短編集88(過去作品)
過去のことが走馬灯のように頭を駆け巡るという話を聞くが本当だろうか? もちろん実際に死刑になった人から聞いたわけではないので何とも言えないが、そこまで冷静になれるというのがどうにも納得いかない。
以前に、死刑囚を題材にした恐怖映画を見たことがある。刑の執行を待っているのは辛く、早く刑を執行してほしいと考えるのだが、実際に近づいてくると執行されたくないという思いが強くなるようだ。恐怖心が襲ってくるからだろうか。それとも死というものは覚悟していても、
――死んでしまえばすべてが終わる――
という思いを肌で感じるからだろうか。どちらにしても普段であれば想像するにも至らないことである。
そんな時にプライドなどあったものではない。見苦しくも命乞いをしてしまう自分が目に浮かび、非情にもまわりはそんな自分に石を投げつける。必死で石から逃れようとする自分がかわいそうに思えてくるが、想像している中に出てくる自分を自分として見ていないのかも知れない。プライドも何もない人間が一人、悲しい命乞いをしているのをかわいそうだと思って見ていながら、そんな惨めな光景を見せ付ける目の前の男に少なからずの憎悪を感じている。
自分に対しては、どうしても贔屓見目に見てしまう。気の毒で見ていられないという思いが強く、見苦しいのも仕方がなく感じるが、意外とその場になると、
――起きていることのすべてが自分の行動から来ていること――
という開き直りが、案外その場に行き合わせると、すべて悟っていて、受け入れられる気持ちになっているのかも知れない。そうでなければ、絶対に助かることのない状況で精神的に追い詰められているなど、考えられることではない。せめて気持ちだけでも落ち着いていられるよう、神様も配慮してくれているのだろう。
昼食を済ませた斉藤は、訪問先へと向ったが、少し時間が早かったのか、少し相手の会社の待合室で待たされることになった。
そんなことは今までにも何度かあった。
時間厳守は当然のことであり、人を待たせるなどもってのほかと思っている斉藤は、人から待たされることはあまり苦にならない。
そういえば大学時代、女性から何度待たされたことか。相手は恋人でもないのに、これから付き合うことになるかも知れないというだけで、胸の鼓動が高鳴っていた。
実際に恋人として待ち合わせをするよりもスリリングで、楽しみなものだ。恋人ができて初めてそのことに気付いた。
――どのようにして自分のことを気に入ってもらおう――
と、そればかりを考えて待ち合わせをしていた頃が実に懐かしい。少々待たされても、待たされたうちにならないと感じていた。
恋人として付き合うことのないと思っていた相手に、何時間も待たされたことがあった。
旅行が好きな斉藤は、大学時代に出かけた先で一人の女の子と知り合った。出かける旅行は一人旅が多く、気ままな旅なので、却って人と知り合うことも多い。しかも、
――旅の恥は掻き捨て――
というではないか、移動中の電車の中で一人で乗っている女の子に声を掛けるなど、何度もあったことだ。
相手が旅行者だと分かっていれば気が楽なのだ。ひょっとして、近くに住んでいる人であれば、親近感も湧くというものである。
「まあ、偶然ね」
ということで話が盛り上がるのは当然のように思えた。
お互いの性格を知っているわけではない初対面という状態で、しかも知らない土地で出会うのだから、これほど新鮮な気分になれることもないだろう。話のすべてが興味深く、一人旅の好きな女性の好奇心は旺盛なようで、お互いにすぐ仲良くなれたものだ。
そんな中、出会った女性と二日ほど一緒に行動した。宿を決めずに旅に出る斉藤は、彼女の泊まる宿を聞いて、自分も予約する。時期的にもそれほど旅行者の多い時期ではなかったのも斉藤には幸いした。もっとも、春休みや夏休みのような人の多い時期に旅行することはあまりなかったからで、大学生には数日くらいなら普段から旅行ができるほどの時間はあるのだ。
それだけに安く上げる方法はしっかり考えている。宿もユースホステルなどのようなところを使い、電車も割安チケットしか使わない。知り合う女の子も同じ大学生なので、お互いにそのあたりの事情も分かっているのだ。
話をしてみると、住んでいるところは近くのようだった。彼女は短大生で、まもなく卒業を控えていて、就職先も決まり、本人としては学生時代最後の旅行として出かけてきたようだ。
彼氏はいないと言っていたが、話をしていると好きな人がいるようなニュアンスである。どちらかというと鈍感な方であるが、そんな斉藤にも見当がつくほど彼女の話し方はあけっぴろげで、罪のない話し方なのである。そこが彼女の魅力というべきなのだろう。
普通なら彼氏がいなくとも、他に好きな人がいるということであれば、少し冷めた気分になるものだが、その時の斉藤は却って彼女のことが気になっていた。
そのあどけなさから、まるで妹のようにも見えるからだ。本当は自分の彼女にしたいという本音を隠して、そこまでいかなくとも妹のような存在として、いろいろ悩みを聞いてあげられるようになれればいいと思ったのだろう。
帰ってきて、彼女の方から連絡があった時は気持ちが舞い上がってしまうほど嬉しかった。今まで旅先で知り合った女性から実際に連絡があることは稀で、しかもこちらから連絡を取っても、なかなかもう一度会ってくれるような女性は少なかった。
こちらが旅に出ると大らかな気分になるのと同じで、女性も生活が普段に戻ると、旅先でのことはすでに思い出として過去のものになっているのかも知れない。だがそんな中でもまた連絡をくれた彼女に対し、
――彼女なら連絡をくれると思った――
と感じたのは、連絡を本当にくれたその後のことだった。
こちらから連絡を取る気はなかった。どうしても、彼女には好きな人がいると思ってしまうと、少し躊躇ってしまう。だが、もう一度会ってみたかったのは事実で、だからこそ連絡をくれた時は、
――きっと同じような気持ちだったんだ――
と思えてならない。
旅行から帰ってきてから一ヶ月は経っていただろう。普通一ヶ月も経っていれば、すでに過去のこととして頭の中は切り替わっているものだが、彼女に関しては、
――もう一ヶ月も経っていたんだ――
普段からちょくちょく思い出していただけに、そんなに時間が経っていたなど、あらためて思い知らされたような気がした。
喫茶店で待ち合わせたのは、軽い気持ちで会えるからだった。
「彼氏がいるのにいいのかい?」
と聞くと、
「普通に会うだけだからいいの」
という声が返ってきたが、さすがに電話でだと、会って聞いた時と違って声が低く聞こえるようだ。
以前にも電話で話していて、
「何か怒られているみたいだな」
と皮肉っぽく言われたが、電話だと仕方のないことである。顔を想像しながら話しているが、旅行先でずっと笑顔だったので、笑顔以外は想像もつかない。
作品名:短編集88(過去作品) 作家名:森本晃次