加害者のない事件
こうやってつばさちゃんが今の段階で探偵に相談しようというのだから、つばさちゃんに最初から相談していないのは分かっていることだ。そうなると、もし他に相談した人がいるとすれば、その人はつばさちゃんよりも信頼できる人がいるということになる。ここまで積極的に探偵に相談しようと一緒についてきてくれる友人など今の時代、なかなかいないだろう。それを思うと、瑞穂という女性は幸せなのだろうと思った。
「いいえ、誰にも相談していません。自首したのも私だけの意志です」
と言って、少しうな垂れていた。
「誰にも相談せずに自首をするなど、かなりの度胸がいったことでしょうね。そんなに逃れられないと思われたんですか?」
「いえ、最初は気が動転して、もちろん、彼を殺すつもりなどなかったんですが、気が付けば彼の首を絞めていて、揺すっても叩いても名前を叫んでも、反応がなかったんです。私怖くなって、その場から逃げ出しました。ひょっとするといろいろなところに指紋が残っているかも知れないなどということは後になって気付いたんです。だから、部屋に帰ってきた時も、自分でどうやって帰ってきたのかすら記憶にないくらいだったんです」
そう言って、喉が渇いたのか、入れてくれたお茶を一口飲んだ。
「それで、落ち着いてくると、自分が深溝さんを殺したんだっていう事実をやっと認められるようになって。それからが私の人間臭いところだと思うんですが、いろいろと計算してみました。もし、このまま黙っていればどうだるだろうってですね。でも、深溝さんの人間関係を調べられて、彼がどれほどの人間関係があったのかは分かりませんが、少なくとも私にはアリバイがないんです。だって彼と一緒にいるわけですからね。そうして最初から彼を殺すつもりでもなく、ただ会いに行っただけなので、いろいろな人に見られているかも知れない。しかも指紋の問題もあるし、いろいろ考えると、このまま黙っていても、警察は私に行き着くと思ったんです。それで自首して行って、殺すつもりはなかったわけですから、捕まるのを待っているよりもマシだって思ったんです」
と一気にそこまでいうと、息を切らしていた。
彼女は頭もよくて冷静なようだが、一つのことを思いこむと、そっちに突っ走ってしまう猪突猛進なところがあるようだ。それが一番危険なのだが、ともかく自分のところに来てくれた相手を無碍にすることもできない。
「なるほどですね。思い切ったことをしましたね。それを警察が信用してくれないとどうしようとは思いませんでした?」
「もちろん思いましたが、あとで捜査が進んで私が容疑者に浮上してくれば、きっと警察は私を犯人と決めつけて捜査するに決まっていると思ったんです。それなら、自首した方がいいんじゃないかってですね」
甚だ危険ではあったが、彼女の気持ちも分かる気がした。
「少し気になったのは、睡眠薬のお話ですね。あなたは睡眠薬を使用していないとおっしゃった。そこに間違いはないですね?」
と鎌倉探偵は聞いてきた。
この話は自首した瑞穂にも寝耳に水だっただけに、話を聞いただけの人が疑問に感じるのは当然のことだ。
「ええ、私もまさか睡眠薬など使われているとは思ってもいなかったんです。確かに彼の首を絞めたんですが、大体、睡眠薬を飲ませる時間なんかありませんでした。もし、飲ませたとしても、どれくらいの時間が掛かって、どれくらいの効き目があるかなんて知らないですしね」
「それはそうでしょうね。でも、警察とすれば、犯人が女性だということになると、もし抵抗された時のことを考えて、睡眠薬で眠らせておけば、力のない女性にでも確実に殺害できると思うだろうと考えたのかも知れませんね」
「はい、刑事さんもそれらしいことを言っていました。でも、私は自首しているんですから、睡眠薬を使っていたとしても、隠す必要はないような気がするんですけど」
「それも言えますね。でも僕が今聞いた話で考えると、睡眠薬を使用したのは、相手を殺害するだけのためではないような気がしますね。何か別の目的があって、睡眠薬を使ったという考え方ですね」
「じゃあ、睡眠薬が使われていたというのは、偶然だったということでしょうか?」
「表に出てきている事実だけを見ると、そういうことになりますね。自首しているあなたは彼を殺したと思っているんでしょう? そのあなたが睡眠薬を知らないという。使用したのがあなたではないとすると、当然他に使用した人がいるということですよね? ひょっとすると本人かも知れない。ただ、その可能性は限りなく薄いですけどね」
「ええ、私も本人が服用したという説はほとんどないのでないかと思っています。私は彼に呼び出されたんですからね」
と、瑞穂も少し興奮気味だった。
「その時の被害者の様子はどうでした? 睡眠薬を服用していたのであれば、少しは態度が違ったと思うんですが」
「ええ、言われてみれば、確かに喋っていても呂律が回っていないような感じはありました。最初は、酔っぱらっているのかと思ったくらいです。人を呼び出すのに酔っぱらっているというのも失礼だと思ったのですが、でも仕方はないかなとも思いました」
「どうしてですか?」
「彼は何か、不思議なことを言い始めたんです。私を呼び出した理由なんですが、どうも私に何かを返してほしいと訴えているんです」
「その時に彼はどんな感じでしたか?」
「最初は何か怒っていたんです。私を罵ろうとしているのが分かりました。でも、そのうちに焦ってきているようで、顔色は悪くなってくるし、汗も額からどんどん流れてくる。そのうちに涙を流して、『お願い』という感じで必死になっているんです。見ていて悲しくなってくるくらいでしたが、急に彼が私に飛びついてきて、そのまま二人は倒れこみました。必死になって抵抗しようと思ったんですが、どうやら気絶してしまったようで、気が付けば私は彼の首に巻き付けた紐で、首を絞めていたようでした」
それを聞いて、鎌倉氏は首を傾げた。
「いくつか疑問がありますね。まず一番の疑問は、被害者はあなたに何を返してほしいと思ったんでしょうか? 睡眠薬が効いていたので、呂律が回っていないと言っていましたが、その肝心な部分は聞こえなかったんですか?」
「ええ、聞こえませんでした。ただ、睡眠薬を飲んでいなくても聞き取れなかったようにも思います。深溝さんという人は、あまり感情を表に出さないんですが、たまに怒り出すことがあったんです。彼は結構正義感に燃えるタイプの人で、安川さんのように品行方正で自由奔放な人を羨ましく思っていたのか、たまに安川さんに対してキレることがあったんですが、そんな時、いつも早口になって、何を言っているか分からないこともあったと思います」
「なるほど、深溝さんという人は、普段は冷静沈着な方だったんですね?」
「ええ、いつも無表情で、何を考えているか分からないところがありました。それだけに気持ち悪くて、いきなり怒り出したらどうしようなんて思うことも多くあり、私以外の女の子もきっと一緒だったのではないかと思います」
と言って、隣にいるつばさを見た。
するとアイコンタクトを感じたのか、