短編集88(過去作品)
という先入観があってこそ感じるもので、予備知識のない段階でそれを感じることは、まず不可能に近い。
夕焼けを見ながら帰っていると、いやでも夕凪という時間を意識してしまう。歩いていると沈む前の太陽が最後の力を振り絞っているかのように感じる。ろうそくは消える前に最後の力を振り絞るがごとく、明るく光るというではないか。科学的に信憑性のあるなしは分からないが、心理的に感じるのは、きっとろうそくに人間の魂を見ているからかも知れない。
特に勉は暗示に掛かりやすい方だ。疑り深いところもあるが、基本的には人がいうことをまず信用してしまう。
――それではいけない――
とその後になって感じるから、疑り深いところもあると思うのだろう。二重人格的なところがある人間は往々にして、自分を信用していない人が多いのかも知れない。
自分が信じられない人を謙虚だという言い方もできるが、確かにそうだろう。長所と短所が紙一重で、しかもそれが裏返しに存在していれば、納得できるというものだ。
勉はかなり以前の段階から自分が二重人格ではないかと思っている。少なくとも、中学時代におじさんに出会えなかったという記憶が残っている時には、自分が二重人格ではないかという意識を持っていたことを窺える。
――ひょっとして、最初から会えるかどうか半信半疑だったんじゃないかな――
という思いが後から浮かんできた。疑い深いという自分の性格がその頃からなければ、そんなことは思わなかったに違いない。会えなかったことを自分の中で何とか正当化させようという気持ちも働いているのだろうが、一旦、自分の考えを否定しなければ、その結論を導き出すことはできないだろう。
夕焼けを見ていると、いろいろなことを思い出す。一番はおじさんに会えなかった道、そして、この間の雪の降った中を必死で帰ったという記憶。
――どれも本当のことだったのだろうか――
だが、おじさんの時に関しては、目の前を歩いていたのに気付かなかっただけかも知れない。考えにくいことではあるが、一番可能性としては高い。まるで夢を見ていたんじゃないかという感覚だが、すべては後からにしか考えられないことだ。
特に考えごとをしていると、まわりが見えなくなるのは、勉の性格ではないか。きっとその時、目的以外のことで頭の中が一杯だったのかも知れない。
それを簡単に結論として導き出すのは危険だが、いろいろな偶然が重なって会えなかったという事実があるのだとすれば、結論として考えるに値するに足るのかも知れない。
納得のいかないことは勉に限らず他の人にもあるだろう。それをどこまで追求できるかは、その人の性格によるもの以外、何ものでもない。
暗示に掛かりやすいというのは、いいことだと思ってきた。確かに損をすることもあるが、それほど大きな損ではなく、きっと自分にとっていいこととなって返ってくるのだと信じて疑わない。
雪なんて降っていないと言われれば、信じてしまう。きっと夢でも見ていたのかも知れないと思ってしまう。それだけ、妻の言葉は全面的に信じてしまうのだ。
小さい頃から自信を持つことを言われて育ってきたつもりだった。厳格な母親から見れば、
「あなたは自分に自信がないから、すぐにものを忘れるのよ」
と言われた。
考えれば考えるほど、母の言った言葉が当てはまる。自分に自信を持てるだけの根拠がないので、自信を持つという言葉にピンと来ないのだ。だが、ピンと来るようになりさえすれば、自然と自信の持てるものを発見することができるものである。
「自信を持てることって、必ずその人の中にいくつかあるものなのよ。それに気付くか気付かないかだけのものなの」
一度だけ、母親の口からその言葉を聞いた。いつもと雰囲気が違う母だったが、どうしたというのだろう。諭すような口調で、いつものような厳しさではなかった。包み込むような言い方で、妙な説得力に満ちていた。いつもなら、
――何言ってんだ――
と、反抗心むき出しの気持ちで聞いているのだが、その時だけは素直な気持ちで母親と向き合えた。
――だけど、自分の中に自信が持てるものなどあるのだろうか――
いろいろ考えてみるが、
――いつも何かを考えていることかな?
一つのことからいろいろな発想が浮かんで、歩いている時など、絶えず何かを考えている。
想像力が豊かになったはずで、記憶力がないのは想像力にその分を奪われたからではないかと思うようになっていた。
だから、記憶力がないのを、短所だとは思っていない。確かに困ることは多い。人から怒られ、迷惑をかけることも少なくないからだ。相手からすればじれったいだろう。友達の数も自然に減ってくる。
仕事にしても、一人孤立してしまうと、なかなかやりにくいものがある。どうしても自分が悪いんだという気持ちが先に立ってしまって、相手に変な遠慮をしてしまう。しかし逆に自分の中にあるプライドが許せないのか、意地でも相手に合わせたくないという自分もいる。そのためにどうしても孤立してしまった相手とは、交わることなく平行線を描いているのだ。
孤立してしまうと、その向こうには寂しさが待っている。寂しさを乗り越えるには、何かを犠牲にすることも止む終えない。いろいろな感覚が麻痺してくることもあり、記憶力をさらに低下させることになることになる。悪循環なのだろう。
記憶力の低下が招く感覚の麻痺なのか、感覚が麻痺することによって記憶力が低下するのか分からない。
だが、それでも短所だと思っていないのは、それだけ想像力が旺盛なことを長所だと思っているからだろう。
勉はなるべく長所を伸ばしたいと思っている。
人によっては、短所を直すことで、平均的にそつのない人になりたいと思う人もいるだろうが、勉は平均的でなくとも何か一つでも秀でているものを持ちたいと思っている。
敢えて短所を直すよりも長所を伸ばそうとするのは、短所は長所の裏返しであると思っているからである。
想像力を生かしたいと考えているから、今でも絶えず何かを考えている。時々小説を書いてみようと思って机に向うが、なかなかうまくいくものではないらしい。
――相当、気持ちに余裕がないと小説は書けるものではない――
それが結論だった。だが、今でも小説を書きたいと時々感じる。無性に書いてみたくなるのだ。それも、ある日突然にである。
原稿用紙のマス目を見たくなる。今は原稿用紙で書く人も珍しいだろうが、学生の頃、ドラマで小説家が原稿用紙の山に埋もれているのを見て、なぜか憧れるようになった。
――原稿用紙には魅力があるんだ――
小学生の頃に一番嫌いだった作文、しかし、旅行で出かけた先で作家の記念館に入った時に、ちょうど有名作品の原稿が当時のまま展示されていた。いたるところに赤文字で添削が施されていて、もし作家というものに憧れを持ったとすれば、その時が最初だっただろう。
想像力と、記憶力、どちらも共有できないものなのだろうか?
月と太陽のように、同じ空に浮かんでいるものでも、一見昼と夜とで同じ空に存在しえないと思うだろう。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次