端数報告2
1978年のKey person
今回より帝銀事件当時のお金を、1万円は《壱萬圓》、10万円は《拾萬圓》と書くことにします。この表記なら今の100倍に相当する感じが出るでしょう。もっと早く気づけばよかった。
で、さて前回見せました『早わかり20世紀年表』で平沢貞通の40年前、1947年のページを見ると、
画像:20世紀年表111ページ
画像:20世紀年表表紙
この通り、いつかちょっと触れました裁判官の山口良忠の名が出てくる。こないだ見せた遠藤の本に、遠藤の野郎は、
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昭和二十二年、貞通さんは、東京中野区宮園の高級住宅地を買い入れた。売主は、貞通さんの画のファンで、売主の希望により、土地売買代金の半額は、画による代物弁済となった。そこへ、戦争中買い入れてあった北海道の前記木材を大型貨車一台で運びこみ、同年秋、宮園御殿とでも呼ばれそうな住居を木建築で建てた。その頃の中野一帯は、まだ荒涼たる焼け跡で、多くの人々は、乞食小屋みたいなバラックを建て、冬は寒風の中でふるえながら、動物的な生活を送っていた。
(略)
貞通さんの画は、よく売れた。したがって、その生活もまた楽になった。そうこうしているうちに、その数ヵ月後の昭和二十三年一月二十六日午後三時三分、帝銀事件が発生した。
画像:帝銀事件と平沢貞通氏表紙
なんて書いていたけれど、まだまだみんなが食うや食わずの1947年に絵なんか売れるわけがない。
なのに平沢はこの年に豪邸を建てようとしてカネが続かず、平沢ダイショウなんて聞いたこともなかったけれど友人に頼まれて土地を売った売り主に「代金代わりに自分の絵を受け取ってくれ」と持ち掛ける始末。家は柱を組んだだけで工事は止まってしまっていた。
という、デイヴィッド・ピースさんとやらの
画像:占領都市表紙
この本によれば《やむを得ない事情》によって、平沢は自分の所属するてんぷら画協会のカネを横領していたのでした。帝銀事件直前には、もうニッチもいかなくなってた。
はずなんだけど居木井警部と八兵衛らの調べによれば、事件2日後に大金が。拾六萬からそれ以上、事件で強奪されたのとほぼ同額と見られるカネを突然持ったと確認できた。これはいかなることであるか?
というところで前回の続き、
画像:未解決事件の戦後史表紙
この本から、
《本当に平沢は犯人だったのか? この事件で、どうしても引っかかる点が2つある。》
というのを検証したく思います。ちなみに、著者の溝呂木大祐というのは、
画像:溝呂木大祐プロフィール
なんでもこんな人だそうです。
前回の続きをスキャンして見せよう。
画像:未解決事件の戦後史19-21ページ
こうだ。たったこれだけだが、まず1.
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まずは、平沢は大金を得たルートを明らかにしなかった点である。もし冤罪だとしたら、これを明確にすれば、濡れ衣を取り去ることもできたはずだ。実際には、まったく何も話さなかったのではない。具体的な大金入手ルートを明かしているが、それは二転三転し、かつ、いずれも虚偽であることが判明している。
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と。平沢貞通最大の弱点、《事件直後に手にしていた出所不明の大金》を述べたものだが、ものは言いようだよな。
《実際には、まったく何も話さなかったのではない。具体的な大金入手ルートを明かしている》
だって。《花田卯造に絵を売った代金》という釈明をそう言うこともできるかもだが、このブログの前々回で、『刑事一代』からスキャンして見せたページにこうありました。
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《金の人手についての平沢の弁明は「花田卯造氏から昭和二十一年十一月ごろ、十万円を屏風を描く謝礼として内緒で受け取った。その金を家族にみつからぬように自宅の部屋の画板に隠しておいて、家族のスキを見て二十三年一月二十九日に東京銀行本店に預けた」という。花田氏は二十二年八月に死去しているため、未亡人や長男が公判廷に出て、未亡人は平沢被告が二十一年十一月ごろ来たことは認めるが、金は渡さなかったと証言。花田氏の長男や秘書もすべて平沢のいうような事実はないと否定した。(略)
画像:刑事一代表紙
と。その上、八兵衛の弁によれば、
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(略)これについても裏取りをしたら、工作をしてあることがわかった。秋葉原の電報局から、中野の自宅へ「金を支払うからとりに来い」って電報を打ってたわけさ。偽装電報だ。家族はこの電報を受け取ったもんだから、てっきり絵の代金だと信用した。ところが、この電報は、平沢がてめえで打ったんだ。電報局から、あとで平沢が書いた頼信紙がでてきた。花田って人は、平沢が電報を打った一年前に死んでることもわかったよ。
画像:刑事一代表紙
この嘘がバレた後に平沢は、次から次に「あの人に絵を売った代金だ」「あの人に絵を売った代金だ」と名前を出したけれども、全部嘘と判明し、その多くは実在すらしなかった。
武田真治と同じだ。いや、あの人は存在しますが、溝呂木はこれを、《具体的な大金入手ルート》と書く。具体的。森川哲郎の《五聖閣の占い》の話のように具体的。
なんだけれども〈二転三転〉〈いずれも虚偽であることが判明〉とも書く。
読者にこのカネの話も、《4件の詐欺》同様に、精神疾患の影響という微妙な背景によるものと考えてもらおうという魂胆が見え見えだ。この文そのものに具体性がなく、すべてが曖昧にぼかされている。事件についてこれで初めて詳しく知った気になる人間は、ほとんどがこの段落を読み流してしまうだろう。
で、次の2.
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冤罪だったとした場合、無実の罪に問われることを引き換えにしても話せない理由とはなんだろうか? 作家の松本清張は、『小説・帝銀事件』の中で、パトロンからの依頼で、春画を描いて得た報酬ではないか、といった推理をしている。
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そう。セーチョーはそういう想像をしている。溝呂木は「パトロン」なんて書いてるが、つまり花田がパトロンで、妻や息子や秘書に黙って春画を描かせて拾萬圓払っていた。生前に。平沢はそれをすっかり忘れていたが、帝銀事件の2日後に画版に隠していたものを見つけて「あ」と思い出したに違いない。
そうでないとは、
《断言できないのである。》
《という想像も起きるのである。》
と書いて自分の考えが絶対確かとしてしまっている。
セーチョーはこう書いている。
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普通の絵画よりも、秘戯画を描くことが、ずっと高価な画料になり、すぐに現金で渡されるのは考えられることである。しかも、これは依頼者が家族にも話さない秘密のうちで行なわれる取引なのだ。
当時、画家は、超大家級は別として、仕事が少く、生活に困っていた。あの人が、と思われるような有名な画家が、秘戯画を描いた話は仁科俊太郎も聞いて知っている。平沢画伯がそれをしなかったとは断言できないのである。