短編集87(過去作品)
しかしそれでも昨今、ベンチャー企業は傾く会社が多い。いくら経費を節減しても今のような世の中では体力のない会社は続かない。イワオコーポレーションが生き残ってこれたのは、何かうまい抜け道ああったからに違いない。それについてはどこからも分からない。うまく三木がブロックしているのだろう。ある意味、それが外部に漏れると、さすがに危なくなってしまうかも知れない。三木の気の遣いようは半端ではない。
社長の橋爪にとって、政治家は皆敵のようなものだ。気をつけないとやつらの出世の道具に使われてしまう。粋がって
「それならこっちが利用してやろう」
などと考えたら、却ってまずい。ここで下手に動くことは自分で自分の首を絞めるようなものだ。大人しく静観しているに限るのだ。要するに相手が悪いということだろう。
何しろ国家権力という全体を見渡すことができないほど大きなものに喧嘩を売るわけにはいかない。それは二人とも重々分かっていることだ。
そういう意味での人脈は深い。ほとんど参謀である三木が水面下で動いたものだが、相手を選んでくるのは、橋爪だった。先見の明に関してはさすがに社長を思わせるところがある。
「さすが社長、競馬で鍛えただけのことはありますね」
真面目な三木としては精一杯のジョークだろう。あまり面白くないのに、思い切り笑う橋爪も、それだけ普段気を張っている証拠なのかも知れない。
競馬場では、あまり話をする二人ではなかったが、競馬場を出てから呑みに行くと、経営についての話に花が咲いていた。
喋っているのは主に橋爪で、三木は黙って聞いているが、話が途切れたり休憩すると、一言二言話をする三木の言葉が重々しい。
「目からウロコが落ちるとはこのことだよ」
と、橋爪も一目置くようになっていった。
イワオコーポレーションは、どちらかというと堅実な経営で、あまり事業を拡大することはなかった。
「まだ時期尚早だからね」
社長の言葉に三木も、
「そうですね。まずは地道に行かないと、体力がなくなりますからね」
要するに、息切れを心配しているのだ。
同じ業種に、手広く事業を展開し、「時代の異端児」と呼ばれている社長もいる。テレビには引っ張りだこ、見ない日はなかった。マスコミも踊らされたかのように彼を追う。一般市民は好奇に溢れた目で楽しんで見ている。冷静に考えると、馬鹿げて見えるほどである。
「マスコミを極端に恐れる社長がいるかと思えば、マスコミを手玉に取る社長もいるんですね。どちらがいいとは言えないですね」
三木が言った。
橋爪はそのどちらでもない。うまくマスコミを利用しようと裏で画策するのは、三木の役目だ。橋爪が裏に回って、自らの手を染めることはない。
人には向き不向きがあるというが、三木という男はどうなのだろう。トップになりたいという野心がないからうまく行っているが、もし野心を持てば、今の手腕を生かすことができるか疑問である。ナンバーツーだからこそ、できる立場というのもあるのではなかろうか。
かといって、危ない道を歩んでいるわけではない。当たり前のことを当たり前に、そして、少し目線を変えただけで、うまく運んでいくこともある。運がいいというのは、その人の持って生まれたもので、天性のようなものだ。大いに誇ってもいいのではないかと三木は考えていた。
コツコツと積み重ねてきたものをライバル会社が狙っていることもあった。会社としての抗争には負けたことがないので、今までは事なきを得てきたが、法律も厳しくなり、なかなかうまくいかないことも出てくる。これからを考えると先行きが不安にならないでもなかった。
そんな時にかすみママの顔を見ると落ち着く。
「私は強壮剤なの?」
と笑っていたが、まさしくその通り、顔を見ているだけで落ち着いてくる人というのはいるもので、人それぞれ違うはずなのに、二人にとっての癒しは、かすみママに他ならない。
和服を着ても似合うママは、時々和服を着てくる。店でも「和服デー」を設け、女の子に和服を着させることもあったが、スナック「しらさぎ」という店自体が、和風にも見えるところが特徴であった。
「和服って、身体が開放されているようなんだけど、どこかシックリとくるのよ。ちょうどいい具合に身体にフィットするものなのね」
かすみママは、ことのほか和服がお気に入りである。
「ママは似合うから言うけど、私たちはそうも行かないわよ」
女の子たちもそれなりに綺麗なのだが、ママの美しさが桁違いに見えるのか、どうしても皮肉が出てしまう。
「あなたたちも素敵な個性があるんだから、しっかり磨きなさい」
個性という言葉を人によっては皮肉に取るだろう。しかし、橋爪の目から見ると皮肉ではなく、本心から言っているように思う。確かに個性豊かな表情には、それぞれその娘独特の煌びやかさがある。
かすみママは橋爪のお気に入りなので、三木は憧れだけにしている。三木にとっては、ママから比べればさすがに美しさでは叶わないが、それ以外の面ではママに勝るとも劣らないと思っている冴子がお気に入りである。
何がいいと言って知性を感じるのだ。話をしていても、大抵の話にはついてくる。学校で習う知識というよりは、卒業してから雑学の本などを読んだのではないだろうか。とにかく何でも知っている。
「私は何にでも興味を示しますから、興味を示せば理解しないと気がすまない。そんな性格が幸いしてか、結構本を読んで人と話を合わせることができるようになったんですよ」
冴子は他の店に行けば、ママをできるくらいにしっかりしたところがある。独立しなくとも雇われママくらいにはなれるだろう。
「私は、かすみママに憧れて、ずっと同じ店で働いていたんだけど、ママからお誘いを受けた時は嬉しかったわ」
要するに引き抜かれたのだ。もちろん、店に来たのは冴子の意思、そこに金銭的な契約が絡むわけだが、金銭は二の次だった。金銭というよりも、ママの人間性と、判断力の素晴らしさに惚れているといっても過言ではない。
冴子にとって三木は、まるで父親のような存在だった。普段は気を張っているのだが、三木の前に出ると、虚勢を張っているのが辛くなる。それほど一旦緊張していた糸が切れたようになれば、しっかりした男性に抱かれたいという気持ちになるのも当たり前というもの、三木の中に父親を見ることが、抱かれたような飽和な気分になるのだ。
あまり身体の大きくない三木だが、冴子の目にはかなり大きく見えている。自分でも錯覚だと思っているはずなのに、不思議なものだ。
橋爪が三木に惚れこんだのも、小さい身体が大きく見える瞬間があるからだ。錯覚だと分かっているにもかかわらず、自らが納得するなどということは今までにはなかった。
何かのセリフが心を揺れ動かして彼を大きく見せるのだろう。ハッとする瞬間を感じるが、その時に彼が大きく見えている。今まで人に対して怖いと感じたことはあまりなかったが、三木に対してだけは、怖さを感じている。それだけに一緒いて全幅の信頼を寄せていても、心の底から信頼しきっているわけではない。
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次