端数報告2
ことに平沢大章のテンペラ画は細密な写実画で、その執拗なリアリズムの画調は、そのような種類の画には最も適切なものではあるまいか。(註:大章の〈章〉は正しくは〈日へんに章〉)
これを裏づけるというほどでもないが、読売新聞社気付で弁護人側に女性の投書があり、「私は前に平沢さんに春画を描いて貰い、相当なお金をお礼したことがある。平沢さんも、このことはおっしゃってしまった方がいいと思うから、弁護士さんからそうおすすめしてくれ」という意味の文字が認めてあった。弁護人が、これを平沢に質したところ、彼は頑強に否定したというのである。
アフェリエイト:小説帝銀事件
そう。平沢自身は「春画を描いたことはない」と言ってんだよな。
これを裏づけるというほどでもないが、前にちょっと紹介した『毒の事件簿』という本にも、著者の斎藤勝裕というのがこう書いている。
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以前から言われていることは、平沢は恥ずかしい金儲けをしていたのではないかということです。別に恥ずかしいことでもないと思いますが、平沢は秘密で春画を描いて売っていたといいます。それを平沢は秘して語らなかったといいます。テンペラ画協会会長という立場から、春画を描いて儲けていたとは(恥ずかしくて)言えないというものです。しかしそれならば、買った方が届け出てくれてもよさそうなものです。8万円が問題になっていることを知らないか、あるいは、春画を買ったことを世に知られては困るような地位の人物なのかもしれません。
近年、平沢の描いた春画と思われるものが小樽で数点発見されています。格調高くて立派(?)な春画です。決して描いたことを恥ずかしがるような卑猥な絵ではありません。
しかし、いかに本人が恥ずかしいと思おうと、死刑が掛かっているときに黙っていられるものでしょうか? やはり、なにか他の理由があったのでは? と疑われるのも致し方ないのかもしれません。
アフェリエイト:毒の事件簿
と。ふうん。しかし拾萬圓か。
花田の死の数ヵ月前。まだ1946年。国民みんながまだ食う物に困る時勢に絵に拾萬。
春画ならばずっと高い画料になるのも考えられることだって? そりゃ考えられるかしらんが、しかし正しい考えなのか?
その昔に春画と言っておれが思い出すのが、
アフェリエイト:D坂の殺人事件
だが、主演の真田広之がそのテの絵の贋作をする絵師を演っててなかなか良かった。結構高い画料を受け取る話であった憶えがあるが、いくらなんでも家が建つ額。それも〈豪邸〉と呼ぶような。
そこまでではなかったんじゃないかな。でも平沢なら有り得るって? 平沢がハダカを描けば拾萬圓も高いと言えない? 山口良忠が死の階段を登っている1946年でも?
そうだ、とセーチョーは頷く。弁護団もそう主張した。そのうち正木亮というのは、「ついていけない」と退いたが、他の者らは、
「ハダカを描いたんですよね? 平沢さん、アナタはハダカを描いたんだ! そうだと言ってください!! 本当のことを言ってください!!!」
と号泣し吠え叫んだ。しかし平沢は、「春画を描いたことはない」との言葉を変えることは遂になかった。
なぜか。
セーチョーは想像する。いや、溝呂木大祐の論によれば〈推理する〉。平沢は、いや、
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平沢画伯は、肉体的な死刑よりも、芸術的生命の処刑を重しとした。その比重の測り方は、普通人では考えらぬことだが、多分、平沢は、「恥よりも死を択ぶ」という殉教精神に立っているのかもしれない。仁科俊太郎は、獄中で画を頻りと描き、その作品が雑誌に写真版で載っているのを何度か見ている。平沢画伯が得意そうに画を描いて世間にその作品を観て貰いたい様子が眼に泛ぶようである。その自信は、死に代えても自己の芸術を防衛している意識の結果であろうか。
しかし、常識として人間は殺害から脱れたいのは本能である。平沢は、なぜ、「画家」を捨てて、死から脱走しないのか。ここにも、平沢の普通人には理解出来ない変質的偏執的な異常性格が働いているのであろうか。
アフェリエイト:小説帝銀事件
と。もう完全にハダカを描いたと決めてかかって「なぜにどうしてそこまでに否定するのか」との心境だ。
セーチョーがこんな幻想にふけったのが、いや、溝呂木の論によれば〈推理した〉のが1959年。死刑確定の4年後だ。だから前に見せた遠藤の本に、あの遠藤の嘘つき野郎が、
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平沢さんが、その八万九千円の入手先について、本当のことを言い出したのは、その最高裁の判決を受けてからあとである。すなわち、「恥ずかしながら、春画を画いて得た金でした」と。平沢さんは、死刑の判決を受ける危険をおかしてまで、なぜ本当のことを言わなかったか。
それは、前にも述べたように、帝展無鑑査、二科展と文展連続入選、日本テンペラ画会会長として本も出し、ラジオにも出演していた光輝ある彼の肩書と、そしてどこまでも見栄をはりたいという彼特有の性格によるものだ。
つまり横山大観の一の弟子として自他ともに認める彼の画壇における地位は、春画、すなわち男と女が性交している画を画いて金もうけをしていたことが世間に分かることにより、一挙に崩壊してしまうからである。そして同時に、「自分は帝銀事件をやっていない。やっていない以上、金の出所を言わなくとも、賢明なる判事諸公には、必ず分かってもらえるはずだ」という甘さもあった。それが、見事に裏目に出たのである。
そこではじめて平沢さんは、本当のことを言い出したのである。しかし時すでに遅し。死刑判決確定後であるのに加え、その春画を売ったときからすでに七年以上を経過しており、彼は、その昭和二十三年一月二十九日ないし二月はじめに売った春画の売り先を、どうしても思い出すことができなかった。
画像:帝銀事件と平沢貞通氏表紙
こう書いたのが大嘘なのはもう皆さんおわかりでしょうね。オーケンはこれを、
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(略)読んだ時ね、これは全部遠藤さんの創作なんじゃないかなとさえ思(略)
アフェリエイト:のほほん人間革命
わなかったのかと言えば、そんなこともないんじゃないかとおれは思うが、どうなんだろ。
平沢が春画を描いたか、描かなかったかは、立証することは出来ない。描いたかも知れぬというのは、飽くまでも幻想である、セーチョーの。でもセーチョーは、明らかに、この〈推理〉に間違いがあるはずないと信じ切ってる。
平沢貞通大画伯が女のハダカを描いたなら、拾萬圓の値がつくのに違いない。
――と。が、どうだろうねえ。裸婦画と言えば、おれにとってはなんと言っても、まず真っ先に、
アフェリエイト:さらば宇宙戦艦ヤマト
これなんだけど。格調高くて立派(?)と言うか、決して恥ずかしがるような卑猥な絵ではないと言うか、いやもう見たのはおれが小学4年の時だったけど、未だにこれを超えるものにお目にかかってないかもだなあ。
〈女子高生コンクリート詰め殺人事件〉並みに心に衝撃を受けたね。1978年のキーパーソンは松本零士ですよ、おれには。