加害者のない事件
「うちはお店を離れてからお客さんとプライベートで仲良くなることを禁止しているわけではありませんでしたので、気軽にお食事も付き合えたんです。その時の彼はドギマギとしていて、少し可愛い感じがしました。聞いてみると、どうやら、今まで女性とお付き合いしたことはないと言っていました」
と言って、今度はイラっとした表情になった。
――激情的なところがあるわけだ。結構顔に出やすいタイプなんだな――
と、門倉刑事は思った。
言葉の裏を読むと、彼女の表情から、安川が女性と付き合ったことはないと言った言葉はウソだったということになるだろう。もちろん、確証があるわけではないが、刑事の勘がそう教えるのだ。
「安川さんというのは、どうやら純情だったようですね」
とカマを掛けると、
「そうでしょうかね」
と言って、今度は露骨に表情が変わった。
――やはり、安川は言葉と実際では違う男のようだ――
と感じた。
ただ、思い込みは禁物だった。彼がウソをつくのは相手がスナックの女だという思いがあってのことなのかも知れない。もしそうであれば、人間というものを舐めているというのか、相手の立場と自分の立場を絶えず比較して話をしているという軽薄で無知な人間に思えてくるからだ。
まだ安川という男に遭っていないので何とも言えないが、安川がどういう男なのかという予備知識程度に思っておけばいいだろう。参考程度にはなったかも知れない。すでに落ち着いてきている里村瑞穂であるだけに、信憑性はあるような気がしてきた。
「君は安川という男と話が合ったということだけど、被害者である深溝とよく話をしていた女の子は何というのかね?」
「お店での名前になりますが、つばさちゃんと言います。彼女も深溝さんとは結構話が合っていたようで、彼女は今までにこんなに話が合う人も珍しいなんて言ってましたよ」
「じゃあ、それぞれのペアで結構話が合ったりしていたんだね?」
「そういうことになります。以心伝心というんですか? いわゆる阿吽の呼吸だったような気がします」
これであれば、別にトラブルが発生するわけはないのだが、実際に瑞穂は深溝を殺したと言って自首してきた。
それも相手が自分のペアであれば理屈も分かる気がするのだが、ペアではない相手ということで、どこまでの仲だったのか気になるところである。門倉刑事は、
――これは単純な男女間のもつれというわけではなさそうだな――
と感じた。
三角関係、いや、四角関係のようなものが四人の間にあれば、まだこれは序曲に過ぎないのではないかと余計な詮索をしてしまうのは、刑事としての悪い癖であろうか。
「ところで君はなぜ、殺人なんかしようと思ったんだい?」
と、門倉刑事は急に話を変えた。
しかも、誰を殺そうかと思ったのかということではなく、殺人ということに考えが至ったことが知りたいようだった。きっとこちらの方が相手が話しやすいと思ったのか、まずは漠然とした聞き方をしたのだ。
「人を殺すって、一度思い込めば結構考えるのは早かったんですよ。私だって本当はこんなことはしたくない。でもしないわけにはいかないと思ったら、なるべくなら早く終わらせたいと思うんです。もちろん、最初から自首しようなんて思ってはいません。逃げられるものなら逃げたいと思うのは人間の心理ですからね。。でも私は最初に殺したいという思いが強ければ強いほど、やってしまった後に、『自首しないといけない』と思ったんです。これは後悔とかいう問題ではなく、自分なりにけりをつけたいという感情でしょうか? 自分でもよく分かりません。どうして自首しようと思ったのか……」
と言って、うな垂れた瑞穂だったが、言葉には説得力があり、威圧感さえ感じられた。
「潔い考えだと思いますが、我々としては、行動を起こす前に、そう思ってほしかった。あなたが今言ったように、後悔がなかったということでしたら、それは難しいことだったのかも知れませんが」
という門倉刑事の言葉を聞いて、まっすぐその視線を話している門倉刑事に向けた。
――これが彼女の本当の姿なのかも知れない――
最初は泣き崩れるようにして自首してきたが、落ち着くと淡々と話し始める。
まるで他人事のようにさえ聞こえてきて、ムッとしたくらいだった。
だが、彼女が冷静に話してくれる方が、その本心が聞けると思った。彼女の話は理路整然としていて、別に怪しいところも矛盾したところもない。ただ、知っていることをすべて話してくれているという保証はない。むしろ、肝心な部分は押し黙っていそうな気がする。
彼女が肝心な部分を口にしてくれるとすれば、その時はすでに事件が解決している時ではないかと思うほどで、下手をすれば、彼女は真実を墓場まで持っていく気なのかも知れない。
「では、その日のあなたの行動を伺いましょうか?」
と、門倉はだんだん具体的なところに話を持って行った。
「あの日、私は深溝さんから呼び出されたんです。安川さんのことで相談したいことがあるからってですね」
と瑞穂がいうと、
「えっ? あなたが呼び出したんじゃないんですか?」
この殺人未遂は最初から計画されたものだと思っていた門倉刑事は、てっきり呼び出したのは瑞穂に間違いないと思っていたのだ。
「いいえ、私が呼び出されたんです。ただ、早朝のことで、しかも場所が彼の大学の構内だということだったので、少し不安はありました」
「どんなお話をされると思いましたか?」
「さあ、私には分かりません。ただ安川さんのことでということだったので、出向いていきました」
「あなたは安川さんのこととなると、少々危険に感じても、出かけて行かれるということでしょうか?」
「いつもではないと思いますが、深溝さんのご様子が少し変だったように思えて、何か呂律も回っていないし、お酒に酔って連絡をしてきたんだって思いました。待ち合わせをするにしても、どうしてそんなところなのか、不安に感じるのも当然ではないでしょうか?」
そう言って、また顔を赤らめた。
――里村瑞穂と安川は恋人同士なのかも知れない? では深溝とつばさという女性はどうなんだろう? この会話の中にまだつばさという女性が入ってきていないので、たぶん、事件の核心を掴んでいないはずだ――
と思った。
しかしそれはあくまでも、瑞穂が深溝を殺そうと思ったのは、今登場しているこの四人がそれぞれの演じている役をこなしてのことだろう。そうなると、さっき考えた、三角関係、四角関係などが明るみに出てくることも近いはずだった。
それに関しては、深溝の線から捜査が行われているので、そちらの方からも情報がもたらされるであろう。何といっても、今は一人の女性を目の前に事情を聴いているわけで、その人の主観が入ってしまうと、間違った方向に考えが向いてしまうことを懸念していた。
本当はこうやって犯人と思しき人が、
「自分でやりました」
と自首してきているわけだから、その通りにしてあげれば、事件も解決する。