短編集87(過去作品)
ずっと都会で暮らしてきあところが橋爪との一番の違い。それを生かした考え方ができないかということから考えた「ドジョウ」というプロジェクト計画。ここまで来ると、自分だけの胸にしまっておくことなどできなくなってしまった。
「社長、少しご相談が」
と言って橋爪の机に両手をつけて、前屈みになる。まるで「青年の主張」の演台の上にいるような格好で身を乗り出しながら話を始めた。
「君がそこまで思いつめたような表情をするなんて珍しいな」
思いつめたような表情を普段しているかどうかは別にして、橋爪から、
「思いつめたような」
などと言われたのは初めてだった。
「実は、今回の事業拡大のプロジェクトなんですが、見ていただきましたか?」
企画書は作っておいていたので、見ているはずである。事業計画の中に今までのデータ推移を入れて見やすくしたつもりだったが、さすがに新しいことを始めようというのだ、かなりややこしいものになっているはずである。
「なかなか難しい内容だね。もう少し検討が必要だな。だが、よくあれだけのものを作ったな」
企画書には随所に参謀としての気遣いが見られ、結構分かりやすく作られていた。仕事の早さも三木の特徴の一つである。
――彼を参謀にしてよかったというのも強いが、それよりも敵に回さなかったことが一番だな――
橋爪が信頼すればするほど、
――もし敵に回ったら――
と、考えただけでも恐ろしい。味方として全幅の信頼をおいている人には絶えず裏切りを起こさないように、最新の注意が必要なのだ。
しかし、それほど猜疑心の強くない橋爪は最近まで考えたこともなかった。よくこれで社長ができると思うくらいだが、元々が二重人格で、信頼できる人だと思えば全幅の信頼を傾けるが、ダメだと思えばバッサリと斬り捨てる冷徹なところも持ち合わせている。
「三木さんって目立たないけど、本当に堅実なのね」
冴子が橋爪に話した。褒め言葉だと解釈したが、本人のいないところで褒めるということは、本当に三木を好きになったのかも知れない。それほど冴子は三木のことをずっと気にかけていて、見続けてきたのだろう・
橋爪も、三木に対し自分のことを話しているかすみママを思い浮かべた。和服の似合う色白な美人が頬を赤く染め、恥ずかしげに話している姿を想像するのも、おつなものであった。
三木を見ていると、橋爪は癒される。三木は冴子を見ていると癒される。冴子は、意外と橋爪を見ていると癒されているのではないかと思うのは、三木が橋爪から三すくみについて話しを聞いた時だった。
さすがに最初は、
――そんなことはないだろう――
と思っていたが、言い知れぬ不安に陥った。ちょうど、近くを救急車が通ったのも不思議なタイミングだった。
救急車の音には三木は敏感だった。以前、立ちくらみを起こし、そのまま道路にはみ出して跳ねられたことがあった。あの頃は仕事が忙しかったこともあってか、疲れがピークに達していた。
意識が朦朧とする中で、消えない乾いたサイレンの甲高い音、そして、目を瞑っても見えていたように赤いランプが回っているのが、今でも思い出されるようだ。
条件反射というのは恐ろしいもので、アルコールや薬品の臭いまでが身体にしみこんでしまったかのような錯覚に陥り、サイレンの音を聞いたり、薬品の臭いを嗅いだりすると、その日のことが今でも思い出される。
三すくみが救急車の音や、薬品の臭いとどのような関係にあるか分からないが、不安に陥ると薬品の臭いを思い出すようになっていた。きっと鬱状態に陥った時に違いない。
表に現われない裏の部分をお互いに分かっているのが、橋本と三木の関係だ。あうんの呼吸という言葉がピッタリだ。
お互いに表の性格に現われない部分に、二重人格性がある。片方の性格と正反対なのだが、見方によっては似ていたりもする。
信号機の色を青と表現する人もいれば、緑と表現する人もいる。言い方だけではなく、人によって見え方も違うようだ。しかし、それは言葉にしなければ分からないこと。誰が何を考えているなど、普通分かるものではない。
しかし、橋本と三木には分かるのだ。お互いが何を考えているかだけではなく、どのように見えているかまで言葉にしなくとも分かっているのだ。ここまで付き合ってきて、気心が知れたというだけでは説明がつかない。
――出会うべくして出会ったんだ――
と思うのも無理のないことだ。
――前世でも同じような立場だったんですよ――
と三木が笑いながら言うが、まんざらでもないように思う。
――覚えていないだけで、感覚が覚えている――
まさしく前世からのつながりとでも思わないと理解できないとことがある。
「橋爪さんを見ていると、ママを見ているような錯覚に陥ることがあるんですよ。同じような性格で、くせなんかも似ているように思うんです。だから、橋爪さんの中にママがいるような気がするんです」
冴子に言われて三木も頷いている。なるほど、確かに性格は似ているように思うが、そこまでとは橋爪自身感じなかった。いつも心のどこかで何かがこだわっているように思う性格は、かすみママにも感じる。
一度かすみママに言われたことがあった。
「二人は恋人同士よりも恋人っぽいかも知れないわね」
「どういうことだい?」
「そばにいてもいなくても同じ感覚でいられそうなの。違和感がないのかも知れないわ」
「まるで石ころのように?」
「ええ、石ころって皆が見ているのに、それほど気にしないでしょう? あってもなくても誰も気にならない。自然にそこにあるって感じなのかしら」
かすみのいうことも分かるような気がする。ひょっとして、お互いが入れ替わっても、まわりの誰も気付かないかも知れない。男女という肉体的、生理的なものより、考え方が似ているところが優先しそうな不思議な関係である。
橋爪は以前から面白い考えを持っていた。
――人の性格というのは、生まれた時から授かったもので、成長とともに育成されていく部分よりも、最初から決まっているものである。それが誰の身体に宿るかということは、それこそ「神のみぞ知る」と言ったところだろう――
誰にも話したことはないが、かすみママならきっと同調してくれるに違いない。ママと二人きりになって、さっきまで四人で話していたことを思い出していた。
その日珍しく皆饒舌だった。それまで感じていたが喋っていなかったことを、思い切って喋っていた。それが三すくみの話だったりするのだ。そんな中で話題になったのは、橋爪とかすみママのことだった。
今までにも話題にはなっていたが、橋爪の考えているのは、どうしてもずっと一緒にいる三木のことである。仕事仲間というだけではない何かが存在している。友情というものに近いのではないだろうか。学生の頃の夢多き頃を思い出すに十分である。かすみとのことは、いつも通りに実に自然な関係で、一人でいる時には思い出すが、そうでない時は、まず頭の中には三木がいる。
かすみのことを思い出さないのは、まるで一心同体のような気持ちでいるからだと考えるのは無理があるだろうか。男女という枠を超えている関係があってもいいものだ。
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次