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短編集87(過去作品)

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 確かに想像だけでは怖がることはなかった。だが本当に蔵に写った犬の影にだけは恐怖心からか、手の平や背中に薄っすらと汗を掻いていて、身体中がワナワナ震えていたように思う。ハッキリとした記憶は覚えていないが、それも恐怖心の成せる業か、思い出そうとすると、気持ちの奥にベールが張られたように薄っすらとしか思い出せない。
 影が怖いのは、実物よりも大きく映し出されるからで、しかも真っ暗な中の蔵の壁というシルエットは、これ以上の気持ち悪さを感じさせるものではないように思える。
 大きなシルエットに怯えるのは、何かの深層心理をくすぐるからではないだろうか。特に小さい頃見た記憶というのは、そのまま封印され、その人にとってのトラウマを心の中に植え付けてしまう。
 トラウマという言葉、最近橋爪は気になっている。
――影に怯えるのはトラウマなんだ――
 袋小路が怖いのではなく、角を曲がるにつれて暗くなっていく中で大きくなる影、それに怯えを感じる。きっと錯覚だと思いながら、錯覚から逃れられないという言い知れぬ不安が橋爪をトラウマの中に閉じ込めてしまうのだ。
――普段は何にでも強いと思っているのに、たった一つ、どうしても乗り越えられないものがある。もし三すくみに当て嵌めるとしたら――
 と、考えている。
 もう二人がどこかに存在しているように思う。そしてもう一人が三木ではないだろうか。三木は橋爪の考えていることに、全幅の信頼を寄せていながら、きっと橋爪が恐怖に感じている影には、恐ろしさなど感じないだろう。となると、彼にもどこか誰にも分からないような弱点があるに違いない。もちろん橋爪はそれを追求しようとは思わないし、追求が愚の骨頂であることは分かりきっていることである。
 三木は今、会社を大きくすることに一生懸命になっている。確かに新しい事業に手を出すことは恐ろしいことだと分かっているので、現状の中で少しでも大きくできることがあればと日夜考えているのであった。
 しかし、それこそ袋小路、いろいろ考えても最初の考えに戻ってしまう。
――第一印象が大切なのかな――
 という最終的な結論になるのだが、一度それを実行してみたことがあった。
 意外とうまいこと行くもので、最初に期待していた結果よりもかなりな成果が上がったのにはビックリだった。いくら第一印象とはいえ、それなりにシュミレーションを重ね、期待できる最低限の数字をはじき出した上での計画実行だった。その数字よりもはるかに上を行ったのである。立案者としてこれほど冥利に尽きることはないというものだ。
 社長である橋爪も大喜びである。最初からあまり期待できるものではないと思っていたのは、三木の様子を見ていればよく分かる。橋爪という男は、相手の心を読むことにはかなり長けていて、そこが社長業として立派にやっていけるところだ。そこに惚れこんだのが、他ならぬ三木だったのだ。
――この人について行こう。この人を盛り立てることが、自分を最大限に生かせるのだ――
 三木は自分が野心家なのかどうなのか、いまだに分からない。いつかは社長になりたいという気持ちが心の底にないとは限らないが、
――自分はナンバーツーだから実力が出せるのだ。別にその地位に甘んじているわけではない――
 と今の自分に確固たる自信を持つことを信条としている。
 今までに三木はいくつかの計画を立て、そのほとんどを無難に成功させてきた。そのほとんどの計画に無理なところはなく、実にスムーズなものだった。企画書を確認する橋爪をして、
「なかなかスマートだね。君のイメージとは少し違うようだ」
 と言って笑っていた。それだけ余裕がある計画なのだが、橋爪のいうイメージとは体格のことだ。
 三木は背が低く、少しずんぐりしている。当然スマートというには程遠いが、それだけに愛嬌を感じさせる。
 見た目で損をする人、得をする人いろいろいるだろうが、仕事に関していえば、得をするタイプに違いない。
 まず腰が低く見える。これは営業においては絶対的である。実際に腰が低いのだから、何倍にも相手を信頼させるに違いない。
 そして次に喋り方がある程度ゆったりである。ゆったりであって、ゆっくりではない。そこには懐の深さを窺わせ、相手に余裕があるように見せるには実に都合がいい。
 三木にとっての、営業スタイルは小さい頃から培ってきた性格から形成されているようだ。何事も吸収することに長けていた子供の頃、その頃に感じたことをそのまま実践するというのはなかなか難しいことである。しかし三木にはその才能があるのだ。それが今の彼の地位を不動のものにしている。
 彼の父もある程度までは出世していた。家庭も裕福で、ほとんど不自由することなく暮らしてきたが、もし三木の中に不安があるとすれば、ハングリー精神がないことではないだろうか。
 橋爪は性格的に、自分が感じて嫌なことは相手に対してもできないという思いが強い。それだけ優しいところを持っているのだろうが、だからこそ、参謀として第一線を指揮できる人が必要なのだ。しかし、三木にはそんな感情が薄い、感覚が麻痺しているというべきだろうか。それがハングリー精神を知らないところで、いいところなのか悪いところなのか、本人には分からない。
――名参謀としての実力は誰にも負けない――
 という事実だけが、しっかりと表に出ているのは間違いない。
 ハングリー精神のないことが三木を苦しめるということはなかった。少しだけ本人の中に危惧として残っていたが、それも他の人に見えるところではない。
――確固とした信念の中で行動している――
 まるで鬼のようなところもあるが、信念が一本通っているから、敵も多いかも知れないが、味方も多い。それだけ人脈の層は厚い。
 橋爪が全幅の信頼を寄せるのも当たり前で、橋爪と会っていなくとも、誰かの参謀になっているのだろうが、今のような成功を収められるかどうか分からない。きっと、ある程度まではいけるだろうが、ここまでにはなれないだろうことを二人とも分かっているに違いない。
 三木は今、二匹目のドジョウに迷っている。事業拡大には慎重なのだが、見るからに手を染めるに値する事業が見えてきた。
 人生にはいくつかの分岐点があり、選択を迫られる。今までどのようにして選択をこなしてきたのか、三木に間違いはなかった。分岐点を分岐点とも思わないほどに堅実な性格が幸いしてきたのだろう。緻密な計算の元に、本来であれば大冒険になりそうなことも、うまく乗り切ってきた。その一番の理解者が他ならぬ橋爪である。
 三木にとって橋爪は、表に出す価値があるだけの存在ではない。代表にふさわしいオーラとともに、強運の持ち主でもあるのだ。一緒にいるだけで間違いがないと思い込むことができるほどのオーラを、今までに散々浴びてきた。
 分岐点を間違いないと思えるほどの安心がほしい。橋爪といるだけで感じられるというのは、自分の見る目が素晴らしいことを意味している。
 今回の「ドジョウ」は、三木だけの判断ではうまくいかないかも知れない。何とか事実に基づくデータで、橋爪はもちろん、自分を納得させられなければできる事業ではないのだ。
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次