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過去への挑戦

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「まあ、あなたにとっては若気の至りということになるんでしょうね。まあいいです」
 と言って、肝心な話はしようとしない。
「そんな中途半端に話を終わらせてしまうのですか?」
 本当なら内容を言われなかったことで、これ幸いと話を変えてしまうチャンスではあったが、娘のこともあるので、このまま終わらせるのが怖かった・
 と安藤社長がいうと、今度はさっきの真面目な顔とは違い、人懐っこそうなニコニコ顔で、
「ええ、大丈夫です」
 と言った。
 鎌倉探偵が調査で人と会う時、こちらのニコニコ顔が普通なら定番であり、彼の代名詞でもあった。今日はこの場にはいないが、警察の門倉刑事もよく心得ていて、
「鎌倉の恵比須顔」
 などと揶揄されたりして、それに対して苦笑いをする鎌倉探偵というのが、よくあったのだ。
 安藤社長はまたしてもあっけにとられ、今度は自分が苦笑いをするしかなかった。しかしその苦笑いはごまかせてよかったという思いと、
――この探偵、何を知っているんだ?
 という思いが入り混じっての苦笑いである。

                  悪夢

 鎌倉は一体何を言いたかったのだろう。その後の時間は、他愛もない親子関係について聞いただけだった。本来であれば、これだけの聴取で平和に終わるだけだったのに、この最初の質問の意味がよく分からない。
 社長を怒らせて、何かを引き出すつもりだったのか?
 もしそうであれば、こんなにアッサリと話をやめるのも変だ。現に社長は激怒していないではないか・
 では、事件に関係のあることで、何かを得ようとしたのか?
 そちらは、もっと考えにくい。やはり鎌倉探偵が何かを得たとは思えない。確かに社長のうろたえようからは、ただならぬものが感じられたが、それがどこから来るものなのか、完全に想像でしかないからだ。
 それでもよかったというのだろうか。もしそうであれば、やはり鎌倉探偵の真意はますます分からない。
 ただ、生田美佐子の名前を探偵が一体どこで聞いてきたのか、ここは引っかかった。そして同じ苗字の謎の女、社長は気になってしまい、さっそく弁護士を呼び出した。
「すまないが、生田愛子という名の女性について調べてくれないか? 私に関係のあることか娘に関係のあることかのどちらかではないかと思うのだが」
 というと、
「かしこまりました。さっそく調査してみます」
 と言って弁護士に調べさせた。
 過去の憂いはハッキリさせておこうという考えである。
――どうせ過去のことであっても、それはすべて罪になってはいないことだ――
 という思いが社長にはあったので、内心は安心していたことだろう。
 しかし、この男は罪でなければ、何も問題がないとでもいいたいのだろうか。逆に罪に問われても仕方のないことが罪に問われなければ、被害者側が怒りの矛先をどこに向けていいのかという理論を忘れている。
 本当は逆であるはずなのに……。
 Sの日の安藤社長は結構早めに床についた。先日からの娘が襲われたことから、心身共に疲れていたのを、自分では大したことがないと思って見過ごしていたのも理由だっただろう。見舞いには毎日のように出かけた。社長なので、出張や会議、さらに夜の会合と、本当であればかなり多忙であるはずなのだが、出張はしばらく延期し、会議もできるだけ必要なものだけ、そして夜の会合もよほどでなければ自粛していた。避暑にスケジュールを練り直してもらい、できるだけ病院に行ける時間を作った。
 最初の頃は集中治療室にいて、意識も戻っていなかったが、目の中に入れても痛くないと思っていた娘なので、
「そんなに毎日いかなくても、意識が戻りさえすれば、お知らせがあります」
 と言って連絡を待てばいいという提案を奥さんもしていたが、
「いや、私が行ってあげることが大切なのだ」
 と言って、頑として聞かなかったという。
 実際にこんなに子煩悩な人が、どうしてセクハラ、パワハラなどの行為が公然と行われるのか不思議で仕方がないが、やはり自分の子供というのは、他の問題だということなのだろう。
 三日目には目を覚ました娘は、若干の記憶は失っていたが、生活には支障ない程度であった。さすがにショックと胸を刺されていることでの手術を行ったことから、最低でも一月の入院は必要ということで、入院期間は長いのだが、命に別状もなく、記憶以外の後遺症も残らないということなので、一安心だった。
 記憶にしても、
「いずれ戻らないとも限らないが……」
 ということも医者は言っていた。
 娘のことも大体安心だということが分かると、今までの心労が一度に襲ってきたのだろう。それまでの仕事での張り詰めた気持ちも一気にほどけ、脱力感が襲ってきたのだった。
 その脱力感が、そのまま睡魔として襲ってきたのも無理もないこと。夜八時に帰宅してから、すぐに夕食も摂らずに、布団の中に入り込んだ。
 いつもであれば、軽い睡眠剤でも飲まないと気が張っていて眠れなかったが、ベッドに潜り込むや否や、そのまま一気に眠り込んでしまった。
 その日はハッキリと夢を見た。ただ、夢を見ている瞬間、見ている本人は、
――これは夢だ――
 という認識はあった。
 しかし、認識はあったが、その夢が初めて感じたものではないことを意識はしていた。もちろん、前に感じたことであるから、夢に出てきたのだろうが、夢だと感じたのはそういう理屈からではなく、実際に夢を見ているということを本人が感じていたということである。
 そこは、真っ暗な世界だった。身体を伸ばそうとしてもそこから出ることはできない。必死になって叫んだ。
「誰か助けて。僕はここにいるよ」
 とかなり大きな声を立てているのに、その場所から声が漏れることはない。むしろまわりの暗闇にその声が吸収され、消滅していくようだった。
 どんなに叩いてもどうしようもない。そう思うと頭に、「死」の一文字が浮かんできた。そこから出られないと、何も食べることができない。水もない。そして何よりも空気がなくなって、次第に窒息してしまうだろう。
 その時、自分は子供だった。
「そうだ、あの時、初めて鬼ごっこというのをしたんだった。友達と遊んだのも初めてで、嬉しかったはずなのに、何か白い箱の中に逃げ込んだ。僕が動いていたら、いきなり扉が閉じたんだった」
 今は大人である。あの時のことを思い出しながら、子供では思い浮かばなかった思いがさらに回想の形でなぜか浮かんでくるのだ。
「何が怖いと言って、動かすことのできない狭さへの恐怖、まわりが見えないことの暗さへの恐怖、そして襲ってくる空腹感、喉の渇き、さらに呼吸困難……。想像するだけで恐怖のオンパレードが順を追って迫ってくるのだ。ここまでは子供の僕にも理解できたはずだったが、それらの恐怖はすぐにやってくるわけではない。徐々に徐々に襲ってくる。ないが怖いと言って、これほど怖いものはないのだ」
 ああ、かつてこの街にあった過去の事件、いわゆる、
「冷蔵庫事件」
 で中に閉じ込められたのは、この時の少年だったのだ。
 今ではある程度まで回復していたが、実はあの時のトラウマがずっと残っていた。それは今回想した中にあった。
「暗所恐怖症」
 であり、
作品名:過去への挑戦 作家名:森本晃次