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端数報告2

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君はソクラテスかプラトンか


 
画像:警視庁重大事件100表紙
 
前回に引き続いてこの本の話。〈警察官の闘いと誇りの軌跡〉という本が、平沢をシロとの見方で書いている。それでいいのかというところで終わりましたね。
 
警視庁の協力で出す本ならば《出所不明の大金》や詐欺の話をしてもいい。だがそうせずに指紋だのアリバイだのの話をする。これで初めて事件について詳しく知る気になる人間は、警視庁が出してる本がこう書いているくらいだから平沢はほんとに無実なんだろうなと思うだろう。
 
それでいいのか、という話である。よくないのではないか、と、おれは思うという話である。指紋やアリバイの話が事実通りならばともかく、恣意的に話を歪めているものと断じるしかないとなれば、これを書いてる人間は警察組織を裏切っていることにならんか。
 
その一方でこの本が、ここでこれまで見てきたものとかなり違っているのも確かだ。『のほほん人間革命』『未解決事件の戦後史』『写真のワナ』『戦後ニッポン犯罪史』『毒の事件簿』の5冊に指紋とアリバイの話は出てこなかった。現場に多額の現金が残っていた話もなかった。
 
しかしこいつはそのみっつを挙げてくる。と言うか、そのみっつだけ挙げる。目の付け所が他のダメなやつらと違う。
 
 
   できるやつだ。
 
 
とおれは思った。こいつはできる。たぶん弁護士になったなら、ドーマコなんかよりずっと腕が立つんじゃないだろうか。
 
遠藤誠はただギャーギャーとわめき立てるだけの弁護士だ。顔は裁判官だとか裁判員を向いていない。自分についてくる支援者に向けてる。法廷では敗けてもいい。依頼人などどうでもいい。勝てる裁判もバンバンと自殺点を稼いで敗ける。わざとだ。ほんとに無実の者も、死刑で吊るされるように仕向ける。そうして支援者に、
 
「ワタシの正しい主張はすべて通らなかった。もう革命を起こすしかない。首相を殺そう。天皇も殺そう。爆弾を投げ、毒ガスを撒くのだ」
 
と叫ぶ。本当にオウム真理教がそれをやる1995年春まで、そんな弁護士がヒーローだった。
 
アフェリエイト:のほほん人間革命単行本
 
この『革命』の単行本が出たのも同じ1995年3月。だからちょうどその頃まで。でもってこいつでオーケンを騙した手口があの通りだが、読んだ人間がオーケン同様、
 
「ちょっとゾーッとした」
とか、
「やぁー、びっくりしちゃった」
とか、
「こんなことがあっていいんですか?」
 
とか思うように出来ている。周防正行の『それでもボクは』がまったく同じ造りなように。
 
溝呂木大祐も礫川全次も齋藤勝裕も基本的に同じ嘘のつき方してると言っていい。それから、新藤健一もそうだ。「GHQは警視庁に捜査中止命令を出した」と言って、「その証拠に讀賣新聞の遠藤美佐雄という記者が刑事部長の藤田二郎に電話で『権威筋の命令でね』と言われたんですヨ」と言えば、オーケンみたいな人間が、
 
   *
 
大槻「マッカーサーが囲い込みたかったわけですね」
 
アフェリエイト:のほほん人間革命
 
とわかってないのにわかったようなことを言う。どうしてこういうカンバセーションが成立してしまうかと言えば、話す方も聞く方も同じ種類の人間だからだ。
 
 
   一般的に使われる言葉でそれを〈俗物〉という。
 
 
大槻ケンヂは俗物である。「マッカーサーが囲い込みたかったわけですね」とかなんとかわかってないのにわかったようなことを言うのは俗物だ。《居木井警部補は占いで》なんて話を簡単に信じて「こんなことがあっていいんですか?」と偉そうな顔して言ったり、《パビナール中毒の変質者》なんて言葉に食いついて「やぁー、びっくりしちゃった」だとか言うのはオーケンが俗物の中の俗物だから。
 
彼は高木ブーである。高木ブーも俗物である。『ドリフ大爆笑』の中の〈雷様〉のコントにおいて、ブーはその俗物ぶりを広く広く世間にさらした。
 
あれだ。あれが俗物だ。と言っても今の若い人にはよくわからないだろうと思うが、前回書いた帝銀事件の平沢貞通のアリバイは、八兵衛の口ではこう語られる。
 
画像:刑事一代150-151ページ
 
画像:刑事一代表紙
 
セーチョーの『小説』から前回見せたのと特に食い違いはないのがおわかりになるだろう。青で囲った部分、〈午後三時〉と書いてあるのは八兵衛の記憶違いか言い間違いで、正しくは〈午後二時前に〉とするべきだろうが、それはいいとして、むしろ今回よく注意してほしいのは次の赤で囲った部分だ。
 
以前どこかで引用したが、八兵衛はここで言っている。 
「まあ平沢のシロの根拠ってのは、第一にテンペラ画の大家で、あれだけの人格者が大量毒殺をするはずねえってんだ。あれだけの犯行をしたからにはその後もあんな素晴らしい絵を描けるはずがねえ。ホシなら絵にもっとにごりがあるはずだと、「平沢を救う会」の連中も、哲学者みてえなことをいっているのさ。命がけでやってきた捜査をそんなことで簡単に決められちゃあ、話にもならねえ」
と。ページ上隅にある通り、本のp.151だ。
 
『刑事一代』を手に入れて確かめていただくとわかることだが、八兵衛はp.148で詐欺未遂の話、次のp.149で《出所不明の大金》の話をしている。そしてこのp.150で広瀬昌子の証言によれば平沢のアリバイは成立しない話をしたところでこう言っているわけなのだ。『「平沢を救う会」の連中も、哲学者みてえなことをいっているのさ。』と。
 
 
〈平沢画伯を救う会〉の人間は、哲学者でも気取ってるような者達だった。
 
 
と言えば高木ブーである。『ドリフ大爆笑』の中の高木ブーの雷様は、哲学者でも気取ってるような人間だった。
 
と言っても今の若い人にはよくわからないだろうと思うが、たとえばこんな感じである。おれが図書館で借りてみた本に『絶望の牢獄から無実を叫ぶ(片岡健・編 鹿砦社 2016)』てのがあるのだが、平沢の章の最初のページが、
 
画像:絶望の牢獄から無実を叫ぶ95ページ
 
絶望の牢獄から無実を叫ぶ表紙
 
こうなっていて、石井敏夫さんとかいう人が、
 
「カーッコいい! こんなカッコいいこと言ってるボクってまるで哲学者!」
 
と叫んでる心の声があなたのPC画面から聞こえてくるようでしょう。
 
これだ。これがブーの雷様だ。この本は、これだけ見てもわかるだろうが、平沢の無実の根拠を第一にテンペラ画の大家で、これだけの人格者だから大量毒殺をするはずがない、あれだけの犯行をしたからにはその後もこんな素晴らしい絵を描けるはずがない、ホシなら絵にもっとにごりがあるはずだと、哲学者みたいなことをエンエンと書き並べるものである。そういう話以外一切書かれない。
 
この石井敏夫という人物が《出所不明の大金》や詐欺の話を知らないはずもないのだが、それを決して口にすることはない。こういう人はカッコいい自分に酔って自己完結しているわけで、高木ブーの雷様がそうであるように醜い己の実像は見ず、他人からの客観的な指摘を耳に聞き入れないから《4件の詐欺》とか言うだけ無駄だ。たぶんこの人は、
 
   *
 
作品名:端数報告2 作家名:島田信之