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短編集87(過去作品)

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 先生の考えはいつでもプラス思考だった。マイナス部分も何とかしてプラス思考に転じさせる考えを持っているので、
――長所と短所は紙一重――
 という考えに至るのだろう。
「先生、私の長所と短所ってどういうところなのですか?」
 恵子はその話を聞いた放課後、職員室に向かい、先生に聞いてみた。どうしてもその日のうちに聞いてみたかったのは、話を聞いてから言葉の意味を考えるうちに、次第に言葉の意味が自分にとって大きくなっていったからである。
「私の話に興味を持ってくれたんだね? それは嬉しいことだ」
 といって、ニコニコしていた。その表情にはどこまでも続く余裕を感じ、こちらも安心できるというものだ。
「先生の言葉がどうしても気になっちゃって、私にも言えることなんでしょうか?」
「それは、皆に言えることだよ。でもそれに気付くのは、本当は自分じゃないといけないと思っているんだよ。でも、まさか誰かがそれを聞きにくるとは思っていなかったけどね」
「いけませんか?」
「いやいや、先生の話を聞いていろいろ考えてくれたのは嬉しいことだよ。なかなか、自分では気付かないことだけに、どちらかなんだよね」
「どちらか?」
「ああ、気になって仕方がないか、あるいは、すぐに忘れてしまうかだろうね。君のように気になるのは、きっと潜在意識の中で、先生の話に共感できるものがあったからじゃないかな?」
「そうかも知れません。長所も短所も少しずつ分かっているつもりなんですが、それが紙一重というのが、どうも分からなくて」
「でも、そこまで分かっているならあまり気にすることはないかも? でも、逆に気になるのかな?」
「ええ、そうですね。だから聞きに来たんですよ。どちらかというと短所が気になっちゃって」
「短所は気にすることないんだよ。まだ小学生だからね。人によっては、短所は今のうちに治しておくべきだっていうけど、先生はそこまで思わないんだよ」
「どうしてですか?」
「だから、長所と短所は紙一重って言ったんだよ。短所を治そうとすると、却って長所の成長を妨げることになりかねない」
 先生の話も次第に分かってきた。
 長所を少し分かっているつもりなので、
――短所は案外すぐに見つかるかも――
 と考えたが、灯台下暗し、却って見えないかも知れないとも思う。
「じゃあ、君は自分の短所を何だと思っているのかな?」
「そうですね。あまり人のことを気にしないタイプなので、自分勝手なところじゃないかと思っています」
 先生は一、二度頷いた。
「先生は、君がそう言うだろうと思っていたよ。そうだね、確かに人のことをあまり考えていないと自分勝手だと思うだろうね」
「はい、そうなんです。だから、皆から自分勝手だと思われていると思うと、どうしても遠慮がちになるんですよ」
「自分勝手だと思っていても、それをどうしようもできないんだろう?」
「そうなんですよ、何とかしてほしいくらいです」
 恵子が訴えるような目を見せると先生は、
「どうしようもないから短所だと思う。それは仕方がないことなんだよね。でもね、少し見方を変えてごらん。自分でも分からないことが短所だということを認識しているから、長所が見えてこないんじゃないかな?」
「それをすぐそばにあるものだって、先生はどうして分かるんですか?」
「今君は、自分勝手だって言っただろう? 先生は君を自分勝手な人だというイメージよりも、個性的な人だってイメージの方が強いんだよ。人によっては自分勝手だという風に見えるかも知れない。でも違う人には個性に見える。それは、すぐそばにあって、見ているところが少しだけ違うだけだと思うんだ」
 先生の話を聞いていると、前から意識していたことを思い出したような感覚に陥った。今初めて気付いたのではなく、ただ忘れていたという感覚。こんな感覚はその時が初めてではなかった。
 先生の話を聞いていると、前にも意識したことのあることばかりだと思ったのは、心の中で潜在的に意識していたからだろうか。そう思うと、先生が急に近い存在に思えてくるのだった。
 心地よい気持ちが睡魔を襲う。まるで夢の中で話をしているような錯覚に陥るが、その気持ちを思い出させてくれたのが、他ならぬ悟だった。悟と話している時に、先生の話を思い出したのであって、今、悟と話しているのを思い出した。あの時には、先生と話していて、気がつけば眠っていたように思う。
「長所は短所の裏返しなんだよ」
 と言われた時に、ハッとしてビックリしたものだ。
「裏返し? 紙一重って聞いたわよ」
 と言うと、
「紙一重とも同じような感覚だね。裏返しだって、すぐ後ろじゃないか」
「そうなんだけど、一番近いようで遠いもののように感じるのよ。だって、裏返しだったら、表からは絶対に見えないものっていう感覚があるもの」
 恵子の考え方は次元を超越していた。
「すぐ後ろにあるものが急に割れて、そこから違う次元に入り込むという発想もあるよね。普段はまったく見えるはずもないのに、ある時に急に見えたりする。そんな不思議な経験をしたって話を聞いたこともある」
「でも、裏返しの世界っていうと、何だか鏡の世界のような気がするの。すべてが反対の世界でしょう?」
「そうだね。鏡を見ていると光の力を感じることもある。光がなければ何もみえないということを感じるんだ」
「どうして?」
「鏡に写っている向こう側の世界が、こちらの世界にくらべて明らかに暗く感じるんだ。全体的になんだけど、でも、すべてがそうじゃないんだ。暗いところもあれば明るいところもある。どうも、影が影響しているように感じるんだけど、感じた次の瞬間にはまったく違う感覚になったりしているので、一概には言えないところなんだ」
「鏡の世界って、何となく不思議ですよね。向こうがやたらと遠く感じることもあれば、すぐそばに見えることもある。どうしてなんでしょう?」
「どうしてなのかな? でも、何か精神的なところで共通点はあるんだろうね。それとも鏡の世界を覗いている人が他にもいるんじゃないかって気持ちになる時があるんだけど、そんな時に感じる思いと関係があるようにも思えるんだ」
 鏡の世界を思い出していると、鏡を時々覗いていた頃のことを思い出す恵子だった。
 ニキビやそばかすが気になる年頃は、他の女の子と同様、鏡を見ることが多かった。まったく同じ表情をしている自分に向って思わず睨んでみたり、微笑んでみたり、思い出しただけでもおかしくなりそうだ。誰かが見ていればこれほど滑稽な姿もないだろう。
 悟は鏡を見る時、自分の顔だけを見ているわけではない。自分の後ろに写っているものがどんなものかを見ている。
 自分の顔というのは、鏡を介してでないと見ることができない。それは当たり前のことである。だから、時々自分の顔を見ておかないと、自分が考えているような表情をしているかどうか不安になる。悟はというと、化粧をするわけではないので、ほとんど鏡を見ることはなかった。
――いつ頃から見るようになったのだろう――
 ごく最近でないことは間違いない。
作品名:短編集87(過去作品) 作家名:森本晃次