過去への挑戦
と言って、苛めっ子だけではなく、苛められている子にも苦言を呈していたが、そのどちらに対してもフォローを忘れなかった。
苛めっ子の方も、苛めていたことを言いつけたりもせず、悔い改めるように諭し、さらに苛められていた子にも、苛められないようにするための極意を教え(もちろん、独自のであるが)これが功を奏したのか、クラスで苛めはなくなった。
それからというもの、門倉への視線が変わった。皆が一目置くようになり、その視線を門倉も分かってきていた。
そのおかげで彼はクラスの人気者となったが、それでも威張ったりしなかったのは、彼のよかったところだろう。
そこで威張ったりしてしまえば、せっかくの立場も何もかも失うことになり、自分が苛められることにもなっただろう。
彼にも人としての感情があるので、少し天狗になりかかったこともあった。それを思いとどまったのは、ひょっとして彼の中に勧善懲悪の感覚がすでに芽生えていたからなのかも知れない。
どこか自分を正義のヒーローのように感じていた門倉は、その頃から、
「大人になったら、警察官になりたい」
と思うようになり、実際に公然と口にするようにもなっていた。
「あいつなら、きっとなるだろうな」
と、当時の担任も、まわりのクラスメイトもそう思っていた。
門倉の今の刑事としての気持ちは、この頃に植え付けられたものだったと言えるであろう。
そんな門倉は、鎌倉探偵を頼りにしている。鎌倉探偵としては、気分が悪いわけはないのだが、どこかむず痒いところがある。何と言っても、探偵になる前はただの売れない小説家、一度賞を取ったからと言って、それからは鳴かず飛ばず、しかも出版社からのゴリ押しのような依頼を受けて、訳が分からぬままに他の探偵が調べたことの再捜査を行い、分かってみると依頼主のご希望に添えない報告になった。
結果的にはそれが事件解決に向かうことになったのでよかったのだが、そのことで小説家としての道は閉ざされることになったことで、不幸中の幸い、その時の探偵のようなことが評価されて、晴れて今の探偵としての地位を手に入れることができたのだ。
決して望んだ道だったわけではないか、それでも何とかなったのはよかったと思っている。
そんな俄か探偵に、勧善懲悪で育ってきた、まるで、
「刑事になるべくして刑事になった」
と言ってもいいような、精錬実直な青年から慕われるというのは、恥ずかしいものだった。
ただ、門倉刑事が鎌倉探偵を慕っている理由は、他にあった。
門倉刑事は、かつての鎌倉探偵が小説家時代に出した本をすべて読んだ。未発表の作品も頼み込んで読ませてもらったのだが、それを読むと、鎌倉探偵の考え方、つまり深層心理に対して真摯に向き合っているという姿勢に感銘を受けたのだ。
刑事というもの、事実を解明するために、足を使って捜査するなどという、
「昭和の刑事」
のような人もいるが、現在では頭を使った科学捜査を取り入れているところも多い。
門倉刑事はそのどちらも否定する気はないが、どちらが優れた考え方だなどということも考えていない。
深層心理にしても、自分の経験や過去の研究によって得られたものとを融合させることで完成する分析だと思っている。
それだけに刑事の捜査も同じように、足と頭と両方を使うものだと言ってもいいだろう。そんな考えを可能にする深層心理をモチーフにした鎌倉の作家時代の作品は、門倉にとって、
「刑事のバイブル」
とも言えたのだった。
実際に読んでみると、今までの自分の捜査を裏付けするような心理的なトリックを考えさせられたり、人間の紆余曲折を叙実に物語っているように思えてならなかった。
「僕の小説など、取るに足るものではないよ:
と鎌倉氏は謙遜していたが、その理由としては、
「僕が書いたのは、別に犯罪捜査を意識したものではないんだ」
当然のことである。
今の探偵の地位にいるのも、ある意味偶然の産物と言ってもいい、ただ一歩間違えれば探偵の仕事どころか、作家としても行き詰ってしまって、前に進むことも後ろに下がることもできずに、その場に立ちすくんでしまうしかなかったからだ、
「でも、やっぱり運命なんですよ。最終的にはその人のいるべきところにちゃんと治まるように人間というのはなっているものなのかも知れませんね」
と門倉は言ったが、
「そんなものかな? 犯罪に携わっていると、そんな単純なものではないような気がするんだけど、どうだろう?」
と鎌倉が言った。
「ええ、確かにそうなんです。犯罪などという複雑怪奇な精神状態の中で、人がどのように行動し、いや、何も考えずの行動なのかも知れませんけど、解析不可能に陥ることも少なくない。それだけに逆に面白いとも言えるんですが、やはり悪は悪。つまり、勧善懲悪の気持ちから、許せなくて歯を食いしばったまま、身体が固まってしまうなどということも少なくはないですからね」
と、門倉刑事も答えた。
「門倉君は本当に精錬実直だ。そんな君だからこそ、勧善懲悪などという言葉はふさわしいのかも知れない。僕はここ数年で初めて探偵などというものを演じているけど、君に知り合えたことは実によかったと思っているんだよ」
と、鎌倉探偵は、探偵を、
「演じている」
と表現した。
それがどういうつもりなのかはよく分からなかったが、その気持ちの奥に、どうしても自分がまだ犯罪捜査というものを本格的に行っていないのではないかという気負いのようなものがあるのではないかと、門倉は感じていた。
「そんな勧善懲悪の君と、少し犯罪談義のようなものをやってみたいと思ってね」
といきなり鎌倉探偵は言い出した。
「探偵談義というのは楽しいものですよね。それでどんなお話にします?」
と言って人懐っこそうな笑顔を見せた門倉に対し、鎌倉氏はちょっと意地悪っぽく苦笑いをすると、
「うん、ちょっと淫惨な事件をテーマにしてみようと思うんだがね。一種のエログロというべきか、これは本当の事件である必要はない。探偵小説に書かれていたことでもいいんだ。逆にその方が面白いかも知れないな」
と言った。
「そうですか、僕も探偵小説の類は学生の頃にかなり読みましたからね。これは楽しみですね」
と腕が成るとばかりに、軽く右腕をゆっくりと振り回す門倉だった。
「私は、ミステリーというと、論理的なものやトリックの面白さしか見てこなかったから、あまり読んだ記憶がないんだ。精神的なところでの犯人の心の動きなど面白いとは思ったけどね」
と、最初から勝負が決しているような言い方をした。
いや、これは談義であって、別に勝負ではない。言い出した鎌倉氏の方がそれを忘れてしまうところだった。しかし、逆に門倉刑事の方は、あくまでも謙虚なので、たくさん知っていると言っても自慢する気などはサラサラない。これからの鎌倉探偵の探偵業に少しでも役立ててくれればいいという程度のものだった。そうなると最初に口を開くのは誰が見ても門倉氏であろう。