短編集87(過去作品)
鏡の向こう側に、鏡の目の前で見ている人の顔が写っている。鏡の目の前からの目線であれば、後ろから当たる光のせいで顔を確認できないが、後ろからの目線であれば、前に座っている人の表情を鏡を介してみることができる。
そこに写っているのは、悟であった。彼も同じように後ろにいる人を気にしているが、誰なのか分からないので、少し胡散臭そうな表情をしている。しかし、恵子自身も同じような表情をしていたように思え、そう感じると奇抜な発想も、それほど不思議には感じなくなっていた。
――彼と夢を共有しているんだわ――
そう感じると悟が何を考えているか知りたくなった。
悟をじっと見つめていると今度は正面から見ているような錯覚に陥る。後ろから鏡を介しているのと、正面から見ているのとではまったく違う背景のはずなのだが、見れば見るほど同じにしか感じない。
――長所と短所が紙一重――
ずっとそう感じてきたが悟は、
「裏返し」だと言った。まず最初に浮かんできたのが鏡の世界であり、鏡の世界を思い浮かべると、鏡を見ている時の夢を思い出した。夢と鏡の世界。それはどこかで密接に繋がっているように思えてならない。
きっと今見ている光景を悟も見ていることだろう。どうして、悟とだけ夢を共有できるのか分からないが、悟を見ていると小学生の時の担任が思い出されてくるのだ。
担任の先生の夢も見たことがあるが、どんなシチュエーションだったか覚えていない。先生もきっと同じように自分の夢を見ていたのかも知れないと思うが、ハッキリと分からない。
今まで恵子はおだてられて気を張って生きてきたところがあった。おだてられて実力を出すことが悪いことだと感じていない悟と気持ちが通じあうのも当たり前のことなのかも知れない。
鏡の中の悟は恵子に自分の母親を見ている。そのことを恵子は知らないが、母親に対して抱いていた少なからずの疑惑を恵子が晴らしてくれているように思えるからだ。
悟には恵子が聖人君子のように見えるのは鏡の中で会っているからだということが分かっているのかも知れない。しかし、恵子が悟を聖人君子のように見えているのが、鏡の世界を通して見ているからであることを今だ気付いていない。
最近、恵子は人が信じられなくなりかかっている。鏡の世界の中にある遠近感と、明暗が現実の世界との架け橋であることに気付くことが、人を信じるために必要であることを理解する早道である。それを教えてくれるのが鏡の中の悟なのだ。
長所と短所、それは、鏡の中の二人の距離に比例しているのかも知れない……。
( 完 )
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次