短編集86(過去作品)
という理屈にならない屁理屈があったのだ。女性というものがそれだけ神秘的に見え、男性の自分とはかけ離れた感覚を持っていると思い込んでいたからだろう。
――そのくせ女性を求める――
男の性で片付けていいはずはない。ストーカーまがいの気持ちにまでなったのだから……。
――結局自分は孤独なんだ――
どうしてそんな結論になるのか、考えればおかしいが、回り道をしていることを感じながら、最後は同じ結論になるのだと自分の中で納得してしまったのだ。
自分のことだけを考えているから、孤独になるのだろうが、人のことだけを考えていて、自分を見失っているよりもいいのかも知れない。だが、逆に言えば、人のことを見ているから、自分を顧みることができるとも言える。西本氏は分からなくなってきた。
西本氏は大学時代から、一人で映画を見ることが多かった。今ではビデオレンタルのせいで、映画館も昔にくらべて規模が小さくなったが、大きなスクリーンに大音響、ゆったりとしたソファーで見る醍醐味は、ビデオレンタルにはマネのできるものはない。
そして何よりも眠気を誘うようなエコーが効いた室内には、ほのかな雰囲気があった。真冬でも暖かく、夏は涼しさが漂う。映画の内容よりも劇場という室内感覚を味わえるのが嬉しかった。
最盛期には映画館というとデートコースの代表とされていたが、映画館というところほど、一人になりたいと思うところもない。喋るわけにもいかず、一人雰囲気を味わえる場所に人と行くことはナンセンスだと思えた。
作品の内容としては、ゆっくりと見れる日本映画の、ドラマに近いような映画を好んだ。海外ものの戦争映画やSF、サスペンス系は、あまりにも現実離れしていて、見ようとは思わなかった。
一人大スクリーンに集中していると、まるで主人公が自分に見えてくる。主人公を自分にダブらせて見てしまうところが、日本映画のドラマ的な作品を好んで見る証拠かも知れない。
映画を見ていると、夢に感じたことを思い出す。スクリーンを見ている自分、そして、主人公に入り込んでしまっている自分、どちらも自分なのだが明らかにスクリーンを見ているが本当の自分なのだという意識がハッキリしているところが夢との一番の違いであろう。
映画館の中にいる時に、何かに包まれているように感じるが、誰もいない時でも香水の香りがしていることがあった。その時は、
――なぜ香水の香りがしているんだろう――
と思っているが、実際に映画館を出ると、香水の香りがしていたことを忘れている。最初に一人で映画を見た時にいた女性の香水の香りが忘れられないでいるのだろうと思っていた。その時にどこから香ってくるかを探していたような記憶があるが、漂っている空間の中から、その元を探すのは容易なことではない。
――映画館と香水――
映画館の中にいる時だけは、切っても切り離せない関係になってしまった。
映画を見ているつもりで、違うものを感じている自分がいる。香水を感じると、まるで自分が女性にでもなったかのようだ。男性として密室の中で、しかもこんなに暖かいところで嗅いでいると気分が悪くなると思っていた。
ほのかに香ってくるくらいであればそこまではないのだが、これだけの香りをあまり気持ち悪く感じなかったものだ。それも一度や二度のことではない、毎回のことなので、嗅覚が麻痺しているのだろうか?
いや、そんなことはない。逆に自分の嗅覚にちょうど合う香水だと思う方が、ごく自然なのだ。
女をそれまではまったく自分とは違う人種で、神聖なものだと思っていたのが、ウソのようだ。
香水の香りがそのまま女性のイメージに結びつくなど、今までに考えたことがない。百貨店の一階にある香水売り場などを通る時、とても辛い。いろいろな香水の香りが入り混じってしまって、鼻がひん曲がってしまいそうだ。
――よく店員は我慢できるな――
と、同情してしまう。
香水の香りを感じることが映画館の香りの代名詞のようになった。映画館を一歩出れば香水がどんな匂いだったか忘れてしまっているのも、映画館という雰囲気のせいなのか、それとも香水の持つ魔力なのか、西本氏は後者のように思えてならない。
映画館の中は一人なのだが、不思議と孤独感を感じることはない。暖かさが感じさせないのか、はたまた香水の香りのせいなのか。きっとどちらもだろう。
香水の香りを嗅いでいて、自分が女性になったように感じると、孤独感もない。孤独感は自分が西本氏だと思っているから感じるもので、まったく違う人物になってしまえば、孤独感を感じることもない。そこに香水の魔力を感じる。
映画館には、「ゆとり」を感じたいがために行っていた。ゆっくりとしたシートに腰を下ろし、目の前のスクリーンに映し出された映像をサラウンドの効いた大音響で楽しむ。さすがに昔から、
――娯楽といえば映画――
と言われるだけのことはある。いくらレンタルビデオやテレビ番組で放映されたとしても、お金をそれなりに使うだけのことはある。お金に変えられない「ゆとり」を感じたいと思うのは人間誰しも持っている思いだろう。映画とはそんな望みを叶えてくれるものとして、西本氏は受け止めていた。
「靖、あなたの趣味って何なの?」
母親から聞かれたのが高校の時だった。本当はスポーツでもしていれば格好よかったのだろうが、
「映画鑑賞だよ。地味だろう?」
そう言った時の母の顔が少し上気していた気がした。確かに想像もしない答えだったろうが、落胆しているわけではなく、むしろ好奇の目で西本氏を見つめていた。赤くなった頬が少し光って見え、まるで磨いたリンゴの表面のようだった。
それ以上母は何も言わなかった。何かを言いたそうにしているのだが、言葉が出てこないのか、それとも、何を話していいか分からないのか、どちらとも言いがたい。
表情はうっとりしているように見えた。何かを思い出しているような遠い目をしている。その先に映し出されたのは果たして誰なのか見当もつかない。
元々落ち着いた感じの雰囲気を漂わせていて、子供の頃から母親の後ろをついて歩くのが好きだった。しかし、父に対してはいつも一歩下がって接していたように思う。いかにも日本女性のおしとやかさは、大和なでしこそのものだった。
子供の西本氏に対しても、時々一歩下がったところがあったが、普段西本氏には絶対に見せないところを見せるところなど、母も普通の人間であることを感じさせ、なぜかホッとしていた。
映画を見に行くとき、女性がそばにいてくれればそれに越したことはないが、いないならいないでもいいように思う。
――きっとそのうちに必ず素敵な出会いが待っているんだ――
という予感があるのだが、確信に近いものであるのはなぜだろう。妄想でもない、希望的観測でもない。実現を伴う予感に思えて仕方がないのだ。
最近の映画館はこじんまりとしていて、少ない人数でゆったりと見ることができる。それほどの大画面ではないが、真っ暗な中に浮かび上がるスクリーンをバックに奏でられる大音響は、大きな映画館に勝るとも劣らない。身体全体を包み込むようなソファーが睡魔を誘うというものだ。
作品名:短編集86(過去作品) 作家名:森本晃次