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過去への挑戦

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 それはただ時間が後ろにずれるというだけで、この社長室に誰かが入ってきて助けてくれるわけではない。皆社長のすることには見て見ぬふりで、完全にワンマンな会社だからだ。ここで騒ぐのはむしろ自分の羞恥をまわりに公表するようなもので、それも嫌だった。
 こんな時、立場の弱い人間は本当に損である。それが金であるか権力であるかの違いだけであって、力というものは、万物に対して有効だと思えてならない。
 社長室で、女子社員が有無も言わさず社長に暴行されるなどというのは、よくある話だった。今でこそ、セクハラ、パワハラなどとコンプライアンスの問題が提起されているが、その頃はやっと問題になるくらいではなかったか。問題になっても揉み消すだけの権力を持っていれば、やつらの常とう手段である、
「金にものを言わせる」
 ということをしてくるのだろう。
 それでもダメな時は、今度は嫌がらせなどを起こして、相手の社会的な立場を地に堕とそうとする。こちらに相手がぐうの音も出ないほどの証拠でもない限り、対策はないだろう。裁判になっても、相手は刑に処せられても軽いものでしかなく、下手な恨みを買うだけになってしまうのも実に不本意だ。
「この後、ずっと復讐に怯えながら生きるか、それともまとまったお金を貰って、早く忘れるか、どっちがいいんだ?」
 と言われて終わりである。
 弁護士を雇ったとしても、結局法律の中だけでしか争うことができず、どうせ泣き寝入りにならないように最低限の保証だけでも得られるようにと動くのが関の山というものである。
 そんな今後の事情が、なぜか恐怖に怯えているはずの頭の中を巡った。
――何か、そんなことを考えたことがかつてあったのかしら?
 とは思ったが、その時は余計なことを考える余裕などなかった。
――ではこの思いは余計なことではなかったということなのか?
 と思ったが、そう思った時にm現実に引き戻された。
――このまま、夢想の世界に入っていればよかったのに――
 とも思ったが、どっちにしても遅かれ早かれ、この場の決着がつくことになるのだ。
「社長、社長はどうして私を追い詰めるんですか?」
 思わず口に出てしまった。
 それを聞いたからと言ってどうだというのだ。この危機から逃れられるというのか。いや、そんなことはない。会話をしている間、少しの間だけ、時間が後ろにずれるだけだ。暴行を企んでいる相手が、いくら説得しようとしても、それは本末転倒というもので、相手はそれを聞いて、逆に興奮する人だったりすると、完全に逆効果だ。
 そんなことは分かっているはずなのに、なぜそんなことが口から出てきたのか。それは美佐子が自分で口にした言葉ではないような気がしたからだ。
――誰かが私の中に乗り移ったということなの?
 それが誰なのか、分かったような気がした。
「君を見ていると、なぜか初めて会ったような気はしないんだ。遠い過去に僕は君を知っていたような気がするんだ。だから、なるべくなら君に逆らわないでほしい」
 何を言っているのか、追い詰めているのは相手のはずなのに、相手のこの気の弱そうな言葉を聞くと、今までの緊張が一体何だったのか、よく分からない気がした。
 それに美佐子は、
――どうして、そんなに臆病なの? 襲おうとしているのは分かっているんだから、そんな態度を取られると私はどうしていいのか分からない――
 さすがに、相手の思い通りにさせるわけには行かないが、こんな情けない人に抵抗することが本当にできるのかという気持ちにもなってきた。
 社長室という密室の中で。最初はまるで血に飢えたオオカミのようだったにも関わらず、今は忠犬のように見えている。どちらが本当の社長なのか考えあぐねていたが、そのうちに社長も完全に尻尾が垂れ下がってしまって、最初の勢いはまったくなかった。これが復活できるはずなどないと思うほどの体たらくであった。
 社長は急に震え出した。口元で何かを喋っているのが分かるんだが、何と言っているのか聞こえない。ただ、見ていると自分を鼓舞しているように思う。さっきまでの勢いと余裕はどこに行ってしまったのだろうか?
――襲いたいなら襲ってくればいいのに――
 と思えるほど、情けなくなり、その状態は、
「逆オオカミ男」
 の様相を呈していた。
 オオカミ男というと、普段は普通の姿なのに、空に満月が昇れば、オオカミに変身してしまうというお話だ。しかしこの社長は、最初本能だけで動く獰猛なオオカミだったくせに、何を見たというのか、急にしおらしくなり、普通の人間、いや、さらに情けない人間に成り下がった。最初が恐怖に満ちていただけに、この情けなさはどう表現していいのか分からないほどの変わりようであった。
 美佐子の方もさすがに、
――襲いたいなら――
 などいうことを思うはずもない。
 オオカミ男はもう襲い掛かってくることはなさそうだ。顔は険しくなっていたが、それは己との闘いであり、相手をほとんど意識していなかった。これも、オオカミ男が普通の人間からオオカミ男に変身する時、顔が歪んで変化していく時に見られる光景である。
 あの光景が、顔が変わるという物理的な変化に身体がついていけないからなのか、それとも自分ではない自分になってしまうことへの抵抗からなのか分からないが、返信の際のオオカミ男は苦痛に苛まれているようだ。
「いや、これは失礼した」
 と言って、社長はある程度冷静さを取り戻していたが、呼吸は荒かった。
 たぶん少々のことでは呼吸の粗さは元に戻ることはないだろう。そう思うと、まだ怖さはあったが、冷静さを取り戻してくれたことで勇気を持つことができた美佐子は、そこからは淡々と掃除をした。社長も話しかけてくることはなかったが、お互いに不穏な空気であったことは言うまでもない。
――それにしても、どうして社長はあんなに怯えたのだろう?
 美佐子は不審に思った。
 社長が怯えたのは、途中で我に返り、自分の行動が怖くなったのか、それとも、美佐子に対して何か恐怖を覚えたのか、それとも、元々小心者で、そんなことのできる人ではなかったのか。これに関してはいわゆる、
「お坊ちゃま」
 だと考えれば考えられないこともない。
 美佐子は今まで会社員として勤めたことはないので、社長というものがどれほどの権威のあるものなのか、知らないつもりでいた。ただ、この会社は二代目社長だと聞く、ただ聞いた情報はそれだけだった。
 社長は、美佐子が社長室を出ていく時まで、呼吸が整っていなかった。額からは汗が滲み出ていて、暑苦しい感じだった。
「それでは失礼します」
 と言って、社長室の扉を開けた時、ドキッとしたように振り向いた時の社長の顔も忘れられない。
 まるで幽霊でも見たような表情で、カッと目を見開いて、その焦点は明らかに合っていなかった。どこを見ているのか、美佐子の方を見ているのだが、どうもその後ろになニアを感じているのではないかと思うほどである。
 自分の後ろには扉があるだけだと思っている美佐子は、社長が何か幻影に悩まされているのではないかと思うと、それが社長の自制心から来ているものだと思ってもいいのではないかと感じるほどだった。
作品名:過去への挑戦 作家名:森本晃次