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加害者のない事件

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「確かに深溝さんにはそういうところはありました。でも、あの人は本当に真面目な人で、基本的な考え方は、勧善懲悪な方なのではないかと思っていました。他の人が見て見ぬふりをすることでも、あの人は放っておけないタイプの人でした。そのせいでいろいろ損をすることがあったみたいですが、それでもいいと思っていたようです。そういう意味では人から勘違いされやすい人だともいえると思います」
 つばさはあくまでも深溝を擁護していた。
 ただ、彼女のその様子は、
「深溝のことが好きだ」
 という感覚とは少し違っているような気がした。
「つばささんのお話も分かる気がします。私も勧善懲悪タイプの男性を知っているつもりですが、今つばささんのおっしゃった感じになってしまうのは仕方のないことだと思います。喋りながら、相手を説得しようとするあまり、気ばっかり焦るんでしょうね。だから呂律が回らなかったり、自分でも何を言っているのか分からなくなる。特に普段から冷静で落ち着いた感じの人であればあるほどそうなるでしょう。またそんな人だから、勧善懲悪な性格が宿っていたということも言えると思います。冷静沈着だから、勧善懲悪になったのか、それとも勧善懲悪だから、冷静沈着に振る舞えるのか、まるで『タマゴが先か、ニワトリが先か』という理論に似ているようじゃありませんか」
「はい、そう思います」
 と、つばさは答えた。
 そして鎌倉探偵はまた瑞穂を向き直って、今度はこんな質問をした。
「彼の首の首を絞めたという紐状のものですが、それはあなたが持参したものだったんですか?」
「いえ、私ではありません」
「じゃあ、被害者が持っていたんですかね? あなたを殺すつもりだったんでしょうか?」
「私は最初、そう思いましたが、それも違うような気がするんです。さっきの彼の行動を思い出してくるうちに、あんなに悲しそうに訴えてくる彼が、最初から殺意があったとは思えないんです。確かにあの状態だったら、相手を殺しかねない勢いだったとは思うのですが。もし殺してしまったとしてもそれは衝動的な行動で、決して計画的ではないと思うんです。計画的に相手を殺すのであれば、もっと冷静沈着に、そう普段の彼であれば、容易なことだったと思うんです」
 と瑞穂がいうと、
「でもね、二段階だったかも知れませんよ。まずあなたを説得して、あなたが承服してくれなければ、あなたを殺そうと思ったのかも知れません」
 と鎌倉氏がいうと、
「それはないような気がします。あの人はもっと性格は精錬実直なんです。こっちがダメなら、こっちをなどということは考えないような気がします」
 と、またつばさが話の中に入ってきた。
 このつばさという女の子は、どうやら気になることがあったりすると、黙ってはおれないタイプのようだ。友達の瑞穂が困っているのを見て、探偵を紹介するくらいなので、それくらいは当然に思えたが、やはり彼女が勧善懲悪で、いわゆる精錬実直だと彼女に言わしめた深溝という男の性格がだんだんと見えてきたと、鎌倉探偵は思うのだった。
「深溝さんは、人から恨まれるようなことはあったとお思いでしょうか?」
 と二人に対して聞くと、まずつばさが口を開いた。
「よくは分かりませんが、私にはなかったような気がします。なるほど勧善懲悪な性格なので、彼を胡散臭く思っている人はいたかも知れませんけど、相手にならなければいいという程度だったんじゃないかと思います」
 そしえて次は瑞穂の意見である。
「私もつばさちゃんと同じ意見です。ただ、人の恨みなんて、どこでどのように買っているのかというのは分からないものですから、それを思うと怖い気がします」
 瑞穂の意見は、深溝に対してというよりも、一般論的な話だった。
 この二人の意見を見ただけでも、つばさが深溝に好意を持っていたこと、そして瑞穂はさほど彼という人間を意識していないということがよく分かった鎌倉探偵であった。
「一体、彼は瑞穂さんに何を返してほしいと思っていたんでしょうね?」
 と先ほどの瑞穂の話を思い出して、呟くように鎌倉探偵は口にした。
「それが分からないんです。私は深溝さんから何かを取ったという意識はありませんし、彼から何かを借りているということはありませんでした。しかもいつも冷静なあの人があんなに必死になっているのを見ると、怖くなってくるくらいです。しかもその理由が分からないのであれば、なおさらですよね」
 と瑞穂は言った。
「つばさちゃんなのではないですか?」
 と鎌倉探偵がいうと、今度はつばさが口を挟んだ。
「それはないと思います。私は深溝さんと恋人同士になったという意識はありません。店の外で会ったということもありません。ただ話が一番合う相手として、お互いに認識している関係だと思っているんですよ」
「でも、深溝さんはあなたとそれだけだったんでしょうか?」
「ええ、そうだと思います。よしんば先生のおっしゃる通りだとしても、恋人同士になったことはないのですから、『返してほしい』というのは、少し違うと思うんです。それだとまるで私が瑞穂ちゃんとの親友としての立場を失いたくないので、深溝さんに別れを切り出したことになってしまいますが、決してそんなことはありません」
 とつばさは、悲しそうに、そして必死になって抗弁した。
「私もつばさちゃんの意見に賛成ですね。あんなに必死になって返してほしいと言っているのは、もっと切実なことではないかと思うんです。あれだけ普段冷静な人が、涙を流すほどですからね」
 と瑞穂がいった。
「でも、深溝という男性は、自分に酔うタイプだったのかも知れませんよ。自分で筋書きを描いて、そう思い込むことで、自分が可哀そうな人間だと思い込むことで、自然と涙が出てくるような感じのですね」
 と鎌倉は言ったが、それに対して、
「自分に酔うタイプだったのは、深溝さんよりも安川さんの方だったかも知れません、安川さんはいつも夢のようなことばかり言っていました。私は夢を見るのはいいことだと思って、半分聞いていたんですが、夢を見ているうちに、彼は無意識に夢に近づいているような気がしたんです。それが安川さんの特徴なんじゃないかって思ってですね」
「安川さんには、男性からも慕われるところがあったのかな?」
「ええ、あったと思います。子供のように夢を見るのは女性よりも男性でしょうからね。一般的に女性は現実主義で、男性は理想主義だって言われることもあるじゃないですか。だから安川さんのような性格は、男性から羨ましく思われるタイプなんじゃないかって私は思うんです」
 と、瑞穂は言った。
 瑞穂も現金なもので、好きでも何でもない深溝のことに対しては、淡々と話をするのだが、自分が付き合っていた安川の話になると、一気に饒舌になる。抑揚の変化がそれを物語っていた。
「なるほど、よく分かりました。安川さんはこの場面では蚊帳の外のように思えますが、彼も関係者であることに変わりはありませんので、彼のことが聞けたのはよかったように思います」
 と鎌倉探偵は言った。
「ただ、彼が言った『返してほしい』という言葉が今回の事件で大きな意味を持っているような気はしますね。これに関しては警察には話しましたか?」
作品名:加害者のない事件 作家名:森本晃次