短編集87(過去作品)
一度淑恵とは別れた。理由は何だったかハッキリと覚えていないが、他愛もないことだったに違いない。だが、その他愛もないことを許せないほど、お互いにすれ違っていたのだろう。そのことは後になっても感じることができる。
それからの俊太郎は、荒れていた。ただでさえ、突然キレることがあったのに、さらに荒れたことで、
「もう、あいつとは話をできる状態じゃないな」
と言われるようになってしまったのだ。
考えていることが自分で分からなくなってくる。小学生の頃から、いろいろ理論立てて考えるタイプだったのに、淑恵と別れてから、合理的にものが考えられなくなった。融通が利かない性格が、災いしてきたのである。
その頃に感じたまわりの空気、冷たいものだとしか思えなかったが、次第に気持ちに落ち着きを取り戻してくると、
――意外と暖かいものだったんじゃないかな――
と思えるようになってきた。
そう感じるようになると、精神的にも余裕が出てきた証拠で、星の世界に魅入られていた自分を思い出すことができた。
精神的に荒れている頃は、星の世界を見ようなどと考えることもなかったが、少しだけ気持ちの余裕を感じることで星を見てみたいと思うようになったのだ。
ゆっくりとした気持ちで川原の土手に横になるようにして星を眺めてみた。
――あれ? 何かが違う――
まず最初に感じた。まったく同じところから見ているにもかかわらず、何かが違う。それが星の位置なのか、それとも、自分の考えていた精神状態なのか分からない。とにかく何かが違った。
――寂しい――
今まであまり感じたことのない感情だが、寂しさを感じた。淑恵と別れた時にも感じたことのない感情、きっと別れを自分の中で受け入れる勇気がなかったのだろう。だから精神的に自分の感情をどこに置いていいか分からずに、闇雲に荒れていたに違いない。
だが、寂しいというのは漠然とした感情で、友達がまわりにいないことが寂しいのか、女性を欲しているのか、それとも別れてしまった淑恵に対しての未練なのか、よく分からない。
未練という言葉は、惨めなものだという感覚しかなかった。男が女を追いかけるなど、実に惨めで、自分は絶対にそんなことはしないと思っていたにもかかわらず、寂しさを感じている時に見る覚えている夢は、淑恵のことがほとんどだった。
――やはり、淑恵に未練があるんだな――
認めたくない未練、だから自分の中で寂しさが漠然としていたのだろう。
あまり人に気を遣いたくない性格の俊太郎だったが、淑恵には気を遣っていたように思える。淑恵も同じで、人見知りするタイプだったが、俊太郎にだけは違っていた。
俊太郎と淑恵、二人はある意味腐れ縁に近かった。別れてからまた付き合い出して、また別れる。そしてまた付き合い始める。
――友達以上、恋人未満――
そんな関係だったのかも知れない。
一番それを感じたのは、お互いに気を遣いすぎるところだろうか。相手を思えば思うほど、会話がなくなってくることがあった。
お互いに考え方が近いところがあったのかも知れない。
「まったく同じことを考えていただろう?」
会話があるわけではない中で、時々お互いに同じことを考えていると気付く時がある。本当にそうなのか分からないが。目を見ていると、同じタイミングで何かに気付いているのは間違いなく、
「まったく同じことを考えていただろう?」
という言葉に、彼女は反応する。
彼女の方から、お互いに同じことを考えていたんじゃないかと言われることもあり、まさしく俊太郎も考えていたことだった。気を遣っているから気付くのだろうか?
だからと言って、お互いにすべてを分かり合っているわけではない。意外と知らない部分や神秘的に思える部分が長く付き合えば付き合うほどにあるのだ。付き合って、別れを繰り返しているが、別れる時の気持ちはやはり、
「友達以上、恋人未満でいましょう」
ということだった。実に曖昧な関係である。グレーな関係と言ってもいいだろう。
しかし別れてしまうと、寂しさがこみ上げてきて、友達以上という感覚になれないのだ。一番難しい関係であることに間違いはない。
星を見ていて思う。
――近くに見える星だって、本当はものすごく遠いんだ。意外と遠くにある星が一番近かったりするんじゃないだろうか――
星の世界に感情を照らし合わせるのがいいのか悪いのか分からないが、星を眺めていて自然と湧いてくる感情である。星の世界から考えれば、自分たちの考えなど、実に小さいことであることは間違いない。
要するに距離の問題である。遠くに見えても実は近かったり、あまりにも近すぎて、灯台下暗しで見えなかったり、はたまた、富士山を見る時のように、遠くから見るからこそ綺麗に見えるものだってある。
魔笛のメロディを聞いていると、富士山の向こうに暗黒の空が広がっていて、星が煌いているのを想像してしまう。空が真っ暗なわりには、富士山の万年雪は真っ白に輝いているのだ。
そんなイメージが湧くたびに淑恵を思い出す。あれから何度淑恵と付き合って別れたことだろう。お互いに気持ちを分かり合っている仲のはずなのに、どうしても相手を求めてしまう。
それも同じタイミングでである。そうでないとお互いに何度も付き合って別れているのだから、再度付き合おうなど、お互いに感じるはずもないだろう。
自分の存在を石ころのようにまわりから消しているが、実は淑恵には星が煌くような瞬間に見えることがあるのかも知れない。性格を押し殺したとしても、これだけ実際には起伏の激しい性格である。その気になって見つめればこれほど激しく分かりにくい性格の人もいないだろう。いや、しっかり見つめているだけに、見える人には一番単純に感じるのかも知れない。そうでなければ、淑恵のように何度別れても、よりを戻そうなどと考えたりしないだろう。
そしてそれは淑恵にも言えることだ。星の世界に思いを馳せている俊太郎だからこそ、彼女の気持ちが分かるというものだ。
――きっとお互いにこのまま結婚もせずに、付き合ったり別れたりするかも知れない――
そう感じながら俊太郎は三十五歳になった。
――あれからずっと、自分の中に、誰にも見えない妖怪が潜んでいるんだ――
と思っている。
結婚しない表向きの理由は、
――仕事が忙しいから――
だが、淑恵への気持ちは自分の一番正直な気持ちとして決して表に出そうとはしない。ずっとこのまま石でありつづけることだろう……。
( 完 )
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次