加害者のない事件
「そういう意味では瑞穂ちゃんも少しおかしな気がするね。彼女は自分が深溝の首を絞めたと言って自首迄したんだよね。それなのに、事件の話をする時にはすっかり落ち着いてしまって、まるで自分が事件の外にいるような話し方になるんだ。我々としては何かを隠そうとするよりもよほどいいので、ありがたいんだけど、どうも安川とは正反対の態度に見えておかしいんだよね」
と鎌倉氏は言った。
「安川と瑞穂って、恋人同士なんですよね?」
といまさらの話を門倉刑事は言った。
「ええ、その通りだよ。僕は瑞穂ちゃんからも、つばさちゃんからも聞いたんだ」
「そういえば、そのつばさちゃんというのは、どういう女の子なんですか?」
と門倉は聞いた。
そもそも瑞穂に対して、鎌倉探偵をとよればいいと助言したのはつばさだったからだ。
「つばさちゃんというのは、僕が前に小説家をしていた時にいっていたスナックのママの娘さんなんだ。だから瑞穂が勤めているスナックのママの娘ということになる」
「じゃあ、鎌倉さんは、瑞穂とも面識はあったんですか?」
「いや、僕がつばさちゃんを知っているのは、店に出るようになってからではなくて、まだ高校生の頃のつばさちゃんを知っていただけなんだ。でも、お店で話をしたことはあったんだよ。カウンターでだったけどね。彼女も君と同じようにミステリーが好きで、よくカウンターで探偵小説の話をしたものだよ。今は彼女一人暮らしをしていて、そこからママの店に通っているんだけど、瑞穂はつばさと同じマンションにいるんだ」
「ほう、探偵小説が好きだというのは僕も楽しみですね。事件が解決したら、三人で探偵小説談義をしてみたいものだ」
そう言って一人楽しそうにしている門倉を、鎌倉も微笑ましく見ていた。
「つばさちゃんがああやって友達を連れてきた時はビックリしたけど、この事件でつばさちゃんは一番遠いところにいるようなので、君の希望はきっと叶うんじゃないかって思うよ」
「それにしても、つばさと瑞穂って、あまり性格的に合わない気がするんですが、仲がいいんですかね?」
「そうだね。そこのところは考えてもいなかったかな? 彼女を連れてきたのはつばさだったし、引っ込み思案なところがある瑞穂をしっかり誘導しているつばさという印象だったかな?」
「そうかも知れませんが、僕はどうも瑞穂という女性があまり性に合わないような気がするんです。思いつめたように自首してきたかと思うと、事件の話をする時はまるで人が違ったようになる。そのくせ、つばさを頼りにしていて、その割には男性の安川を頼りにしている感じがしない。どうも安川と瑞穂が恋人同士というのも、何か違うような気がしてきました」
「言われてみれば、そうかも知れない。元々の話の成り行きで、最初から二人は恋人同士だということで話が進んでいるので、誰も疑いを持たない。それも何か不自然な気もしてくるよね」
と、鎌倉氏の方も、少し考えが変わってきたようで、門倉刑事の話に興味を持つようになった。
元々、門倉が鎌倉探偵の意見を貰いにきた形であったが、話をしているうちに、いつの間にか鎌倉探偵の意見が、門倉刑事の推理、あるいは疑問によって少しずつ変わっているという構図になっていたのだ。
門倉刑事は鎌倉探偵を尊敬しているが、鎌倉探偵の門倉刑事の意見を真摯に聞いている。やはり二人は助手と先生という関係よりも、お互いに対等な関係の方がウマが合っていると言ってもいいだろう。
愛情の形
病院に入院していた被害者である深溝雄一が意識を取り戻したのは、事件があってから三日後のことであった。生死の境を彷徨うほどの重症ではなかったので、そのうちに目を覚ますことは分かっていた。そして警察とすれば、彼の意識が戻ればある程度の話が聞けるのではないかと思い、楽観視しているところがあった。
実際に門倉刑事もそう思っていて、それだけに彼が目を覚ます前に自分がこの謎に少しでも迫ることができればと思い、鎌倉探偵と探偵談義をしてみたりした。だが、実際には分からないところが多く、謎を列記するくらいしかできず。どう事件に対応していいのか、まだ方向性すら経っていなかった。それだけに深溝が意識を取り戻したと聞いた時、
「よかった」
と思う反面、
「残念」
と感じるところもあり、複雑な気分になったのも事実だった。
しかし、大半の捜査陣をガッカリさせたのは、担当医師から、
「深溝さんは意識を取り戻してはいますが、まだ事情聴取は難しいかも知れない」
と言われたことだった。
捜査主任はそれを聞いてビックリし、
「どういうことですか?」
と詰め寄ったのはいうまでもない。何しろ、彼の意識が戻るのを今か今かと待っていたのは捜査主任だったからだ。
「彼は、今回のショックと、たぶんクスリの副作用のようなものがあって、意識がまだ朦朧としています。しかも、どうやら部分的な記憶を喪失しているようで、記憶が欠落していると言ってもいいのではないでしょうか?」
「どこまでは分かるんですか?」
「自分が誰かということは分かっているようです。しかし、ショックのあった事件のことはたぶん、今は覚えていないと思います」
と医者がいうと、
「それはまずいな。それはずっと何でしょうか?」
「そんなには酷いものではないですから、そのうちに思い出すとは思いますが、少なくとも今は安静が必要です。特に彼はどうやら性格的に精錬実直な感じがしますので、こうと思い込んだことは無意識であっても貫こうとします。もし記憶を欠落させるような意識が彼にあったとすれば、その原因になったことを根本的に取り除かないと、彼が自分から意識を取り戻そうとはしないと思います。彼のような記憶が欠落した人の記憶が戻るには、自分で記憶を戻そうとする意識が必要なんです。意志である必要はありません。意識を持つだけでいいんです」
と言っていた。
しかし、その記憶を欠落させた何かが警察では分からない。いや、それが事件の核心に迫る部分として、逆に自分たちが知りたいくらいであった。
「ちょっと彼の病室を覗いてもいいですか?」
と捜査主任が聞くと、
「ええ、結構ですよ。でも今の彼は何をするにも無感動であり、何も考えられる状況ではありません。一見、本当にすべての記憶を失っているのではないかと思うほどですが、それは記憶を欠落させた原因が、彼を無気力にさせているんだと思います。私も何とか彼の力になろうと思っていますので、あまり事件のことで彼に余計なプレッシャーを与えることだけはおやめください」
担当医師にそう言われてしまっては、どうしようもない。捜査主任は、病室の扉からチラッと深溝を覗いてみて、看護師が世話をしていたが、自分からは何もしようとしないその状況に、
――やはり、記憶を失っているんだな――
と感じるしかなかった。
「これじゃあ、面会謝絶の状態でしょうか?」
と担当医師に訊ねると、