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短編集88(過去作品)

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 犬を飼っている人は基本的に寂しがりの人だと思っていた。四郎はアキちゃんが離婚したのを知っている。だからこそ寂しさのために犬を飼っているのは明白である。従順な犬を見ていると、アキちゃんが犬に接している姿が想像でき、微笑ましい気分にさせてくれる。
「僕も昔は犬を飼っていたんですよ。その頃が懐かしいですね」
「どんな犬だったんですか?」
「柴犬のメスでした。可愛かったですよ。僕にはちょうど抱き心地もよかったですね」
「柴犬ですか、可愛いですね。でも私はパグが好きなんです。おかしいでしょう?」
「そんなことはないですよ。愛嬌があって可愛いですよね」
 本心からではなかった。本当はよほど柴犬の方が可愛いと思っていて口が裂けても言葉に出せないことだった。
 確かに犬は従順で裏切らない。ウソをつかないだろう。昔から忠犬ハチ公の話しかり、花咲か爺さんの話しかり、犬が忠義を示したり、犬の言うとおりにすると、幸運が舞い込んだりする話が多いのも事実だろう。
 しかし逆にあまり犬に固執しすぎて、徳川綱吉の「生類憐みの令」のように、
――人よりも犬――
 という極端な考えに走らないとも限らない。
 どうしてこんな考えが浮かんでくるかというと、ハッキリと覚えていないのだが、以前犬を助けたことがあった。飼い主は女性で、ちょうど公園を散歩している時だったように思う。
――なぜハッキリ覚えていないのだろう――
 公園を散歩していたことには違いないので、散歩を始めてからということになると、それほど時間が経っているわけではない。
 しかし、今ここでアキちゃんと出会ったことでその時のことが少しずつ思い出せてきそうな気がしてきたのだ。
 普段なら犬が歩いていてもそれほど気にすることなどない。何しろ公園には散歩させている犬なんてたくさんいるからだ。だが、その犬だけが気になったというのは、きっと毎日のように見ていたからかも知れない。
 犬が気になったというよりも、連れていた女性が気になっていたのかも知れない。人の顔を覚えるのが大の苦手なので、顔はシルエットが掛かったようにハッキリとしないが、さっきアキちゃんを見た時に以前助けた女性の顔が先に浮かんできたような気がした。
 だが、今考えるとアキちゃんとのイメージとはかけ離れているような気がする。
 アキちゃんが少し活発なところのある女性であるのに対し、助けた犬の飼い主はどこかオドオドしたところの目立つ女性だった。確かに最初犬の危機に直面しどうしていいのか分からなかっただろうから、オドオドしていて当然である。言葉は悪いが、四郎がうまくその場を切り抜けられたのも、まったくの無関係だということで、気分的に落ち着いていたからだろう。
 四郎にはそういうところがある。相手が活発だと大人しくなったり、相手が落ち着いていて会話が弾まないと思えば自分から話題提供をするなど、相手に合わせるのである。
 そんな性格を四郎自身はどう感じているのだろうか? 四郎自身にも正直分からない。大学時代に好きになった女の子がいて、その子があまり喋らない子だった。付き合い始めたきっかけは、気持ちの盛り上がりからだったのは間違いない。決して寂しさからの衝動だったとは思いたくないし、そう感じることは何より彼女に対して失礼である。
 彼女は四郎にとって初めての女性だった。
 二歳年下で、二十歳を迎えた四郎の元に突然現れたという感覚があった。一目惚れという感じではなく、最初から大人しい女性だと思ったが、出会いにしても、大学の講義の最中、ペンを貸してあげただけのことだった。
 たったそれだけのことだったのに、彼女のお礼の言い方は親切丁寧だった。初めて女性に見つめられ、オンナを感じた。
 不謹慎なのかも知れないが、感じたものはしょうがない。
――ひょっとして、初めての女性になるかも知れない――
 かなりの高い確率で感じたことには違いない。目も血走っていたのかも知れない。
――明らかに彼女は男性を求めている――
 と感じてしまった。もしそうでなければとんでもない赤っ恥を掻くことになるに違いなかったが、それこそ気持ちがお互いに盛り上がったのだろう。呑みに行こうという誘いに戸惑いを感じながら断ることをしなかったのは、元々の彼女の性格で、戸惑いを最初に感じるのは彼女の性格だということに気付いたのもその時だった。
 気持ちの盛り上がりが勢いとなり、アルコールによる酔いもともなって、お互いの身体を貪るような時間が過ぎていった。
 初めて感じる女性の肌は柔らかく、身体をずっと重ねていると相手の身体に吸い込まれそうな感覚に陥ってくる。定期的に波のように襲ってくる快感に身を委ねながら最後は小刻みに身体を震わせながら、彼女の中に自分を解き放ったのだ。
 しばし襲ってくる気だるさの中で、一番感じたのは、
――女性の匂い――
 だった。
 二人きりになった瞬間から感じていた匂いは、お互いの身体を貪りながら、甘酸っぱい匂いに形を変えながらでも、最初に感じた匂いは不変だった。最後、彼女の中に解き放たれた快感から、一気に冷めていく時に感じる気だるさの中でも同じ匂いを感じていた。冷めていたにもかかわらずいとおしさがずっと変わらなかったのは、その匂いが不変だったからに違いない。
 初めて感じた女性の匂いは、香りと表現するには、あまりにも艶かしさが感じられる。香水の香りでもない。臭いわけでもない。だが、何かひきつけられるものが存在していることだけは確かなのだ。
 匂いが鼻腔をくすぐるたびに胸の鼓動を感じ、淫靡な雰囲気に興奮を覚える。
――これが男というものなのだろうか――
 と思いながら、女性を抱くのは初めてなのに、次第に懐かしさがこみ上げてくる不思議な感覚に戸惑っていた。それも雰囲気に慣れてくるにしたがって、ごく最近だったように感じた。その思いは、それ以降女性と身体を重ねても味わうことはできなかった。
――アキちゃんを見て、そのことを思い出した――
 似ても似つかない二人なのに、どこか共通点があるのだろうか? 
 犬を助けた女性とはその時が最初で最後だった。気持ちが盛り上がった理由をその時には知らなかったが、あとになって知った時には彼女は引っ越していったあとだった。
 どうやら出会ったのは失恋してすぐだったようだ。誰から聞いたのか思い出せないが、言われてみればどこか捨て鉢なところがあったように思う。そういうことであれば、その日限りだった理由も分からないでもない。
――自分を変えたいという気持ちがあったのかも知れないな――
 普通失恋すると、忘れてしまいたいと思うものだろうが、四郎の考え方は違う。忘れてしまえるくらいなら、失恋しても落ち込んだりしないだろう。失恋を受け入れた上で、自分を変えようとする方が無理がないように思える。
 しかし、それは自分に失恋経験がないからだということに気付いたのは、本当の失恋をしてからだった。あとから考えれば、
――そんなに好きだったんだろうか――
 と思えるほどアッサリしていて、失恋した瞬間に、
――目の前が真っ暗だ。明日から何を支えに生きていけばいいんだ――
 とまで考えていた自分が逆に信じられない。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次