過去への挑戦
ななみとすれば、彼に対しての思い入れが大きければ大きいほど、
「白馬に乗った王子様」
がイメージされる。
彼は王子様という柄ではない。実に普通の男性で、女の子に気を遣うことをいつも心がけていて、素直なところはななみと同じだった。ななみは、実直で優しい性格を自分の父親に見たのだが、彼女の父親というのは、本当に子煩悩で、
「目に入れても痛くない」
というほどの可愛がりようだった。
彼女は裕福な家庭に育ったこともあって、父親は昔の男爵のような人で、気品あふれるその表情から、優しさがこみあげてくるのだから、父親が理想の男性だったと言っても過言ではないだろう。
利一は、そんな父親に似ていた。実直なところと、優しさに包まれたその表情とが、
「若い頃のお父様は彼のような感じだったのかしら?」
と思うと同時に、
「彼が歳を取るとお父様のようになるのかしら?」
という思いが去来したが、最初に浮かんできた姿は、後者の方だった。
やはり彼を好きになって結婚したいと思っていても、まだななみの中では父親の存在が大きかった。それを悟ると、彼が言っていた、
「結婚はまだ先のことだ」
と言っていたセリフも納得がいくような気がした。
利一のことを思うと、なかなか寝付けない日々が続いているというのに、まだまだ父親を恋しいと思っている自分にななみは、恥ずかしさもあったが、どこか微笑ましさすら感じていた。
「父親を慕うのは、いくつになっても悪いことではない」
とななみは感じていたが、確かにそうだろう。
ななみが子供の頃に言った。
「私お父さんのお嫁さんになる」
というベタなセリフは、今も覚えていて、顔が真っ赤になるくらいである。
だが、そんな父親であったが、実はこの父親が財を成したのは、昔悪いことをしたことから端を発していた。娘はもちろん知らない。母親は分かっているが、父親に逆らうことのできない立場で、何も言えなかった。
両親の結婚は、お見合い結婚だったという。母親が男爵華族であり、戦後の没落も何とか家を取り仕切っていた男性がいたことで、男爵という立場はなくなり没落はしていったが、何とか財産を守ることができた。
そんな執事も亡くなり、当主である安藤庄之助が家を盛り上げ、彼の軍隊時代に培った人間関係で、政財界へのパイプが生まれ、金融事業を始めたことで、前後の一大財閥になることができた。
今の当主、つまりななみの父親である安藤庄次郎は、ななみを目に入れても痛くないとばかりに可愛がっている。
庄次郎は養子だった。
なぜ庄次郎を養子にしたのかは分からないが、彼は名前をなぜか変えた。きっと庄之助に気に入られるようにするためだったのだろう。
庄次郎は、その頃、ぐれていた。どうしようもない札付きだと言われていて、いずれはチンピラからその筋の組に入るのではないかと、警察の少年課の方では気を付けていたのだが、いつの間にか安藤庄之助のところにいて、娘と懇意になったようだ。
娘というのは、財閥家の令嬢というにふさわしい女性で、口数も少なく、潤しい限りを醸し出していた。
そんな彼女が、
「私、この人と結婚したいんです」
と言って、庄之助に直談判した。
今まで娘が自分の気持ちをハッキリと口にすることは誰に対してもなかった。特に父親に対しては何があっても服従で、どれほど彼女に勇気がいったことだろう。それを想像するのは実に難しい。
「お、お前、本当にいいのか?」
これにはさすがに一代で大財閥を築き上げた大旦那も、ビックリして肝がつぶれるかと思ったほどだった。
連れてきた男は、凛々しい顔立ちの好青年であった。いや、娘が連れてきた男性ということで、どうしても贔屓目に見てしまった。しかも、この男は一世一代の芝居をそこで打って出たのだ。
「生来の悪党というのは、いざという時、つまり決めなければいけない時、しっかりと演技ができるものだ」
という人がいたが、まさにその通りであろう。
今まで着たこともないようなスーツにネクタイ。しかし着飾ってみると、実にさまになっている。彼女が惚れただけのことはある。
だが、さすがに彼女もこの男の本性までは見抜けなかった。
旦那は元々心臓が悪く、医者から気を付けなければいけない旨を言われていた。いずれは彼が旦那の後を継ぐことになるのだが、娘の結婚の話も、家を継ぐという話も一時期棚上げのようになった。中止ではないが、中断してしまった時期があった。
それでも、旦那の余命がハッキリしてしまってからは、急いで結婚式を挙げて、社長の座を譲る手続きを行っていた。それは、あまりにも性急で、なぜこれまでしなかったのかということが却って奥さんになる彼女の気になるところだった。
だが、彼と結婚し、子供が生まれ、会社の社長として君臨するようになると、彼の様子が少しずつ変わってきた。
娘に対しては、子煩悩で優しい父親なのだが、奥さんや会社の人間に対して、横柄な態度を取るようになった。
気に入らない社員がいれば、人事に口を出して、左遷させたり、逆に気に入った女性社員がいれば、秘書と称して、社長室付けにしてみたり、今でいえばセクハラ、パワハラなど、平気で行う人になってしまった。
いや、それは言い方が間違っている、
「本性を表した」
というべきであろうか、庄次郎は、元々ぐれていたのである。
うまく娘に取り入って、安藤家の養子に収まった。これは彼が長い間目指してきた目標であった。
それまでのワルを封印してでも、金持ちに収まった。彼にはぐれていた時代に、金というものが、どんな暴力よりも権力であっても、覆すことができることを知っていた。それを教えたのが義父である安藤庄之助というのは、実に皮肉なことだ。どうやって娘に取り入ったのか、これも彼の類まれなオトコとしての才能とでもいうべきか、だからこそ、彼が金にここまで執着しているのだとも言えるだろう。
安藤庄次郎という男は、狂気の沙汰と呼んでもいいのかも知れないが、ななみにとってはかけがいのない父親だった。それだけは本当のことで、娘は父親を信用しきっていた。
料理教室に通いたいと言い出したのは、実は娘の方からだった。
「そうかそうか、それはいいことだ。お父さんは応援するよ」
と手放しに喜んだのは庄次郎であった。
母親には一抹の不安があったようだが、庄次郎はお構いなしだ。庄次郎が喜んでいることを否定することは許されない。庄次郎が右と言えば、左のものも右になるのだ。
料理教室は週二回だったが、それ以外の二日は利一とのデートを楽しんでいた。若い二人のことなので、一緒に食事に行ったり映画を見たりがほとんどで、まだ身体を重ねるところまではうっていなかった。
「一度、お父さんに遭ってもらえるかな?」
と、それまで家族に会ってほしいと言わなかったななみが言った。
ななみとすれば、彼のことは好きで好きでたまらないのだが、身体を許すまでは心が動いていない。どこをターニングポイントにおけばいいのかを考えた時、家族の了解を得てしまえば、彼に身体を許す勇気が出てくるのではないかと思った。