短編集86(過去作品)
いよいよと言う時に、たくさんの人が集まってきたが、どれも見覚えのある顔だった。誰もが固唾を呑んで状況を見守っている。そんな中、迫り来る最後の時を静かに待っているかのように目を瞑ったまま佇んでいる祖父を、まわりの人はどう見ていたのだろうか。
一様に同じ表情に見えるが、心のうちはさまざまだろう。子供心に、数々の私利私欲が蠢いているようで、そんな空気の中にいなければならない居たたまれなさに苛立ちを覚えていた。
それにしても、よく中学生でそんな空気が読み込めたものだ。自分でも不思議である。
祖父は覚悟ができていたに違いない。目を瞑ったまま静かな臨終だった。
「ご臨終です」
と医者の声とともに、女性のすすり泣く声、それもどこまでが本心からか分かったものではない。
その時に、自分も人に臆することのない人間になったような気がしていた。偉大だと思っている祖父が死んで、一番偉大だと思っているところが乗り移ったような気がしたのだ。これ以上嬉しいことはない。
だが、一緒に冷めたところも乗り移ったように思う。それが潜在的なものなのかは分からないが、祖父が死んでから表に現われたことには違いのないことだった。
しばらくは臆することのなかった俊介だったが、最近いつも何かに怯えているように思う。言い知れぬ何かにオドオドしているのだが、それは自分の中だけで、表に出すことはなかった。
人に弱みを見せたくないのは俊介に限ったことではないだろうが、弱みを見せて得になることがあるのかを考えると、いつでも威厳を持っていた祖父の顔が目の前に浮かんでくる。いつも一人孤独にしか見えなかった祖父が持っていた威厳、それこそ俊介の求めるものなのかも知れない。
最近、勘が鋭くなったと感じていたが、臆病になっていることに起因しているのではないだろうか。気持ちが大きい時は全体を見ていて、細部に渡って見渡すことがない。
「俺なんていつも目先のことしか考えられないから、全体を見渡せるやつが羨ましいよ。きっと先のことまで考えているんだろうな」
と話していた友達がいたが、
「それほど先までは見えないけど、目先のことだけを考えているわけじゃないので、きっと先が見えているんだろうね」
確かにそうだ。目先のことだけを考えていた頃の自分を小さく感じてしまう。
自分にとって、目先のことは、すでに過去に考えていることだと思っていると、気持ちに余裕が生まれる。そこから自然と湧き出てくる威厳をいつも祖父に感じていた。威厳の元になっている根拠が何か分からなかったが、今となってみれば以前から分かっていたように自然に受け入れられる思いである。
勘が鋭くなったことを最近になって感じるようになったが、特にコンサートの帰りに出会った二人を見て、さらに自分の鋭くなった勘が研ぎ澄まされようとしている。
――この二人、長くはないな――
と感じたのである。
別れるであろうと思うカップルを見ると、大体どちらかが熱心なのに対してどちらかが冷めている。その方が表に出やすいからだ。しかし沙織と歳三のようにお互い冷めてしまっているような人はあまり目立つことはない。友達として見ているからというのもあるだろうが、それだけでは納得できないものを感じていた。それは自分の勘が鋭くなったからに他ならない。
歳三と付き合い出す前の沙織が、俊介は好きだった。あどけなさがあって、それでいてしっかりしたところが見えたからだ。正直がとりえの女性で、しっかりしていないとまわりの人とうまく行かないように思えた。根拠があるわけではない。ただ、俊介自身があどけないだけの女性を好きでいるほど、シャイではなくなっていた。
大学生の頃というと、さまざまな考え方を持った連中がまわりにいたものだ。歳三も沙織も、そして俊介自身も、まわりから見ればさまざまな一人だったことだろう。二十歳近くになってくると、群れを成して行動するのが嫌になってきた。友達を絞って、その中で親友と呼べる人を選別していった。そこで残ったのが沙織と歳三、そしてもう一人、正治というやつだった。
正治は四人の中でも異質だった。
いつも一人でいるのが好きで、学校が終われば急いで帰って、趣味に打ち込んでいた。部屋をアトリエとまでは言わないが、半分を趣味の彫刻用に使っていた。一度部屋に入ってみたことがあったが、とても人を招待できるような部屋ではない。正治とは一緒に呑みに行って話をすることが多く、そのたびに彫刻について話をしていた。
「趣味の話をすると、時間があっという間だな」
「そうだね。君だけだよ、趣味の話をするのはね。それ以外の人とは酒を一緒に呑もうとも思わない」
酒は一人で呑むものだとお互いに思っていた。俊介も正治以外の人とは、飲み会でもなければ一緒に呑むことはない。決して彫刻に造詣が深いわけではないのに、話が弾むのはきっと感性で通じ合うものがあるからに違いない。そうでもなければ、人と一緒にいることを嫌う正治と、酒を呑もうなどと思いもしないからだ。
正治にしてもそうに違いない。
「趣味が合うわけでもないのに、よく一緒に呑んでるな。君が話をよく聞いてくれるから嬉しいよ」
そういって、頭を下げる。
人に頭を下げるなど、普段の正治からは信じられない。
「俺は人とは違うんだ」
口に出さないまでも、雰囲気がそう言っている。オーラのようなものが噴出しているに違いない。
正治の顔を見ていると、白い石膏像が目に浮かぶ。薄暗い部屋に浮かび上がった真っ白な石膏像が、今にも動き出しそうで気持ち悪い。一度だけだったが見ることができた正治の部屋の光景が、瞼の裏に焼きついて消えないでいる。
正治の性格は極端だった。相手によって完全に態度を変える。
「あの人は、すぐに怒り出す」
という人もいれば、
「無表情で何を考えているか分からない」
という人もいる。
しかし、ハッキリ言えることは、雰囲気が重たくて、近寄りがたい人だということだった。友達はほとんどおらず、話相手も俊介くらいのものだった。
俊介にとって趣味が違うのに、ずっと友達として残った正治が不思議だった。確かに俊介自体特定の趣味を持ち合わせていない。人の趣味を見て、その時々で興味を持つのがほとんどだった。それだけに、誰にでも合わせることができ、八方美人的なところが融通の利く人としての評価を受けていた。
だからこそ大学入学当時、友達が多かったのだが、親友となると、同じ趣味を持っていたり、感性が引き合う相手でないとなかなか長く続くことはない。
だが果たしてそうだろうか?
同じ趣味を持っているからといって、趣向が違うことも考えられる。気持ちをぶつけ合うことで気持ちが通じ合ったりもするだろう。しかし、そんなに人間の考え方は単純ではない。特に俊介の場合は、相手と考え方が違うことで喧嘩になったり、その結果、もう話をしなくなったりした人も多い。
正治の場合は、趣味は違っているが、感性で引き合うところがあるようだ。具体的には分からないが、話をしていて盛り上がる時がある。
作品名:短編集86(過去作品) 作家名:森本晃次