短編集88(過去作品)
四郎
四郎
八幡四郎は、いつものように土曜日の午後、家の近くを散歩していた。そろそろ三十歳になろうとしている四郎だが、毎日が一人暮らしをしているマンションと会社の往復ばかりで、楽しみといえばこれと言って何もなかった。
――誰か素敵な女性と知り合えればいいんだけどな――
自分から動かないと出会いがないのは分かっているつもりだが、どこに出会いがあるのか、ハッキリと分かっているわけではない。
人に聞く問題ではないし、聞いたからといって教えてもらえるものでもない。
――何をとぼけたことを言っているんだ――
と思われるのが関の山、いつも一人で行動している四郎がそう簡単に出会いが訪れるとも思えない。期待だけが強くても情けなくなるだけなので、最近ではあまり考えないようになっていた。
そのせいだろうか、何をするにも無気力になってきた。
公園での散歩は、そんな無気力状態の頭にはピッタリで、散歩しながら見ている景色を素直に受け入れることができる気がしてきた。
――自分って、本当に存在価値があるんだろうか――
そんなことまで考えたことがあった。何か一つでも世の中のためになることができればそれだけで十分な存在感だ。その何か一つが分からない。
「仕事を頑張っているだけで、世の中の役に立っているんじゃないか」
という人もいるが、会社ではそれほど責任のある仕事をしているわけではない。就職して二年目くらいからは、第一線で頑張ってきたので、やりがいを感じることができた。元々自分の力で成し遂げられたことが目に見える形になって表れた時はやりがいを感じることができるが、それが主任という立場になり、部下のやりやすいような環境づくりに仕事の内容が移ってくると自分のやりがいが分からなくなってくる。
そんな時にふっと自分の中の存在感を感じるのだ。縁の下の力持ちが嫌だというわけではないのだが、自分が中心でなければ嫌だということをその時に初めて知ったような気がしてきた。
仕事をして疲れて帰って、それで一体何があるというのだろう?
大学時代までは勉強をすることが仕事のようにいわれてきたが、勉強というのはテストがあって、きっちりと答えが出る。仕事というとそういうわけでもなく、長い目で見なければいけないことも多いだろう。もちろんすぐに結果になって表れ、その結果だけで評価されてしまうという厳しい世界であるということも、何となく分かってきた。厳しい世界だということを話には聞いていても、実際に自分がその立場にならなければ分かるものではない。
そういう意味では主任という肩書きが初めてつき、そろそろ中間管理職が迫ってきていることに不安があるのだ。
「中間管理職というのは自分が実際にすることよりも、自分の手足になって働いてくれる人を育てることだからな。辛いものだよ」
そう話していた先輩の話には妙な説得力があった。その時にはピンと来なくとも、
――この話は確かあの時、先輩が話していたことだったな――
と必ず思い出されるものだった。
中間管理職に対して今まで言いたいことを言ってきた人間だった。残業が多いだの、経費節減だの、鬱陶しいことばかりを口にしていた。上司というのは、部下が仕事しやすいように環境を整えるのが仕事だという認識でいたので、それは当然の主張だと思っていたからだ。
しかし、今度はその中間管理職に近づいているのが他ならぬ自分である。不安一杯なのも当たり前というものだ。平社員の間にもう少し中間管理職の立場を理解していればここまで不安になる必要もなかっただろう。
――果たして、部下という立場で、自分の仕事を一生懸命にこなしている連中に、そこまで考えることができるだろうか――
できるはずもない。第一線の仕事は成果がすぐに形となって現れる。他のことを考えるような余裕などあろうはずはないだろう。
最近では何をするにも億劫に感じることがある。無気力に繋がってくるゆえんなのだろうが、いろいろなことを勉強して吸収しなければならないこともあるだろうに、一向にそんな気持ちにならないのだ。そんな時に見るのが田舎にいる母親の夢だった。これも気持ちに余裕がないからだろうか?
まだ中間管理職について不安がる歳ではないはずなのだが、四郎は一旦気になってしまうと不安をなかなか取り除くことのできない性格だ。それだけに本当なら一番油の乗り切った第一線に立っている時間を、少し無駄に過ごしているのも分かっている。気になり始めるとどうしようもなくなってしまうという四郎の悪いくせなのだ。
しかし悪いだけではない、いいところもあるだろう。そのまま何も考えずに年齢だけを無駄に重ねていくことの恐ろしさを考えると、早目から気になることはいいに決まっている。だが、そのせいか、せっかくの出会いのチャンスを逃していたり、他の楽しみが目の前にあったにもかかわらず、知らずにここまで来てしまったという気がしないでもないのだ。
出会いがなかったのは事実だ。彼女がほしいと思っても、どこかに不安があれば、自ら思い切ったことができない性格である。腹立たしいのだが、持って生まれた性格に、いろいろな環境が絡み合っているのだ。そう簡単に拭い去れるものではない。
人を信用しなくなったのも最近のことであろうか。
――それまでが本当に信用していたのか――
と聞かれれば、頭を傾げてしまうが、それよりも人のことに関して無気力になったというべきだろう。
人のことに対して無気力になると、自分のことも無気力になりがちである。公園の散歩はそれを紛らわすにはちょうどよかった。
自分が信用できないというのは、ミスを起こしてしまうことが多いからだ。仕事での小さなミスがちょくちょくあり、業務の遂行を滞らせてしまうことがあるからだ。
注意しているつもりである。しかしミスというのは得てして気を抜いている時に起こるもので、
――なんでこんなところで――
という時に起こすのだ。
会社では定期的に交通安全の講習を行っているが、その時に交通事故に関してのビデオを見せられる。警察から借りてきたのかも知れないが、事故の惨状や、事故を起こした人の話などが、どうしても四郎の頭に残ってしまう。
四郎は自分で車を持っているわけではない。会社の営業車を使う程度なので、それほど意識しなくてもいいのかも知れないが、却って運転する時間が限られているだけに、車の運転中に思い出したりするのだ。
「事故というのは、集中している時にはなかなか起こらないものです。ふっと気を抜いたりした時に、得てして大事故を引き起こしたりするものです。それは予期していないだけに咄嗟の判断が遅れることに繋がるからです」
という解説とともに、事故の惨状が暗くなった部屋に大音響とともに映し出される。
何とも恐ろしい光景であろうか。実は、四郎も運転中に自分が気を抜いていると感じる時が時々ある。目の前に見えているものが本当にあるのか、それとも何もないと思っているところに本当は何かがあるのか、自分で分からなくなることがある。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次