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フリーソウルズ Gゼロ ~さまよう絆~

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#2. 惨劇の夜




摩耶大学
天根与志郎教授研究室。
3台の液晶テレビにランダムに映し出される日常風景。
離れたところからテレビを見ている研究用のニホン猿。
猿は両手両足を器具で固定され、アクリル樹脂製の箱から首だけ出している。
猿の頭部にはいくつかの電極が取り付けてある。
テレビに魚、肉、野菜、果物などの食材が映し出される。
猿が反応を示す。
別室のモニターに映る猿の脳波形と立体脳画像。


摩耶大学教授棟 廊下
厚いファイルを抱えて廊下を歩く平松恵子学長。
渡り廊下で繋がる別棟の一室の窓が半開きの状態。
ふたりの教授の言い争う声が途切れがちに廊下に漏れる。
以下、括弧内はほとんど聞こえない。

八津川 「猿を使った実験でも(とやかく言われる時代だ)」
天根  「外野は(言わせておけばいい)」
八津川 「(立場上、そうはいかない)」
天根  「(史学の新里教授や哲学の)大村教授は賛同いただいています」
八津川 「(評議会の決定には出席者の)三分の二以上の(賛成が必要なのだ。)ルールは変えられない」

八津川の教授室の前に立ち、耳をそばだてる平松。

天根  「八津川先生。脳科学の研究は近年加速度的に進んでいます。私はこの研究に三十年携わってきた。今さら後塵を拝するわけにいかない。先駆者にならなければ、今までの苦労が水の泡になってしまう」
八津川 「わかっている。わかっているからこそ、実験の危険性を危惧する声にも耳を傾けなければならない」
天根  「実験に危険はつきものです」
八津川 「君のそういう態度が他の評議委員の賛同を得られない理由なのだ。実際に生きている人間の脳が使われるのだよ、君の実験では」

教授室のドアが開く。
学長の平松が顔を覗かせる。

平松  「どうかしましたか? 通りかかったらおふたりがもめているようだったので」
八津川 「これはどうも、平松学長」

平松、入室する。

天根  「八津川教授、是非とも予算の再検討をお願いします」

退室しようとする天根を平松が呼びとめる。

平松  「天根教授でしたね」
天根  「はい」
平松  「私、着任して日が浅いものですから先生方のご専門についてお時間が許す限り、レクチャーしていただいていますの。天根教授のご専門は確か脳科学でしたね」
天根  「はい。正確には量子脳理論といいます」
平松  「りょうしのうりろん? ごめんなさい、研究テーマや論文に、ひと通り目を通したつもりですが、素人の私には・・・」
天根  「いや、私のやっている研究はそんなに難しいものではありません。どうして自分は自分と認識できるのか、細胞と血管の塊りでしかない脳みそに、どうして私という自我がやどるのか、中世の哲学者たちが思い悩んだ命題を、科学的に解明しようというだけです」
平松  「デカルトとか、スピノザとかですか」
天根  「はい。体は脳が操っている。するとその脳を操っているのは誰か」
平松  「まあ、それは面白い」
天根  「脳の中に自我があり、その自我の中核にクオリアという感覚質があるというのが最近の定説になっています。しかし私はそのクオリアですら、操り人形の最終的な使い手だとは思わない。個人を決定づける、もっと違う何かがあるはずだと。そこで私は自分なりに仮説を立て、研究を続けてきました」
平松  「それで、犯人の目星はつきましたの?」
天根  「いいえ、犯人はまだ。容疑者の段階と言ったらいいのでしょうか。私はその容疑者を“エス”と呼んでいます」
平松  「エス? “エスとの対話”というのがありましたね、心理学の本か何かで・・・」
天根  「よくご存知で。便宜的にそこから拝借しました。“エスとの対話”はグロデックの著書ですが、のちにフロイトが広めました。そのエスは、脳のどこかにある。しかし生きた人間の脳の中に手を突っこんで調べるわけにいきませんので、もっぱら大脳皮質から発せられる極めて微弱な脳波を調べるに留まり、研究が行き詰ってしまいました。そんなとき、些細な新聞記事が私の目に止まった。アマゾンの奥地で暮らすある少女が、ある日突然、自分は数十キロ離れた部族の男だと言い出したという記事です。少女は、その男のパーソナリティすべてに、正確に答えられたといいます。記事はさも超常現象のように面白おかしく伝えていますが、私は何かひっかかるものを感じた。これはエスが転移したのではないかと。だとすると、エスは個人の根幹をなすものでありながら、ある状況においては容易に転移する類のものではないかと直感したのです」
平松  「科学者の勘というやつですね」
天根  「その通り、勘です」
平松  「天根教授の考えるエスとは何なのですか?」
天根  「わかりません。が、おそらくプルキンエ細胞内の膜電位パターンに関係しているのではないかと思っています」
平松  「プルキンエ? 膜電位? 難しいですね」
天根  「プルキンエ細胞は、小脳深奥部に密集している神経細胞の一種です。ヒトの神経細胞の、実に七割がこの部分に集中しています。膜電位とは、細胞内イオンの電荷差から生じる微弱電流のことで、プルキンエ細胞群から生じる膜電位のパターンが、脳全体の一千億に及ぶニューロンの発火現象に波及し、事実上・・・」
平松  「? ? ?」
八津川 「(饒舌をたしなめるように)んん、天根教授」
天根  「すみません、話をエスに戻します。私は、エスが転移する瞬間を捉えることができれば、その存在が証明できるのはないかと考えました。それにはどうしても、もう一台新たに脳波を測定する高性能の脳磁図装置が必要なのです。その一方で私は、一般社会に目を向け、アマゾンの少女と同じような現象がほかに起きていないか調査を開始しました。するとやはりありました。予想以上の数でした。時には現地に赴いて関係者から聴き取りもした。眉唾ものも多かったですが、疑わしい、間違いないという例も多数あった。仮説を構築する上で私はエスの転移のことを、“トランシング”と名づけました」
平松  「トランシング?」
天根  「はい。これは精神分析学上のトランスとは意味合いが違うのですが、エスと思われる何かがヒトの脳から別のヒトの脳へ転移、つまりトランスファーしているのではないか、ということでそう名づけました。国内で起きた事例の調査では、体験した幾人かに実際に研究室まできてもらいました。そしていろいろ調べた結果、彼らに共通した脳波の波形があることがわかりました。うち数名は私のさらなる研究に協力してくれると、約束もとりつけてあります。あとは学長、二台目のハイパーメグの導入だけなのです」
平松  「それがあれば、エスが転移する様子がわかるのですね?」
天根  「はい」
八津川 「しかし学長、トランシングを人為的に起こし、人格を変えてしまう実験には倫理的に問題があると、評議委員からの指摘があります」
平松  「うん。ところでそのハイパーメグの二台目の導入にはいくらかかるのですか?」
八津川 「約七億です、学長」
平松  「七億円ですか、ずいぶんお高いですね」


天根与四郎教授 研究室控室
大股で研究室に戻る天根。
デスクの椅子に身を沈め誰に言うとなく独白のように言う。