過去への挑戦
「閉所恐怖症」
なのだ。
そのことを知っている人はいないはずだった。だが、その時のトラウマが安藤社長を何かに駆り立てるのかも知れない。それがいわゆるセクハラ、パワハラに繋がっているのではないかと最近になって思うようになった。今では、トラウマがほとんど治まってきたこともあって、問題は起こしていない。鎌倉探偵がいくら過去の問題を指摘したとしても、そのほとんどは会社の顧問弁護士がうまくやってくれて、相手とは平穏に示談が成立しているはずだった。いわゆる、
「金で解決」
したのだった。
だから、いまさらそれを探ってみたところで何もない。ただ、それが娘への危害に繋がっているとすれば話は別だが、娘に危害が加わるほどの卑劣なことをした覚えもなかったので、いくら逆恨みであっても、そこまではないだろうというのが、安藤社長の言い分であった。
だが、安藤社長には、
――このことだけは、墓場まで持っていこう――
と思っていることがあった。
あれは、まだ未成年の頃のことだったので、相手との示談が成立した時でも、こちらが誰なのか分からないはずだと思っていた。
あの時は養子にしてくれた父親のおかげで示談が成立した。名前を変えることになったのもその時の事情があったからだ。名前を変えることで、養子ではなく、最初から安藤家の息子だったかのようにする目的だったのかも知れない。もし何かがあって問題が生じた時。息子ということにしておく方が、養子にするよりもよかったのかも知れない。
じゃあ、なぜそんな問題な子供を養子にしたのか? それは先代でないと分からない。
ただ、先代には前にいた子供が病死したことで、後継ぎがいなくなった。奥さんに子供がその後できればよかったのだろうが、娘はいたが、子供ができなかったことで、先代は焦り始めた。
「どこかで男の子を見つけて養子にでもしないと」
ということで先代も真剣になって探すようになったが。ふと見つけたのが、今の庄次郎だった。
「死んだ子供にソックリだ」
きっと成長していれば、こんな子供になっていただろうにという思いがあったのだろう。
もちろん、彼の中に悪の素質があるなどということは分かっていなかったが、もし先代が彼の中で唯一見つけたいいことといえば、子煩悩なことだったのではないだろうか。子煩悩がいいのかどうか分からないが、先代はそう信じていた。すぐに娘との結婚を前提に養子として迎える準備を勧め、今の安藤社長が誕生したというわけだ。
しかし、事件は庄次郎が、先代に見込まれ、これから安藤家に入るかどうかという時に起こった。庄次郎の中にあるトラウマの一つが、マックスの状態になり、破裂までの秒読みだったのだろう。
――しかし、あの事件は誰にも知られないはず――
という思いがある安藤社長は、その日の睡眠は、その思いが頭を巡った瞬間、目を覚ますということになった。
「よかった目が覚めた」
社長にとっては怖い夢だったはずだ。
身体中に汗が吹き出し、喉もカラカラだった。いい夢であろうが、悪い夢であろうが、肝心なところで目を覚ますというのが、夢を見るということの宿命のようなものだと思っていたのだ。
ただ、よかったと思った中に、社長が忘れてしまっていた過去がよみがえってきた。それは一生後悔してもどうなるものでもない自戒であって、それを戒めることができるのも自分しかいない。
それを本人は忘れてしまっていた。きっとどこかで、
「もう禊は終わった」
と思い込む瞬間があったのかも知れない。
それゆえに、余計に隠そうとしてセクハラ、パワハラに及んだのではないだろうか。隠す相手は誰でもなく自分に対してである。
反省しても反省しきれないところまで行ってしまうと、その次は破裂してしまった神経がマヒするという一種の「負のスパイラル」のようなものだったのかも知れない。
さらに、あの時の出来事は言い訳ではないが、かつての冷蔵庫の中に閉じ込められたという恐怖とトラウマによって形成された、
「作られた性質」
だったのかも知れない。
これは性格ではなく性質であり、潜在意識に同化したものではないかと思うほどであった。
その作られた性質は、閉所と暗所の恐怖を与え続け、自分が欲望にのみ走った時、この二つが自分の中で、
「悪魔の囁き」
のような作用をしていたのだとすれば、それも仕方のないことだ。
仕方のないことで解決できないことも、何を言ってもいいわけでしかないことは分かっているつもりだ、だが、繰り返される負のスパイラルをどうすることもできない自分をどれほど呪ったことか。そのうち、自分に返ってくることもあるのではないかと思っていたそんな時に起こったのが、今度のななみの事件であった。
「親の因果が子に報い」
という言葉もあるが、それではどうすればよかったというのだ。
せっかくななみに対してだけは子煩悩で、そこだけは自分でもいじらしいと思うほどのものである。
安藤社長が自己を振り返っているその次の日、さっそく鎌倉探偵による事件の調査が行われた。実際には誰もしなかったのだから、この事件はこれで終わりだと思われ、あとは捜査を進めることで犯人を見つけるだけだと目されていた。
実際に警察の捜査も、この事件は単純な事件であり、通り魔によるものか、それとも誰かの怨恨としても、その恨みを持っている人はすぐに見つかると楽観的であった。一度殺し損ねた相手を、またさらに狙うというのは、相当な恨みを持っているか、あるいは犯人にとって不利な証拠や証言を彼女によってもたらされるかでもない限り、ありえないというのが警察の見解だった。
確かに表に出ている事情から考えればそうであろう。特に警察は怨恨としても、被害者に関係することしか調べないという通り一辺倒な捜査になるだろう。そうなると、見えてくるものも見えてこず、最終的に迷宮入りなどということも考えられた。
しかしそれを打ち破ったのは、今回も鎌倉探偵だった。
鎌倉探偵は、ある程度の捜査を終えて、門倉刑事を事務所に招いたのだった。鎌倉探偵が自分から警察に来ることもなく、門倉刑事を一人だけ事務所に招く時というのは、大体の捜査が終了し、彼の頭の中で真相がある程度完成されている状態ではないとないことだった。
それだけに、鎌倉探偵から、
「うちの事務所に来てくれないか」
と言われた時、さっと自分の中で緊張が走ったのを感じた門倉刑事は、背筋を伸ばして、いや覚悟を決めて鎌倉探偵事務所を訪れたのだ。
鎌倉探偵が門倉刑事をそれほど信用しているかがこれだけでも分かるというものだ。一緒に他の捜査員を誰も招かないというのも鎌倉探偵のやり方で、話の途中で変な形で腰を折られるのが嫌な鎌倉探偵は、阿吽の呼吸を持った相手でないと、真相を明かさないようになっていた。
そのことを捜査課長も分かっているので、
「鎌倉さんの事務所に行ってきます」
という門倉刑事を、
「探偵さんによろしく」
と言って送り出し、事件の解決が近いことを悟るのだった。
推理
「やあ、門倉君いらっしゃい」