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短編集88(過去作品)

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 夕日が最後の力を振り絞り、力一杯に影を足元長く映し出そうとしている時間帯、反対方向には闇が迫ってきている。空には夕焼けと夜の帳が共有していて、どちらもそれぞれの居場所を主張しているかのようだ。
 散歩するようになって、そのことに気付いた。その時間帯が一番事故の起こりやすい時間帯なのだ。
 風が砂を舞い上げる。砂が夕日に照らされてオレンジ色に光っている。身体に巻きつくように迫ってくるのだが、普通風が吹いてくると気持ちいいものなのだが、身体にだるさを感じるのだ。
 乾燥しているから砂を舞い上げているのが分かっているにもかかわらず、身体に纏わりつく風に湿気を感じるのはなぜだろう。湿気を帯びた風は、潮風が苦手な四郎には辛いものだ。だから身体にだるさを感じる。
 しかしその風も気がつけば止んでいる。いわゆる夕凪の時間帯である。この時間が交通事故を引き起こす。交通安全のビデオでは、
「見えているものがモノクロに見えるからだ」
 と説明しているが、実際に意識して見ていると、
――どこがモノクロに見えるというのだ――
 どう見ても普通にしか見えない。車に乗っていて夕凪を意識していない状態でないと見えないのかも知れない。
 自分が起こすミスも、運転中の夕凪状態に似ているのだろう。そう考えると、いくつか理解できないところが残るが、分からないまでも辻褄が合いそうな気がする。世の中の仕組みというのは、案外そんなものなのかも知れない。
「自分が納得できない時は、発想を逆にしてみればいいんだ」
 これは中学時代の先生の話だったような気がする。理屈では分かっているつもりでも、なかなかそこまでの発想は出てこない。しかも中学時代に夕凪などということを知らなかったし、もし知っていたとしても、話を聞いてすぐに夕凪を思い浮かべることができたかどうかも分からない。
――いや、意外とできたかも知れないな――
 中学時代といえば一番発想が長けていた時期だったように思う。子供の発想から大人の発想への転換期。同居していた時期でもある、まるで夕焼けの空のように、片方には夜の帳が迫ってきているような状態を思い浮かべることができるだろう。
「ミスを怖がっていては、何もできないぞ」
 これも中学の先生の言葉だ。
「どうしてですか?」
「ミスを怖がっていると、行動範囲が狭くなる。狭くなるからギクシャクした中での生活や発想しかできなくなって。窮屈なことに気付かないのさ。だから、何かあった時に気持ち的にも余裕がないから、決していい方向に行くはずもないよな。先生は皆にそんな大人になってほしくないんだ」
 そう言って笑っていた。
「先生も細かいミスは一杯してきたが、そのたびにこのことを考えてきた。自分に言い聞かせてきたんだよ。小さくまとまるなってね」
 先生の言うことは分かるような気がしていた。この話だけでも十分先生に興味があったし、もっといろいろな話を聞きたいと思っていたのだが、なぜか途中で先生はやめていった。どうやらやめさせられたようである。
「あの先生は、不倫をしていたそうよ」
 信じられない噂話を耳にした。説得力のあった先生の話すべてが否定されたようで、何を信じていいか分からなくなったのだ。ひょっとして本当に人を信じられなくなった時期がどこかに存在するとすれば、この時が最初だったに違いない。
「人を信じられないということは、自分を信じられないということなんだぞ」
 これも先生の言葉だったが、自分が本当に信じられなくなった。
――こんな自分にしてしまった先生が憎い――
 と感じたのも仕方のないことだった。
 しかしその傷も時間が経てば自然に癒えてきた。高校、大学とまわりの環境が変わるたびに新鮮な自分を発見できることができ、それが嬉しかったのだ。
 しかし、社会に出ると厳しさというのは避けて通れないと思っていたが、入社してすぐの学生時代とのギャップさえ乗り越えれば後はそれほど苦になることもなかった。
――なんだ、社会ってこんなものか――
 とも感じたほどで、思ったより楽な気がしてくるから不思議だった。
 だがそれは第一線という現場の仕事に向いていたからで、それが今度は中間管理職というものが見えてくると、上と下を見ないといけない関係で、急に厳しさを感じるようになった。
――自分のミスでもないのに、自分の責任にされてしまうんだから、理不尽だ――
 監督不行き届きという、いわゆる管理職にとって一番大切なことを怠ったことで仕事能力を疑われる。本当は平社員の頃から意識していないといけなかったことなのかも知れないが、それよりも、自分に順応性がないことに今さらながら気がついた。
 要するに融通が利かないのだ。
 自分のしていた仕事をスムーズに部下に引き継ぐのも難しいものだ。自分が引き継がれた時のことを思い出してみるが、最初は何も分からないのだから、思い出そうとしてもうまく思い出すことができない。
――本当にこんなのでいいのかな――
 すべてが手探り状態である。そんな状態で気持ちに余裕などできるわけはないだろう。
 家の近くを散歩し始めたのは、ある日風邪を引いて早退したのがきっかけだった。
 その日は朝起きた時から喉が痛く、元々扁桃腺肥大なので、喉が痛いと発熱するという意識が強いので、すぐに体調を崩してしまう。
――精神的なものが強いのかな――
 と思うが、確かに精神的なものが身体を悪くしているのかも知れない。
――病は気から――
 というではないか。潮風や湿気を帯びた空気に弱いのもそのためである。
 その日、午後から早退したのだが、帰りに病院に寄った関係で、病院を出たのがちょうど夕方近くになってしまった。点滴を打ってもらったので、時間が経ってしまったが、おかげで少し楽になったようだった。
 身体に力が入らず、頭がボーっとしていたが、ちょうど夕凪の時間に当たったのか、風を感じない時間だった。
 夕凪の時間は気持ち悪いものだとばかり思っていたので、実に不思議だったが、おかげで夕方の散歩がきっと気持ちいいものだということを教えてくれたような気がした。
 実際に風邪が治ってその週末に散歩した時、今までにない気持ちよさを感じていた。気持ちに余裕ができるのが一番嬉しかったが、時間を感じることなく、それでも有意義な時間だったとあとで感じることのできる不思議な時間を過ごせるのも嬉しかった。
 時間というものは、環境で変わるものではないが、感じ方で全然違ったものになるようだ。気持ちの余裕とは時間をコントロールできる不思議な魔法を持っている。仕事での憂鬱な気持ちを払拭でき、自分にも他に何かできるのではないかという思いを抱かせてくれる。
――何か一つでも趣味があればいいのにな――
 と思っていろいろな趣味を考えたが、なかなかに会うものが見つからない。だがそれでも意欲的に何かをしようと思っている自分がいじらしくも見え、
――きっとそのうちに見つかるだろう――
 と考える余裕が生まれる。
 散歩をしているといつも会う人は決まってくる。
「やあ、今日も天気がいいね」
 そんな会話は日常茶飯事で、中には馴染みの居酒屋で常連の人がいたりするからビックリしてしまう。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次