がない勉にはかなり前だったようにも思える。
――こんな時に記憶力のなさが邪魔するんだな――
まるで他人事のように考えているが、心の中では実に悔しい思いをしている。
――自己暗示に掛かっているのなら、何とか解くこともできるだろうが、それには自己暗示に掛かった時以上にさらに大きなきっかけを必要とするに違いない――
と考えるのだった。
それは数倍から数十倍のように思えてならない。何事も始めるのは簡単だが、終わるのは難しいというではないか。最初から終わることが分かっていたり、終わらせないといけないと考えている時は無意識にであっても、終わりを計算に入れているはずだ。しかし、自己暗示の場合は終わりを計算できるはずがない。それだけに、終わりのきっかけを探すのは困難を極めることだろう。
その日、勉は急いで帰らなければならない理由もなく、ゆっくり歩いていた。遠くの山に日が落ちるのを見つめながら歩いていると、後ろの方から迫ってくる夜の帳を感じないものだと思っていたが、ひんやりとした風が吹いてきて、冷たさを感じることから、凪が終わったことを悟った。
夕凪というのも意識していると、あっという間のものだった。時計を見ると十五分くらいだった。
――実際の時間を把握している人は何人くらいいるだろう――
というよりも、夕凪という時間を気にしている人がどれだけいるかというのも疑問である。夕凪自体を気にしている人たちの中で、さらに時間まで気にしている人となると、本当にごく少数に違いない。
ゆっくりと空を眺めていると、遠くに見えていた山が光って見える。沈んだ太陽が後ろから照らしていて、まるで後光が刺したかのようだ。
――こんな光景が見られるなんて――
昔から後光が差すのはお釈迦様のような高貴な人だったり物だったりするが、意外と昔の人は、山の向こうに見える沈んだ太陽が光っているという光景を不思議な感覚として、高貴なもののように捉えていたのかも知れない。
家に帰り着くと、すでに夜の帳は下りていて、他の部屋からは明かりが漏れていた。おいしそうな香りが鼻腔を刺激するが、心地よい刺激が感覚を麻痺させるような気がして仕方がない。自分の意識が嗅覚に集中してしまい、他のことがまったく頭に入ってこない。
それが勉の性格であった。
――一つのことに集中すると、他が見えない――
これでは記憶力を発揮することなどできるはずもない。
そんなことは分かっているつもりだった。しかし、どうしても想像力の裏返しにある記憶力の低下を信じてしまう。そちらも間違いではないだろう。だが、想像力にしても、一つのことへの集中力を高めるためにしても、その二つが同居することは考えられないことだった。
ネオンサインを目印に歩いてきて、いつもと変わらぬ部屋を見るとホッとする。記憶力の低下を気にしながら歩いていた自分を、すっかり忘れている。それこそ記憶力のなさが幸いしたとも言える。
――都合の悪いことは覚えていないからいいさ――
心の中で苦笑いをしているのに気付くが、それほど勉は楽天的な性格ではない。だが、気にしなければいけないことを大雑把に考えたり、気にしなくてもいいことをくよくよ考えたりと、頭の中が空回りしているのだ。
――どんなにがんばっても、所詮お釈迦様の手の平の中なんだ――
「西遊記」の話を思い出す。
部屋に上がる階段を昇っていたが、いつもは何も考えずに上がっているのに、その日は数を数えている。
「一段、二段、三段……」
するとどうだろう? 今まで気付かなかったが、階段は十三段あるではないか。普通だったらこんな不吉な段数はないはずだと思っていたのに、上がりついて下を見ると、
――こんなに高かったかな――
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次