加害者のない事件
鎌倉がやたら一人にこだわるので、瑞穂の方も、意地になっているのかも知れない。
瑞穂の表情を見ていると、真剣なそのまなざしは前の時と違い、真正面から鎌倉探偵を見つめていた。これは鎌倉探偵に対しての一種の挑戦のようにも見えたならなかった。一緒につばさをともなっていないということで、一人戦闘態勢になっているのかも知れないが、果たしてそれだけであろうか。
瑞穂は鎌倉探偵が読んでいたノートが目に入り、
「事件のことを研究されていたんですか?」
と、さっそく目ざとさを示すように、瑞穂がそのことを指摘した。
「ええ、少し頭の中を整理していました」
と言ってニコニコしていたが、実はこれは瑞穂が目ざといわけではなく、鎌倉探偵がわざとこの話題に振れやすいようにしたのだ。
それは鎌倉探偵が気を遣ったからなのか、それとも何かの誘導なのか、鎌倉探偵のニコニコした表情から読み取ることはできなかった。
「何か、分かったことはございまして?」
「そうですね。いろいろ分かってきたような気がしますね。でも、まだ何か一つパズルのピースが埋まらないというか、それをいろいろと模索していたというところです」
と言って、頭を掻きながら、テレたように言った。
「少しでも分かったことがあれば、お聞かせいただけると嬉しゅうございます」
と瑞穂がいうので、
「そうですね。お話できることはしてみたいですね」
と言って、自分の書いたノートに少し目を落としていた。
そして、少し沈黙が続いたが、最初に口を開いたのはやはり鎌倉探偵であった。
「ところでですね。瑞穂さんは今日、安川君が深溝氏の病院を見舞ったのをご存じでしたか?」
「いいえ、初めて聞きました」
というと、
「そうですか、私は病院の担当医から聞きました。担当医というのが、警察の門倉刑事と昵懇の仲ということだったので、その方から門倉刑事を通して、そのことを聞きました」
と、鎌倉探偵が話したが、瑞穂が言った、
「初めて聞いた」
というのは実はウソだった。
そうでもなければ、今日安川の部屋が留守だということを知ることはなかっただろう。病院の見舞いというと、半日は留守にするはずだ。瑞穂は安川の部屋が留守になるのを実は待っていた。
瑞穂はいきなり鎌倉探偵から、その話を切り出されたので、少なからずビックリしていた。まるで自分の心の奥を覗かれた気がして、少々気持ち悪くなったと言っても過言ではないだろう。
「お友達同士ですから、お見舞いに行かれたんでしょうね」
と瑞穂がいうと、鎌倉探偵はニコニコ笑って、今日、担当医が安川に話したのと同じような内容の話をした。
ただ、ここでは同性愛のことについて言及することはなかった。重要な話なので、最後にはしないといけないだろうが、この事実を瑞穂が知っているのかどうか、分からなかったからだ。
――もし知ったら、かなりショックを受けるに違いない――
と鎌倉探偵は考えた。
なるべく、瑞穂には余計なことでショックを与えたくないと思ったからだったが、瑞穂は自分が鎌倉探偵に、そこまで気を遣ってもらっているなどと、思ってもいなかったようだ。
「それにしても、睡眠薬と一緒に何かを使用していたなんて、何を使っていたんでしょうか?」
先ほどの医者の話から、安川の部屋で見つけたクスリのことが連想され、気になるとどうしようもなくなってきた、
さすがに瑞穂も何も知らないウブな娘というわけではない。個人で注射器などを持っていると、それが何を意味しているものなのか分かるというものだ。
実は瑞穂はスナックに勤め始める前、短大で薬学の勉強をしていたことがあった。卒業してしまってから、難しいことはほとんど忘れてしまったが、少々の理屈くらいなら分かる気がする。
――そういえば、睡眠薬の中には麻薬を中和する力のあるものもあった気がしたわ――
もちろん、中和できるのはすべての麻薬ではなく、特殊な麻薬である。しかも、中和するにはある程度の知識を持っている必要があると聞いていたので、安川にはそういう知り合いがいたのかと、勘ぐってしまった。
瑞穂が安川の部屋にあった注射器を入れていた容器に、「白い粉」と言われるクスリが入っていなかったことに疑問を抱かなかった。もし、その時彼女がそのことを不思議に思っていれば、それが安川の所有物ではないことに気付いただろう。
しかし、彼女は気付かなかった。彼女は結構頭がよく、普通の精神状態で、しかも思い込みなどがなければ、少しはそれが安川の持ち物ではないということに対して考えることができたかも知れない。それができなかったというのが、ある意味彼女が、
「思い込みの強い女性」
ということを示しているのかも知れない。
深溝は、精錬実直な性格にたがわず、用心深い男でもあった。部屋の中の大切なものを隠しておく場所に、すべてを一緒にして置いておくようなヘマはしていない。もし、見つかったのが注射器だけであり、粉が見つからなければ、言い訳はできる。睡眠薬で中和しているので、身体から陽性が出ることもない。またクスリだけが見つかっても同じことだ。
いくら陰性であっても、証拠品が見つかった時、セットで見つかってしまっては、そう簡単に言い逃れはできないだろう。
しかし、証拠品がバラバラになっていれば、いくらでも言い訳ができる。逮捕されたとしても、不起訴になったり、証拠不自由分で釈放もあるからだ。
そんな神経質で用心深い深溝がそれでも薬物に手を出したのは、それだけ安川を失うのが怖かったのではないだろうか。
安川は、両刀だった。最初は暗かった自分を見つけてくれた深溝に対し、友情を深く考えた。その友情を深溝はどう感じていたのだろう? 彼の性格からいくと、少々安川という男が怖かったのではないだろうか。ただ、安川はその時、深溝のように、彼に対しては精錬実直だったのだろう。純粋に親友として彼を敬っていたに違いない。それを感じるとまるで深溝は自分が鏡を見ているような感覚になったに違いない。
そんな自分が何を見ているのか、深溝は分からなかった。ひょっとするとその時に何が見えていたのか、今でも分かっていないだろう。
もし分かっているとすれば、クスリを使ってまで、安川を繋ぎとめておこうなどという狂気に身を投げ出すことはなかったのだ。
だが、今の安川は、
「二人の愛の巣」
となっていた深溝の部屋にあった彼の秘密を持ち出した。
その理由は深溝が法に抵触するような事実を見つけたことで、彼を脅迫しようという、いわゆる犯罪の正攻法を考えていた。
深溝がどんな思いだったのか、あるいは、深溝が自分のためにどれだけ気を遣って、さらに愛情迄ささげたのかを考えていなかった。
そもそも同性居合を持ちかけたのは安川だった。安川がそんなことを深溝に教えなければ、深溝も安川にこんなに執着することもなく、今は普通の生活を送っていたことだろう。それなのに、安川は深溝に飽きると、さっさと瑞穂に乗り換えた。
――やっぱり、オンナがいい――
と、ばかりに、今までいかつい男の身体に慰めモノになっていた自分を正直気持ち悪いと思っていたことだろう。