短編集87(過去作品)
晴れ舞台
晴れ舞台
橋爪巌は、最近事業に成功し、今度は新しい事業を起こそうと目論んでいた。
有名大学を卒業し、大手電器メーカーに就職したが、三十前に独立、いわゆるベンチャー企業に名乗りを上げたのだ。
同じように独立してもまわりがうまくいかない中、巌の会社である、「イワオコーポレーション」は着々と実績を上げていった。一緒に独立した参謀がとても優秀で、あまり目立ったことはしなかったが、着実なやり方が功を奏したようだ。そろそろ四十歳になろうかとしている橋爪は、今、一番油の乗った時期なのかも知れない。
ここまで結婚もせず、一心不乱で仕事をしてきた。しかし、女に不自由しているわけではない。行きつけのスナックを持っていて、そこのママのパトロンとして君臨していた。これも業界では有名な話なのだが、それ以外に浮いた話が出てこないのが、橋爪の特徴である。要するにスナックのママのパトロンは、彼にとっての憩いであり、癒しの場でもあった。
――お金の使い方さえ間違えなければ、別にケチというわけではない――
これが橋爪の考え方である。同じベンチャー企業の社長の中には、自分の資産だからといって、湯水のようにお金を使う人がいるが、彼にそんなマネはできない。元々倹約家だからこそ、ベンチャー企業を立ち上げようと思ったのだ。大手企業を飛び出して独立するなど、まだ二十代だった若者にとっては一大決心であって、特に石橋を叩いて渡るという性格である橋爪にとって、人生のほとんどが集約されていると言っても過言ではないだろう。
ママの名前は、かすみという。年齢的にはまだ三十代前半で、見方によっては四十過ぎにも見える。落ち着いているという意味で、橋爪が最初に気に入ったのも、見た目から入ったからだ。
橋爪は学生の頃からそうだった。見た目だけで判断することはなかったが、まず相手の表情を観察して性格を判断、それで相手と話してみて、自分の感じた性格と比較し、その通りであればそこで初めて好きになる。
――自分に自信がないとできないことだな――
橋爪はいつもそう思っている。そして、その考えは間違いではなかった。大体において相手の女性は橋爪のそんな鋭いところを好きになる。お互いに相思相愛が多かったのはそのためだ。
だが、元々野心家でもある橋爪は、学生の頃から独立を夢見ていた。独立をするためには女性を断たなければいけないと思っていたので、結婚はもちろん、長い交際は最初から考えていなかった。付き合っている女性も、そのことは分かっていたようで、諦めのいい人ばかりだった。
それだけに人を見る目に間違いないと自分でも思い込んでいた。
参謀になった男、三木というのだが、彼も橋爪の考えに同調した一人である。三木自身それほどの野心家ではなく、いつも自分はナンバーツーであることを自覚しているので、橋爪にとって、これほどのパートナーはいない。何しろ尊敬する人が前田利家と、土方歳三というだけに、これほどの参謀はいないだろう。
汚れ役も率先してやってくれた。しかしそれももちろん影で動くのであって、二人が表に出ることはない。そのあたりが策士としての素晴らしい手腕なのだろうが、それを自分のためだけに使ってくれていると思うと、何とかして彼に報いたいと思うのも人情というもの、それがお互いの絆の深さにつながり、ひいては会社の発展に繋がるのだった。
スポンサーを見つけてくるのも素早かった。立ち上げて十年が経ったが、ここまで経営が危なかったことも何度かあった。そのたびに三木が素晴らしいスポンサーを見つけてきては会社を守り立ててくれた。
「社長、今度も何とか乗り切りましたね」
「ああ、君のおかげだよ。君がいなかったら、この会社はとっくに倒産していただろうね」
と、今でこそ笑いながら話せるが、最初の頃に危なかった頃は、そうも言っていられなかった。
「あの頃が夢のようですね」
二人でかすみママの店である、スナック「しらさぎ」でグラスを傾けていた。
この店は和風が基本の造りで、ところどころに洋風建築が施されているような店で、二人とも店の佇まいも好きだった。
「この店は本当に落ち着けますね」
まさしく三木の言うとおりだ。客は適当にいるのだが、皆静かに呑んでいて、下品な客など一人もおらず、ママを目的に来る客もいるが、橋爪の息が掛かっていることを知っている連中ばかりなので、橋爪と昵懇にしている客ばかりだった。
それが、橋爪の会社にとっても都合のいいことはいうまでもない。直接取引のある会社の社長が客にいることもあり、店ではビジネスの話なしに、親交を深めることができるのだ。それがありがたかった。
もちろん、そのつもりでこの店を紹介している。それも三木の考えで、見事にその考えが功を奏している。
「三木あっての橋爪」
と言われているが、お互いの関係が言葉で言い表せないような関係で結ばれていることを、どれだけの人が知っているだろう。疑問に思うところである。
三木が橋爪と出会ったのは偶然だった。前の会社で一緒だったわけではない。取引先でもなかったし、この話をすると誰もが不思議に思うだろう。
三木と橋爪は同じ趣味があった。今でこそ二人ともやらないが、一時期競馬にのめり込んでいた。競馬場で何度か顔を合わせるようになると、一緒に酒を酌み交わすようになった。
しかし、それにしてもあれだけたくさんの観衆がいるのに、よくいつも会うものだ。そこが二人の感性が引き合うところで、見る位置を決めている二人にとって、同じところで会うのは当たり前のことなのだ。示し合わせるわけでもないが、同じところにこだわりを持っていれば自然といつも一緒になるというものである。
社長である橋爪の方が、実は年は下で、四つ違う。四十歳を過ぎればあまり気にならないだろうが、若い頃はさすがに橋爪にも遠慮があった。
「社長、あなたはどっしりとしていればいいんです。私がすべて現場のことは始末しますから」
という三木の言葉に、会社発足当時の不安を、どれだけ助けられたものだろう。
「三木さん、あなたには本当に感謝します」
たまに言葉で確認するくらいで、ほとんど二人の関係については言及しない。それがうまく会社を経営していく上で大切なことだ。
かすみママも、最初は三木が年上なのを知らなかった。だが、
「でも、三木さんは生まれついての参謀なんでしょうね。ある意味、一番尊敬に値する人なのかも知れないわ」
おだてというよりも尊敬のまなざしにしか見えないママの視線に、ドキッとさせられた三木だった。
本当に最初の頃に比べれば、落ち着いた経営というのがどれほど素晴らしいことか、思い知らされた。社員がそれほどいるわけではないのは、情報を商売にしていることで、人件費を削減できたのが最大の成功の元だったのだろう。
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次