短編集88(過去作品)
駅に着くと、おじさんを探した。当然乗降客のすべては駅からどこともなく去っていったことだろう。小さいが、駅舎の奥にある待合室に行ってみるがおじさんの姿はなかった。
――待ちくたびれて歩き始めたのかな?
とも思ったが、途中は一本道、すれ違わないわけがない。車だってほとんど通っていないところだ。どちらかが見つけてもいいはずだが、すれ違わないなんておかしなことだった。
タクシーを使ったのかとも思ったが、迎えに行くことが分かっていてタクシーを使うはずもない。駅に行って駅の人に聞いてみるが、
「ああ、その人なら、この道をまっすぐに歩いていったよ。途中少しだけ待っていたようだけどね。タクシーがいたのに見向きもしなかったよ」
そう言って指差した方向は、今まさにやってきた道ではないか。途中にどこか立ち寄る店があるわけでもない。駅員の話では、ゆっくりだが、まっすぐに歩いていたという話である。実に不思議だ。
家に電話するのは、少し躊躇していた。もし着いていたら、
「あなたは一体何をしていたの」
と怒られることだろう。それが嫌だった。
とにかくいないと分かっていてもおじさんを探してみることにした。そうしないと自分の気がすまないからだ。
自分でしっかりと確認しないと気がすまない性格は、きっと遺伝かも知れない。父親は極端だった。自分で見て触ったものでないと信じないという性格で、歴史なども本当にあったことなのかと疑ってかかっていた。勉も同じようなところがあったが、フィクションとしてみればこれほど楽しくスリルのあるスペクタクルはなく、本を読んだりするのは好きだった。暗記が苦手なわりに歴史の成績がよかったのは、そのあたりが幸いしているからだろう。
おじさんはやはり見つからなかった。後から考えれば実に無駄な時間を過ごしたように思うが、その時は一生懸命で、時間を感じることもなかったくらいだ。
来た時よりも帰りの方が数倍疲れてた。
帰りはてっきりおじさんと一緒に話をしながら帰れるものだと思っていただけに、一人で歩く帰り道は、来る時よりも足が重たい。しかも中間地点である丘まで歩いても歩いてもたどり着けない。
歩いていて情けなくなってきた。
小学生の頃、学校にノート一冊を忘れたということで、厳格な母に取りに行かされたことがあった。今ならたかがノート一冊と思うが、母の言いつけには絶対の気持ちがあった勉に逆らうなどという言葉はない。ただ言うことを聞くだけなのだ。
歩きながら涙を流したものだ。それがノートを忘れてしまった自分が情けなくて流した涙なのか、厳しい母親に逆らうこともできない情けなさに流す涙なのか、とにかく涙の意味は、
――情けない――
ということに尽きるのだった。
その時も情けなさが自分を支配していた。
「言いつけたことを守れないで、情けない子ね」
小学生の頃に嫌だった母の顔を思い出した。今ではすっかり穏やかになった母からは信じられない。それだけに今の母に二度とそんな顔はさせてはならないという気持ちが強いのだ。
結局、へとへとになって家に帰った勉は、母親から一言二言言われただけで、それ以上は何もなかった。おじさんが、
「いやいや、きっとお互いにあまり気にしていなかったんだろうね」
と口では言っていたが、すれ違うはずの人を目の前にして、見つめるその目は、不思議なものを見るような目だったことは今でも忘れられない。
四十歳になった今でも、その時のことを時々思い出す。夢に見ることもあるくらいで、足の重さを感じるが、まるでプールの中を歩いているような抵抗感が、身体全体を支配していた。
都会に住んでいた頃の方がよく思い出していた。夜になると真っ暗になる田舎では、夜出かけることはあまりなかった。しかし、いつまでもネオンサインや街灯で明るい都会は寝ることを知らないかのように、絶えず起きている人を迎え入れているようだ。誰もいない通りでも、明かりが灯っていると、誰とすれ違ってもまったく不思議ではないだろう。
――中学時代に会えなかったおじさんが飛び出してきそうだ――
そんな妄想を抱くことが何度となくあったことだろう。あの時は真昼間だったのに、なぜ夜にすれ違うと感じるのか分からない。中学を卒業すると、下を向かずにキチンと前を見て歩いていたのに、今は下を向いて歩いている。
――影を見つめて歩いているからだ――
今ではしっかりと自覚している。その影というのが自分の影なのか人の影なのかはその時々で違っている。居もしない人の影を追いかけていることもあるほどで、都会の夜に慣れてしまうと、今住んでいるとことの夜が少し違うことに気付くまでに少し時間が掛かった。
今の家に引越してきてから、中学時代におじさんを駅まで迎えにいって会えなかったという記憶を思い出すことが何度もあった。それは会社から家に帰る帰り道で思い出すのであって、それは決まって住宅街を通り抜ける時である。
住宅街を通り抜けるといっても、途中で何度か角を曲がることになる。まっすぐの道がかつてはあったのかも知れないが、住宅街を作った時の区画整理の関係か、どうしても角を曲がることになるのだ。
普通住宅街というと、同じような佇まいが多く、角を曲がればまったく同じ光景が飛び込んできて、どこを歩いているか分かりにくいものだが、途中には公園や、公衆電話、ポストのようなものといった目印になるものがあるのは、最初に入りこんだ人でも分かりやすくなっている。それが意図してのものだかどうかは分からないが、偶然でもいい、わかりやすいに越したことはない。
中学時代のことをよく思い出すのは、そんな住宅街に入ったところで、曲がればポストは見える一角である。中学時代に駅までの道の中でほとんど駅に近づいて、やっと正面に駅が見えるというところまでくると、その横にポツリと立っている赤いポストが見えたのだ。現在のようなよく見かける大きなポストではなく、昔ながらの円柱形のポストで、色もオレンジ掛かったような色ではなく、真っ赤な鮮やかさがあった。形もそうなのだが、何よりも色が忘れられない原因になっているに違いない。
夏の日差しを浴びて光っているのが印象的だが、あれだけ真っ赤に染めるには、かなりペンキを塗り込まないとダメだろう。塗り込みすぎて表面が斑になっているのか、余計に光って見えた。
今から思えばおじさんを迎えに行く時のもう一つの目印はポストだったように思う。確かに途中の丘も大きな目印だが、それを超えると、ポストを目印に歩いていたつもりだった。
だが、実際にはポストをその時に見たのかどうかの記憶がない。急いで駅まで行かないと、遅れていたので、
――おじさんに会えなかったらどうしよう――
と心の底で思っていたのかも知れない。一本道なので必ずすれ違うはずという油断があった中で、無意識にまわりが見えていなかったのは、会えなかった時の危惧が頭の中を駆け巡っていたのだろう。そうでないとポストのことを見忘れた理由にはならない。
――本当に見忘れたのだろうか――
ひょっとして目には入っていたが、見たという記憶だけが飛んでしまっていたのかも知れない。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次