短編集87(過去作品)
おじさんは両極端だった。饒舌な時もあれば、何も話さない時もある。何も話さない時は、さすがに俊太郎が話すが、それも珍しい。だが、表情はいつもポーカーフェイスで、顔色はほとんど変わらない。
話をするといっても、他愛のないことが多い。戯言の類が多いが、学校であったことなどのような普通の子供が話すような話題ではない。星がどうの、宇宙がどうの、話の内容は果てしなく大きい。それだけに、あまりにも漠然として掴みどころがないのだ。
おじさんも漠然とした話が好きらしい。空を見上げて同じように横になっていると、背中が浮いてくるような感覚に陥ってしまう。一人の時にはないのだが、不思議だった。
学校に行くと、いつも端の方にいることが多く、写真に写るにしても、真ん中に写っていたためしがない。
「やつは、あまり目立たないからな」
中学になって同窓会があった時、友達が誰かと話していた。同窓会では皆それぞれ変わっていた。特に女性は綺麗になったというか、大人の雰囲気を強く感じ、そばに寄っただけで、ほんのりと香ってきそうだった。
「前はあんなに大人しかったのに」
と思っている女性が、急に派手に見えてくる。成長過程では女性の方が肉体的な変化が大きいので当たり前のことである。
胸が大きくなり、体型がハッキリしてくる。顔が大人っぽく見えるのは目鼻立ちがクッキリとしてくるからだろう。二重瞼がハッキリしてくると、女性は綺麗に見えてくるものである。
嫌らしい目で見ているわけではないが、気になるとついつい見つめてしまう。
「あまりジロジロ見ないでよ」
嫌がっているわけではなく、茶目っ気で言われると、こちらも恥ずかしくなってくる。
「意識しているわけじゃないよ」
とは言っても、どこまで信じてくれるだろうか。
だがそこから会話が広がるわけではない。後は貝のように口を閉ざし、黙って座っているだけだ。誰も気にする人などいない。小学生の頃と同じだ。
他の人が変わってしまったことを意識すればするほど、自分がほとんど変わっていないことを感じる。会話に入れないのは、そのせいもあるが、逆に引っ込み思案な性格が災いして、変わりきれないのかも知れない。
話の内容も最近のファッションや音楽の話題、新しいものを受け入れていくことが成長の証のように思えてならないのだろう。俊太郎にとっては何の興味もないことで、ただ空を見つめているだけが本当の自分の時間だと思っていた。
――本当の自分の時間――
他の人と共有できない時間がそこには広がっている。同じものを見つめていても、感じ方は人それぞれ、比較対象になるものが違えば、大きく見えたり小さく見えたりするというものだ。
時間だってそうだ。感じ方によって長く感じる人もいれば、あっという間だという人もいるだろう。その違いが分かっている人は誰もいないに違いない。
またしても星の話を思い出した。
「空に煌いている星は、今から数百年以上も前に煌いていたもので、今はあるかどうか分からないんだぞ」
という言葉を吐いたのは自分ではなかったか、今さらながらに思い知らされる。
人の話を聞いていたり、行動を観察してみたりすると、思い出すのは星の話だ。
――たった数年で人間は変わってしまうんだ。考えてみれば人の一生なんて短いものなんだな――
夕暮れが迫ってくると寂しさを感じるが、実際に日が落ちてくると、広がってくる夜の帳に寂しさは感じない。都会だとこれからの時間帯ではないか、ネオンサインの煌く中、一体何人の人が犇いているのかを感じると、
――もし目の前からその一帯が消えてしまったらどうなるか――
ということを考えていると、
――思ったより狭く感じるだろうな――
と納得していた。
その一帯にどれだけのドラマが隠されているか分からないだけに、壁一つ隔てた向こう側に、その瞬間以外、まったく接点がない人だっているはずだ。少しでも時間が違えばその人と出会うことはおろか、ニアミスだってありえない。
子供の頃にも同じことを感じた。あれはおじさんと話をしている時だろう。あの頃は他愛もない話ばかりだと思っていたが、今から思い返せば結構重たい話もしていたように思う。
――どんな話だったかな?
おじさんはウンチクが好きだった。ちょっとした話でも説得力があり、おじさんの話であればウソでも本当なるんじゃないかと思ったくらいである。実際に信じられないような話でもおじさんの話には信憑性が感じられた。それほどいくつかインパクトの強い話があったに違いない。
おじさんとは短い付き合いだった。数ヶ月くらいのものではなかったか。小学生の頃で一番時間を長く感じた頃に思えたが、実際には短かった。会話のほとんどが忘れてしまっている。
だが、ハッキリ覚えている話も多く、そのほとんどが違う話なのだが、どこかで接点を感じる。
おじさんが妖怪の話をしたことがあった。いつも誰かのそばにいて、誰の目にも見えない妖怪である。身体は小さく、藁を身に纏っている。ちょうど「子泣き爺」のような風貌であろうか。杖を突いているらしく、年寄りのイメージからますます「子泣き爺」のイメージだ。
その妖怪の最大の特徴は誰にも見えないことなんだそうだ。
「目の前にいるのに、誰にも見えないなんて、こんな恐ろしいことないよな。まるで異次元から飛び出してきたようじゃないか」
と話していた。
小学生時代、クラシックが好きだった俊太郎はその話を聞いた時、なぜか思い出したのが、モーツァルトの「魔笛」だった。透き通るような女性の声、まるで、頭の奥を何か鋭利なもので突き刺されているような気がしていた。
――どうして「魔笛」だったんだろう――
今から考えても不思議だ。誰にも見えない妖怪の話を思い出すたびに聞こえてくるような気がする「魔笛」、次第に妖怪を見る目がフェードアウトしてくるようで、目の前から小さくなっていく。
その妖怪は石のようである。石のように硬く、保護色に包まれているが、硬くなるにつれ、色が濃くなってくるのだそうだ。
「誰にも見えないというのは怖いよね。すぐそばにいても気配を感じないのだから、何をされても分からない。その時気付かなかったために、後になって慌てることになるかも知れない。姿が見えているのと違った意味での怖さがあるんだよ」
目の前に人がいるのに気付かないというと、異次元の世界を思い浮かべる。
そういえば、以前に星の本を読んでいて、まったく自分から光を発しない星があるらしいと書いてあった。自らが光を発しない星といえば地球などのように、太陽の光の恩恵を受けて光って見える星がほとんどなのだが、その星は、光を吸収するのか、まったく光らないらしい。
――そばにいても誰にも気付かれない。もしその星の住人が襲ってきて、姿が見えないとしたら、どうだろう――
恐ろしいことである。光がないということは色もない。透明人間とはまた少し趣が違うだろう。闇に紛れているとしか考えられないが、光のある世界では真っ黒に見えるのだろうか? そうであれば判別は可能だが、そんな生易しい考えでいいのかどうか、考えれば果てしない。
――ふふ、何をバカな――
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次