短編集87(過去作品)
「でもロマンチックなだけではないのが月なんですよ。洋の東西を問わず、月には神秘性を感じた話がいっぱい残っていますよね」
「オオカミ男、吸血鬼、満月にはいろいろな伝説や、神話がありますね。特に和歌に詠まれた月には、女性を表している詩が多いのも特徴かも知れませんね」
綺麗に光っている月を想像していた。黄色く、お盆のような月が空に浮かんでいる。三日月というよりも満月を想像してしまうのは、どうしても星と比較してしまうからだ。
小学生の頃に読んだ、まったく光を発しない星について話をしてみた。
「その話なら私も聞いたことがあるわ。でも、あくまでも想像上の星ですよね。そんな星があるなら、怖いことですわ」
と話していた。
「そうですね。でも理論的には不可能じゃない気もするんですよ」
「私は星の世界というよりも、もっと身近で光を発しないような発想が転がっているような気がするんですよ。例えば、気配をまったく感じさせない人がいるとかね」
俊太郎は自分のことを考えていた。いつも目立たないタイプの自分なので、まったく自分の気配を感じない人が中にはいるかも知れない。
そういえば歩いていても、人とぶつかりそうになって、思わず避けてしまうことがある。都会のど真ん中にあるスクランブル交差点などのように、規則的に見えるが、それぞれが不規則な動きを示している時など、まったく予想もつかない場合など、本当にぶつかりそうになる。相手も危ないと思って避けてくれればいいのだが、まったくそんな気配がないことがある。
――相手には見えないのだろうか――
何度感じたことだろう。最初はあまり意識していなかったが、あまりにも意識されないと、今度は他人を見ていると言い知れぬ怒りのようなものがこみ上げてくることがある。
――自分が一番偉い――
などとおこがましいことを感じたことはないが、まわりの人のモラルの低さや、中年の悲哀にも似たものを見ていると、成長していくことに疑問を感じてしまうことがある。
その思いは中学時代から感じているもので、二十歳前くらいの暴走族のような連中を見ていると、嫌悪感以外の何ものも感じないし、電車の中で見る携帯電話を掛けている連中なども情けないの一言だ。
サラリーマンが電車の中でいびきを掻きながら寝ていたり、咳払いまでがむかついてくることがある。そんな時は自分の精神状態が最悪の時なのだろうと思っていたが、そうでもないようだ。日頃からそういうことを感じていないといけないのではないかとすら思うようになっていた。
星の世界に思いを馳せるということは、現実逃避に繋がることは分かっている。現実逃避の時間が長ければ、それだけ自分の発想が大きく果てしないものだという気持ちになるだろう。それが錯覚かどうかは分からないが、果てしない世界に思いを馳せていると、現実の世界が情けなく感じられるのも仕方のないことかも知れない。
淑恵と話をしていても、ついつい自分のことに置き換えて、比較してしまうことは本当に自分の気配を消そうとしていないのかも知れない。逆に自分を表に出そうという気持ちが働いているのだが、それは、自分の中にもう一人いるからではないだろうか。
――一人の自分はなるべく気配を消そうとしている。しかし、もう一人の自分は表に出ようとして必死になっている――
そう考えると、気配を消してしまうことを嫌がっている自分への気持ちに気付くのも分かるというものだ。
「無性にお腹が減っている時に何かを少しでも食べると、すぐに満腹になることがあるでしょう?」
淑恵がゆっくりと話始めた。話題を変えたいのだろうか?
「確かにあるね。胃袋が小さくなっているんだよね」
「そうね、でもそれは無意識に身体の機能が働いている証拠ですよね。人間の身体って、そう簡単に割り切れるものじゃないのよ。何か変わったことをしようとすれば無意識に身体が反応して、うまくいくようになっているのかも知れないわね」
「発熱だって、そういうことですよね。あれは風邪の菌と戦っているから、身体から熱が出る。それを無理に冷やそうとしたりせずに、汗を出し切ったりさせるという治療もあるみたいですから」
身体の機能というのは感じたことがある。感情とどこで繋がっているのか分からないが、精神的にきつい時など、現実逃避を考えていると、胃が痛くなってくる。胃薬を飲むのだが、胃薬の苦さを感じた時に、なぜか身体の機能について無意識に考えていたことに気付くのだ。淑恵に話してみた。
「満足するということが身体にとってどういうことかというのは分からないわね。身体が満足するのか、精神的に満足するのか、同じことではないのでしょうけど、どちらかが満足すれば、少なくとも、心配の半分は解消されそうな気がしますね」
「身体の世界って、小宇宙なのかも知れないな」
どうしても宇宙や星の世界と結びつけて考えてしまう俊太郎は、淑恵の話を聞いていて真剣に感じたことだった。
「あなたっていい人ね」
淑恵に言われてハッとした。どういう意味なのだろう?
それまで、淑恵を友達としてみてはいたが、女性として感じていなかったのに、その言葉をいわれた瞬間、女性として意識した。
淑恵からすれば、何度か話をしてきて気心が知れてきたことから、そんなふとした言葉を発したのかも知れないが、俊太郎にしてみれば、
――一体、どういう意味なのだろう――
と感じることで、淑恵への見方が少し変わってくるのも無理のないことだ。
――いい人――
という言葉はあまりにも漠然としている。冗談で、
「いい人っていうのは、どうでもいい人のことだよ」
と言って笑っている人がいたが、自分もどうでもいい人の一人なんじゃないかと、勘ぐってしまったりする。そんなことはないのだろうが、友達として仲良くなってしまうと、女性の場合は、
――相手を異性として見れないものだ――
と聞いたことがある。女性に限ったことではないだろうが、少なくとも俊太郎には信じられない。同じ趣味を持っていて、会話が弾んでいるのに、相手に対して情が湧いてこないのだろうか?
俊太郎は、
――ずっと前から知り合いだったような気がしてくる――
と思えてならない。
一番最初に付き合った女性に同じことを言うと、彼女も同じだと答えてくれた。お互いに知り合うべくして知り合ったような気持ちになって、次第に気持ちが盛り上がってきたのだ。女性を意識するということは、相手をじっと見つめることで相手を感じ、そのうちに前から知り合いだったと感じることだと思っていた。淑恵は違うのだろうか?
ハッキリ聞いてみるのも怖い。まだ少し様子を見ていたい気がする。急いては事を仕損じるというではないか。慌てても仕方がない。少なくとも、星や宇宙の話で盛り上がっている時間を大切にしたいという気持ちは強い。
いつも自分の話に夢中になりすぎて、友達から、
「何を怒っているんだよ。もっと冷静に話そうぜ」
と言われたことがある。
普段、クラスメイトの間では気配を消しているが、同じ趣味の話をするごく少数の友達との間では、
――興奮しやすく、我を忘れるタイプ――
だと思われているようだ。
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次